魔界の都市伝説

ゆあさ

第1話 からみつくもの1




 大学生のAくんには、最近、ずっと気になっていることがある。

 ひと月くらい前からだろうか。もしかしたら、もう少し前からかもしれないけれど。

 気がつくと、右手の指に髪が絡んでいるのだ。

 自分のものではない。

 女性のものだと思う。長い黒髪。

 潔癖ではないけれど、人並みに他人の髪など気味が悪いので、いつもよく見ず、振り落としてしまう。

 

 誰の、という当然の疑問。

 心当たりがまるでない。

 朝起きた時、気がつくことが一番、多い。

 自分しかいない部屋で、眠るときは確かに髪など、絡まってはいなかったのに。

 

 ごそり。

 

 髪の量には波があるけれど、最近、やたら量が多いことが増えた気がする。

 

 ごそり。

 

 今日は、大量。

 これが自分の髪だったら、禿げることを確信するほどの量だ。

 指に、いつの間にか、誰のか分からない髪が、こんなに。


「もういい加減にしてくれ……」


 誰もいないであろう空間に、思わず声を捻り上げ、天井を見上げた。


 最近、ずっと塞ぎ込んでいる。

 なにをやってもうまくいかない。

 身体がダルい。

 眠るのが怖い。

 この髪は一体、どこから、なぜやってくるのだろう。


 思い出せる最初は、通学中の電車の中で。

 下校途中、課題提出が近く、疲れていたので、出入り口近くの端の席に座れてラッキーだと思った。

 読もうと思って持っていた雑誌を開いてみたものの、まったく集中できそうになかったので、少し休もう、と荷物を膝に乗せたまま、目を閉じる。

 やはり端の席はこういう時、ありがたい。

 硬い角の板に身体を預け、息をついた。


 と、女性の香水の匂いが、強烈に鼻を刺激した。

 目を開け、電車のドア横、つまり座るAくんの隣に立つ女性を、思わず見上げる。

 甘ったるい、いかにも香料の匂い。

 すごく嫌な匂い、というわけじゃないが、かなりキツイ匂いだ。


(不愉快だな)


 そう思った。


(トイレの芳香剤の方が、まだマシだ)


 しかも女はやたら長い髪を、そのまま垂らしている。

 それが、Aくんが凭れかかっていたところにまで、かかって来ていた。

 なにも考えず眠っていたら、髪先が頭に触れていただろう、と思うとゾッとする。

 自分では、綺麗なつもりかもしれないが、他人にしてみれば、髪など汚らしいだけだ。


(こういう場所では束ねるのがマナーじゃないのか)


 Aくんは思う。

 とはいえ、そんなことを口に出すのも面倒だ。揉め事になれば厄介だし、このご時世だから、こんなことで変な逆恨みをされてもつまらない。

 立ち上がるのも面倒だし、身体の傾け方向によっては回避できそうだし、そんなに長い時間、乗車するわけでもない。

 嫌な気持ちになりながらも、その場は、そのままやり過ごした。


 だが……


 結局、休むこともできないまま、地元駅で電車を降りた後、ふと目をやると、自分の肩に長い髪が一本、落ちていた。

 慌てて振り落とす。

 さっきのことを思い出し、またげんなりした。


(マジで勘弁だ……)


 そんなことがあった、直後くらいからなのだ。

 指に、見知らぬ誰かの頭髪が絡むようになったのは。


(あの人のせいなのか?)


 もしかして、だけど、あの女性が、『この世のものではなかった』 可能性はないだろうか。

 けれどあの時、電車には、それなりに乗客がいた。


 帰宅途中の学生が多く、女子高生が四、五人、楽しそうにおしゃべりしていたように思う。生意気そうな制服の小学生が座って本を読んでいたし、疲れた顔のサラリーマンや、これから出掛けるのだろう、髪や化粧を気にする女性、OL、楽器を持った男性、お年寄り、外国人……その辺りは、いたかもしれないし、気のせいかもしれない。

 毎日のことなので、いちいち覚えていないのだ。


 とにかく、いつもと変わらない、多種多様な人々がごった返す電車内だった。

 その女性も、髪が長くて匂いがキツイ、と思った以外、特におかしな点はなかったと記憶している。

 ちゃんと顔も見た。


(もう、よく覚えていないけど、どこにでもいそうな普通の女の人だったはず……)


 目は合わなかった、と思う。

 イヤホンをして、熱心に携帯電話をいじっていて、Aくんが電車を降りた時、彼女はまだ乗っていた。

 すれ違いに電車へ乗り込んで行ったサラリーマンが、その匂いに、だろうか。女性の方を見て顔を顰めたのを、うっすら覚えている。


(あんなハッキリとした霊って、いるのだろうか)


 Aくんは今でも、電車に乗るたび、あの女性を探している。

 今の状況と関係あるかは分からないけれど、他に解決の糸口が、なにもないからだ。

 夕方のあの時間に、決まった電車に乗る人間など、ごく少数に違いないし、Aくんだって帰りの時間はまちまちなので、正直あまり期待していないが、他にできることもないから、一応。

 本当にアレ以外、なにも思いつくキッカケがないのだ。

 気がつくと指に絡まっている、他人の髪の、原因。

 長い髪は、今のところ気持ち悪い以外の実害はないけれど、もちろん、どうにかできるなら解決したかった。


(気味が悪いだけでも、じゅうぶん過ぎるストレスだし……)


 最近じゃ、電車に乗るだけでも、怖い気持ちが少しある。

 今までは他人のことなど、よく見もしてなかったけれど、あんなことがあってから、電車内で周囲を気にするようになって、気がついた。


(電車の中って、意外と変な人が多い)


 他人との距離も近く、駅以外は閉鎖空間でもある。

 これ以上のトラブルは、絶対に背負い込みたくなかった。

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