竜王様、その「幸運の壺」を買う前に、この家計簿を見ていただけますか?

「ポチッとな」


その軽快な声が、城の静寂を破った。

私が夕食の支度(今日は冷蔵庫の余り野菜で作った野菜炒めだ)をしていると、玉座の方から不穏な音が聞こえてきたのだ。


玉座の間へ行くと、グラン・ドラゴ(竜王様)が、空中に浮かべた水晶板『クリスタル・ネット』の画面を真剣な眼差しで見つめていた。

その瞳は、かつて世界を恐怖に陥れたという紫色の輝きを放っているけれど、見ているのは通販サイト『ペガサス便』の画面だ。


「……何を買ったんですか?」


私はおたまを持ったまま、背後から声をかけた。

竜王様がビクッと肩を揺らす。


「お、おう、エルマか。いや、大したもんじゃないぞ。ただの『幸運を呼ぶ聖なる石』だ」


「は?」


「これすごいんだぞ。商品説明によると、これを部屋に置くだけで、ガチャのSSR排出率が3倍になるらしい」


「値段は?」


「たったの30万ゴールド」


「キャンセルして!!!!!」


私の絶叫が、城の高い天井に反響した。

30万ゴールド!?

この世界の通貨価値で言えば、村の家が一軒建つレベルだ。

それを、ガチャのために?


「キャンセルボタン! どこですか! 早く!」


「えー、もう注文確定しちゃったし……。それに、俺の金だろ?」


「あなたの金ですけど、管理してるのは私です! 今月の食費、あといくらあると思ってるんですか!」


私はエプロンのポケットから、ボロボロのノートを取り出した。

『竜王城・家計簿』とマジックで書かれたそのノートを、竜王様の目の前に突きつける。


「見てください、この赤字! 先週、あなたが『限定版フィギュア』とか言って買ったガラクタのせいで、今夜の夕食は肉なしなんですよ!?」


「肉なし……だと……?」


竜王様が絶望した顔をした。

世界の半分をやるから許してくれ、と言わんばかりの悲壮感だ。

でも、私は許さない。


「返品です。勇者由来のクーリングオフ制度くらい、この国にもありますよね?」


「いや、ペガサス便は『お客様都合の返品不可』って……」


「都合も何も、これは詐欺です! 石でガチャ運が上がるわけないでしょう!」


「でも、レビューには『星5出ました!』って書いてあったし……」


その時だった。

玄関のチャイム(結界の警報音)も鳴らさず、またあの女が入ってきた。


「ごきげんよう、竜王様!」


キラキラのエフェクトを背負って現れたのは、勇者レオノーラだ。

手には有名店のケーキの箱を持っている。

また来たのか。週3回ペースって言ってたけど、今のところ皆勤賞だ。


「あら、何やら揉め事?」


レオノーラは状況を察すると、ふふんと鼻で笑った。

「エルマ、あんたは心が狭いわね。竜王様が欲しいとおっしゃるなら、星の一つや二つ、買って差し上げればいいじゃない」


「星じゃなくて石です。あと、30万ゴールドもするんです」


「30万? 安いものね」


レオノーラは懐から、分厚い革の財布を取り出した。

中には、目がくらむような金貨と、ブラックカードらしきものが詰まっている。

さすが勇者。国から出る討伐報酬と、グッズ販売のロイヤリティで懐が温かいらしい。


「竜王様、私が代わりに払いましょうか?」


彼女が甘い声で囁く。

「その代わり……今度の日曜日、私とデート……いえ、視察に出かけてくださるなら」


「え、マジ?」


竜王様の目が輝いた。

プライドはないのか、この最強生物は。


「レオノーラさん、甘やかさないでください!」


私は二人の間に割って入った。

「これは教育なんです! お金の大切さを教えないと、この人は一生ダメなままです!」


「あら、ダメな竜王様も素敵じゃない(フィルター全開)。それに、私が稼げばいいだけの話よ」


「そういう問題じゃありません! 自立支援です!」


バチバチと火花が散る。

私がレオノーラを睨みつけていると、突然、空中に浮かんでいた水晶板が「ピロリン♪」と鳴った。


『配送状況:お届け完了』


え?


「ちわーっす! ペガサス便でーす!」


その声と共に、窓の外から翼の生えたケンタウロスのお兄さんが飛び込んできた。

手には小さな小箱を持っている。

早すぎる。注文してまだ5分も経ってないのに。


「こちら、代引き30万ゴールドになります!」


ケンタウロスのお兄さんが爽やかな笑顔で手を差し出す。

竜王様がおろおろと財布を探し、レオノーラがブラックカードを構える。


「待ちなさい!!」


私はお兄さんの前に立ちはだかった。


「受け取り拒否です!」


「えっ」とお兄さんが固まる。

「あ、あの、これ『即日配送・キャンセル不可オプション』付きなんですけど……」


「知りません! この石、ただの河原の石ころですよね!? よく見てください、ここに『Made in 裏山』って書いてあるじゃないですか!」


私は箱の隅に小さく書かれた文字を指差した。

竜王様とレオノーラが覗き込み、同時に「あ」と声を上げる。


「……マジだ」

「……さすがに、これは擁護できないわね」


場の空気が凍りついた。

ケンタウロスのお兄さんは冷や汗をかいている。

「い、いや、これはその、聖なる裏山で……」


「お引き取りください」


私はおたまを構え直し、魔王をも倒せそうなオーラで告げた。

「二度と、この城に詐欺商品を運ばないでください。次やったら、ペガサス便の本社に『竜王のブレス(クレーム)』を送り込みますよ?」


私の背後で、竜王様が小さく頷き、口元に少しだけ炎をチラつかせた。

それが決定打だった。


「ヒィィッ! すみませんでしたァァァ!」


お兄さんは箱を抱えて、音速で逃げ帰っていった。


静寂が戻る。

私はため息をついて、おたまを下ろした。


「……はぁ。疲れました」


「……悪かったよ」


竜王様が、しゅんとして言った。

「ガチャは、無課金で頑張るわ」


「それがいいです。あ、レオノーラさん」


「な、何よ」


「そのケーキ、置いてってくれますよね? お詫びとして」


レオノーラは一瞬ムッとしたけれど、結局苦笑いをして箱をテーブルに置いた。

「……あんたには敵わないわね、本当に」


その夜。

肉なしの野菜炒めだったけど、デザートの高級ケーキのおかげで、食卓はいつもより少しだけ豪華だった。

竜王様がケーキを頬張りながら、「あー、石買わなくてよかったー」と笑っているのを見て、私はまた明日も頑張ろうと思った。


家計簿の赤字は、まだ消えてないけどね。

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