第二小節〜魔石の勇者〜
「えー、皆さんはこの授業の後、誇り高きビルデンの騎士試験を受けるわけですが、その前にー……」
柔らかい朝陽が差し込む教室とは対照的に、生徒たちの心はどこかざわついていた。
今日で騎士になれるかどうかが決まる。期待と不安、その両方が胸の内を揺らす。
剣技、法律、作法——
六歳から十五歳まで叩き込まれるこの士官学校は、ビルデンの中枢へ至る狭き門。
だがこの最終日だけは、誰の心にも同じ色の緊張が宿っていた。
「かったりーな……さっさと試験だけ受けさせろっての」
オルスが吐き捨てるように言ったその瞬間、背後から槍のように鋭い声が飛ぶ。
「こら、ゼディアーク! ビルデンの歴史も試験範囲だ!」
元騎士である初老の教官シュバイル。もう騎士として剣を振るう事は無いが、手に持った教鞭を振る鋭さは的確に生徒の腑抜けた態度を引き締める。
その背筋の伸びようは、年齢さえ忘れさせるほどだった。
生徒たちの多くは、もう心ここにあらずである。
しかし——ルヴェンだけは、教官の声を素直に受け止めていた。
怖かったのだ。期待ではなく、“不安”の方が強い自分が。
自分は本当に騎士になれるのだろうか。
兄のように強くなれるのか。
父に胸を張って誇れるだろうか。
胸の奥に広がるその影を、彼は見ないふりをしていた。
教官の言葉は続く。
「竜に護られし国、このビルデンは、神竜メガイエル様の伝説によって築かれ、この広き台地を護るため、己が力をその風土に合わせた色——すなわち属性に力を分け、色竜として各々色塚に奉られております」
何度も聞いた建国の話。
それでもルヴェンは、兄や父の背中に憧れて育った少年、食い入る様に耳を傾ける。
一方、オルスはというと——
精神統一の様に瞳を閉じながら両腕を組み、眉をしかめては居るが、口元からは穏やかな寝息が聞こえている。
「あぁもう……寝てるし……」
ルヴェンは呆れながらも、そんな友の無邪気さが羨ましかった。
胸を締めつける不安を、彼は知らないのだろうか。
窓の外を見る。
黒い雲が重く垂れ込めていた。
ただの雨雲とは違う。
“形”がどこか歪み、不吉な気配を孕んでいる。
シュバイルが声を整えて続けた。
「えー、この世界には、『魔石の勇者』と呼ばれる魔物が存在する。まぁ通常の魔物とは違い、古代の王や、戦士、又大きな怨念を持って死んでいったものたちの心が特殊な石に取り憑き、ソレを手に入れた人間が魔物と化す、という順序ですな」
教室の空気が少しだけ引き締まる。
この話だけは、誰もが本能的に「危険」を感じているからだ。
「ワシも合間見えたことがあるが……ありゃあ凄まじかった。色塚の竜様の力を借り退治したが……多大な犠牲を払ったのぅ……」
シュバイルの声の奥に、苦い記憶の影が落ちた。
……その瞬間だった。
空気が悲鳴を上げた、まるで「そこに居てはいけない存在」の来訪を拒絶する様に。
耳を劈く様な高周波の不協和音、ルヴェンの耳にはそう聞こえだのだ。
そして校舎の底から、巨大な何かが身をよじって地表へ浮上しようとするような振動が走る。
床板が低く軋み、生徒たちの椅子がわずかに跳ねた。
「ひっ……!」
誰かの短い悲鳴。
ルヴェンの心臓は、一拍置いてから急に跳ね上がった。
胸がざわつく。
背中を冷たい汗が伝う。
“何かがおかしい。何かが近づいている。”
言葉にならない警鐘が耳鳴りとして押し寄せる。
窓の外——
黒い雲が、ゆらり、と捻じれるように動いた。
光がその裂け目から落ちた——いや、“落ちてきた”のだ。
「な……に、あれ……?」
次の瞬間、校舎全体が横殴りの力で押されたように揺れた。
天井の梁がたわみ、白い粉塵がひとしきり降り注ぐ。
「お、おい! なんだよこれ!! 戦か!? 戦なのか!?」
慌てて目を覚ましたオルスが叫ぶ。
だが声は震えていた。
彼の豪胆さが揺らぐほどの“何か”が迫っている。
「わからないよ……僕も……! でも、さっきからあの雲から……光の矢みたいなのが——」
ルヴェンの言葉が途切れた。
光の矢の一本が、隣の教室へ突き刺さったからだ。
石壁が裂け、木材が砕け、
細かな破片が風に巻かれて舞い上がる。
机が傾き、椅子が跳ね、ガラス片が光を反射して散った。
粉塵が薄れたとき——
惨状が露わになった。
倒れた梁に胸を縫い留められた少年は、目を見開いたまま動かない。
壁に叩きつけられた少女は、腕が不自然な角度で曲がり、青ざめた唇を震わせていた。
巻き込まれた生徒の中には片足を失った者もおり、赤い染みが床を静かに広げていく。
「や……だ……たす、け……」
か細い声が瓦礫の中から漏れる。
その手は震え、皮膚には焦げた痕が走っていた。
生徒たちは息を呑むことすら忘れ、ただ立ち尽くした。
恐怖が教室の空気をねっとりと重くする。
その沈黙を破ったのは、蒼白になったシュバイルの叫びだった。
「勇者じゃ……!
魔石の勇者じゃあああ!!」
その名が落ちた瞬間——
ルヴェンの心は底知れぬ冷気に貫かれた。
悪夢は、この日、確かに始まったのだ。
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