卒業は突然、10日後に

多田莉都

第1話

 とても晴れた春の終わり、この日も恩田楓音おんだかのんはいつものように高校に登校していた。

 教室に入ると、楓音は自分の席に向かってゆっくり歩いていく。既に登校していた隣の席の沢泉舞さわいずみまいと目が合った。

 

「おはよー、舞」


 楓音が微笑みかけると舞も顔を上げて楓音に「おはよう」と微笑みかけた。

 少し額に汗ばむものを感じながら楓音はカバンを下ろして席につく。

 

「今日の時間割なんだっけ?」

「時間割を知らずに登校したの……」


 若干、引き気味に舞は楓音を見た。「だって教科書、全部学校に置いていってるし」と楓音は笑った。舞はため息を一つ吐いて苦笑する。

 

「世界史と数学Bと解析論と――」

「マジか。世界史も解析論も嫌なんだけど」

「楓音の好みで時間割が決まってるわけじゃないよ……」

「そうだけどさぁ」


 楓音は机の上でうなだれる。


「やっぱ体育がいいよね」

「そんなの楽しいっていう女子は楓音ぐらいだよ。私、体育のどの練習も嫌だ。しかも格技だよ、今週」


 舞は運動神経や反射神経がそこまでよくないので苦笑した。

 

 一時間目の世界史は、かつての第二次世界大戦が開戦される前のことだった。

 ドイツ、イタリア、日本のそれぞれの思惑、そして控えるロシアとアメリカの様相などを先生は語った。楓音は各国の勢力図が世界地図上に繁栄された資料に落書きをしていた。

 そこを通りかかった世界史担当の戸田が引きつった笑いで楓音へと話しかける。


「ほう、恩田。君の住む世界では日本が欧州まで攻めたことになっているのか」


 日本の進行方向を西へ西へ引っ張り南アジアを越えた部分まで引っ張ったところをわざわざ着目したらしい。


「いやだなぁ、先生。ただの落書きです。史実ではないです」

「私の授業を聞かずに落書きにむさぼって君は将来どうするつもりだ?」

「進路なんて考えてないですねぇ。平穏に生きることができればそれで満足です」


 あっけらかんと楓音は笑った。しかし、戸田は眉間に皺を寄せたまま笑うことはなく、追加レポートを楓音に課した。

 

*

 楓音が放課後の教室でレポートをタブレットPCでまとめていると、ドアが開く音がした。背が高めの男子生徒・クラスメイトの高橋拓実たかはしたくみが教室に入ってきた。


「あれ、拓実。どうしたの?」


 楓音が話しかけると拓実は楓音をチラッと見て、

 

「学年会議に出てただけだよ」


 と言った。拓実はクラスの会長だった。各クラスの会長、副会長が出席する学年会議に出ていただけのようだ。


「そういう楓音は? 放課後に残って勉強なんて珍しい」

「うわ、わかってて言ってるよね? 勉強じゃなくて追加レポート」

「ああ、そうだったな」


 拓実は小さく笑った。

 「ムカつくー」と楓音は返したが、実際は全く「ムカつく」ことなどなかった。

 むしろ、拓実と話せることが嬉しく思っていた。

 楓音と拓実は幼稚園の頃から続く幼馴染みで、知る拓実と話せるなら放課後に残ったのも悪くないなと思っていた。

 楓音は拓実にただの同級生以上の好意を持っていた。

 ただし、拓実の思いがどんなものなのかは楓音はわからなかった。


「歴史のレポートやってんだっけ?」

「そう。『ABCD包囲網が敷かれる前に日本ができたことは何か』なんてレポート、私が独学で考える意味あるかな?」

「楓音は運動はずば抜けてるけど作戦を立てるのが下手だからなぁ。バスケでもサッカーでも直線にしか進まないし」

「まどろっこしいのが嫌いなのよねぇ」

「それじゃ勝てないだろ」

「生き残っていればいつか勝てるかもしれない」

「深い台詞だな」

「いや、真理でしょ? だってさ、ある戦いで快勝しても次の戦いでやられちゃったら意味ないでしょ? 最終的に生き残った奴が勝ち」


 楓音は何度か頷きながら言った。

 

「さすが、JUDOの順位が学年トップクラスなだけあるよ。この間は楓音が6位に入ってたよね。すごいよ」

「ずっと1位の拓実に言われてもなー」

「評価ランク上位20人に女子で入ってるのは楓音だけだろ。すごすぎるよ」

「卒業までに拓実は抜くけどね」


 フフンと楓音は鼻を鳴らし、右手の親指と人差し指を立てて銃を撃つような仕草をしてみせた。

 拓実が何か突っ込んでくると楓音は思っていたが、拓実は優しく笑みを浮かべているだけだった。


「ん? どした?」

「卒業まで……か。残念だけど、もう楓音と争うことはないかな」

「どういう意味? え、まさか……」


 自分で質問をしておきながら楓音はある事を悟った。

 楓音が立ち上がる。椅子と机が動く音が教室の中で響いた。

 そして、静かに拓実は頷いた。


「うん。Invitationが届いた。今回、ウチの学校からはJUDO上位4名が選抜されることになった。戦場に――行くことになった」


 普段、教室でクラスメートへの伝達事項を述べるときのように、淡々と拓実は言った。

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