二度目の人生は筋肉から始まる ~虚弱令嬢、鍛えすぎて強くなる~

秋乃 よなが

第一話 筋肉家族と虚弱令嬢

 突然だが、あなたは筋肉についてどう思われるだろうか?


 とある王国では、いくつか『名門』と呼ばれる貴族がいる。そんな中、あまり他国では聞き馴染みがないが、自国では有名な由緒正しき『筋肉の名門』――ドラクロワ家という伯爵家がある。


「筋肉こそ正義! 筋肉は裏切らない!」


 当主アルマンは朝食前からダンベルを振るっていた。しかも成人男性ほどの重さのダンベルを片手ずつだ。上腕二頭筋に筋が走り、鼻息も荒々しい。


「美は筋肉の調和! 本当の美しさは筋肉にあり!」


 その隣では当主夫人のエレオノールが、中腰になってケトルベルを上げ下げしながら、侍女に本を持ってもらい朝の読書をしている。


「――二百四十九、二百五十! うおお! 筋肉こそ美徳!」


 その部屋の窓の外では、長男ドミニクが片手で腕立て伏せをやっていた。


「相変わらず父さんも母さんも兄さんも熱心だなぁ。――あ、兄さん。少し上体がぶれてきてるよ」


 長男のトレーニングを隣で見守るのは、次男ルシアン。彼自身もほど良く筋肉がついたしなやか身体をしているが、父や兄に比べればかなり細い。


 そして彼らとは離れた二階の一室。一番日当たりの良い部屋で、彼女は朝から賑やかな家族の声を聞いていた。


「今日もみんな元気そうね。よかったわ」


 ドラクロワ伯爵家の長女にして末っ子のアドリアナだ。彼女はベッドの上で、本を広げていた。


「アドリアナお嬢様、朝食をお持ちいたしました」


「ありがとう、入ってちょうだい」


 朝食を乗せたトレイを持った侍女が入ってくる。アドリアナは本を枕元に置き、侍女がいつものようにベッドの上に朝食をセッティングするのを待った。


 目の前には、具材が小さく刻まれたスープとアドリアナの拳大のパンが一つ。たったそれだけのメニューでも、彼女にとっては食べきるのが大変な量だ。


(家族のみんなはあんなに元気なのに、私はスプーンを持って食事するのが精一杯。本当は家族と同じテーブルで大皿いっぱいのお料理を食べたいのに…)


 そう、筋肉の名門で生まれたはずのアドリアナは、なぜか一人だけ、生まれたときから虚弱体質だった。


 ドラクロワの子であれば三歳からできるという腹筋も、アドリアナはできなかった。歳を一つ重ねるたびに腹筋を試みたが、あれは五歳のとき、彼女は自分の虚弱さを思い知った。


『…くっ、う…っ』


『いいぞ! アディ! もう少しだ!』


 五歳のアドリアナは家族に見守られながら、なんとか腹筋で上体を起こせそうなところまできていた。


 『いーち!』。家族の掛け声とともにできた初めての腹筋。その直後、彼女は昏倒した。気を失って、丸二日間眠り込んだ。


 そこで専属医師によって下された診断は『虚弱体質』。筋肉の名門ドラクロワにあるまじき診断名であった。そこからアドリアナはベッドとともに人生を歩むこととなり、家族の過保護が始まったのだ。


「私も家族と一緒にトレーニングができたらなあ」


「アドリアナお嬢様はそのままで良いんですよ。筋肉がなくとも、お嬢様の微笑みは百人力なんですから」


 侍女の慰めも、アドリアナにとっては何の意味もない。それでも彼女は、自身の虚弱体質を受け入れ、前向きに生きていた。


 ――そんなある日のことだった。


「喜べ、アディ! お前に素敵な縁談が決まったぞ!」


「まあ、お父様! どうしたの、突然」


 豪快な笑い声とともに部屋に入ってきた父アルマンに、ベッドの上で本を読んでいたアドリアナは目を丸くした。そんな父の後に続いて、母エレオノールが優雅に歩いてやってくる。


「アディと第二王子の婚約だ! なんでも王は、我が筋肉の名門の血筋を迎えたいらしい! これぞ王家と筋肉家系の融合だ!最強の組み合わせだぞ!」


「王もようやく筋肉の素晴らしさに気づいたのでしょう。……ただ、王家に嫁入りするにはアドリアナには筋肉が少々足りません。母はそんなあなたが心配だわ」


「……私が王子様と婚約…? これが運命ってものなのかしら。なんてロマンチックなの」


 一般人にとってアルマンとエレオノールの言っていることは理解不明だが、それと同じくらい、アドリアナの思考もぶっ飛んでいた。


 これが過保護の影響なのか。婚約相手が『王子』というだけで、アドリアナにはその縁談が『運命』だと思えた。


 一方、王城では。


「私がドラクロワと婚約!? 父上、本気ですか!?」


 第二王子のシャルル・ヴァルモントが父たる王に噛みついていた。


「デビュタントで見かけた彼女はたしかに可愛らしかったが、病弱だというではありませんか? とても王家に相応しいとは思えません!」


「そう声を荒げるな、シャルルよ。たしかに彼女自身は病弱かもしれぬが、ドラクロワの血筋は本物だ。お前の子にドラクロワの血が流れれば、より強固な王家の血筋が生まれる」


「ですが…っ。あんな脳筋家門となんて…っ」


「シャルル。これはもう王命として決めたことだ。覆りはせんよ」


 どうやらアドリアナの婚約者であるシャルルには、不満があるようだ。婚約に前向きなアドリアナと後ろ向きなシャルル。


 筋肉に彩られた奇妙な縁談は、こうして幕を開けた。

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