第3話 生成AIと作品と

 私の場合、どのような経緯があったのか、とカクヨムに載せるにあたってどうしているかのお話。


 選びに悩んだら辞書や類義語辞典、本文を執筆中の誤字脱字のチェックは校正ツール、物語の設定やシナリオ管理は専用ツールで管理する、と自分で考え、選択し、管理するものだ。何を使ったとしても、常に自分の判断と操作が入り、自分の作品かどうか悩む必要すらなかった。


 しかし、生成AIは性質が異なる。私が使い始めたのは2024年の後半、本格的に使い始めたのは2025年に入ってから。最初の目的はどれぐらい文章が伝わるかだった。生成AIが読み取れないのなら人間も読み取れない。最初の頃はそれなりにうまくいっていたと思う。

 これがだんだん、生成AIの能力向上で行間を読めるようになったり、つじつま合わせが上手になってきて、具体的にこういう観点で抜け漏れがないか確認するようプロンプトを調整する必要がでてきた。


 そこまで能力が向上したのなら、と設定資料とシナリオをもとに書くよう指示してみたら、それらしい本編が生成できてしまい、書くか生成するかを少し考えた。

 本文をもとに何か番外編を書くよう指示してもそれなりのものができあがる。ただ、どの段落も同じぐらいの文章量、どこかで見た言い回し、展開、洋画や海外SFを彷彿する要素の数々に生成AIらしさを覚えた。では、自分の文体に似せるよう指示を出したらどうなるか、と試したら、だいぶ私の文体に合わせてきた。

 そこまでいけるならたたき台が作れるのでは、と試したら修正量が上回った。書いた覚えはないが書いた気もする文章を直すのは認知負荷が高い。徐々に負荷に負けて、そのままでいいか、と妥協しそうになった。目指すものでも過程でもないので、たたき台を任せる案は保留にした。


 なぜ、失敗したのかを振り返ってみると、テーマやプロット、設定資料は言語化できる。問題はよく使う言い回し、単語の傾向、論理展開、価値観は言語化しにくい要素だ。詳しい自己分析が必要だし、分析できても言葉にしたそばから陳腐化する。観た映画や読んだ本、聴いた音楽、誰かの言葉をもとに常に私は変化する。この変化の規則や方向性が私らしさだと思うが、そこまで抽象度の高い要素を扱えるとは思えない。


 今はプロットと本文の乖離がないかの確認、誤字脱字のチェック、調べ事に生成AIを利用している。

 よく言われる読み飛ばしやハルシネーションの問題は依然としてある。前者は対象の文字数を減らすことと具体的に何を持って誤字脱字とするかの明文化、後者はWeb検索ツールの利用を積極的にさせることで解消しつつある。

 完全解消ではないから、最終的には自分で読み直したり、裏取は欠かせない。特に知らない事柄が出てくると、基礎の基礎から学ばないといけない。これは新しく学ぶ機会が得られたと前向きにとらえている。本屋と図書館の存在がこれほど力強いとは思っていなかった。

 ここまでやらなかったら、生成AIの恩恵が大きすぎて、自分の作品だという感覚も失っていただろう。


 先日でてきたタグと照らし合わせてみると――

 本文生成に1文字も使っていないから、AI本文利用及びAI本文一部利用に該当しない。

 がっつり、アイデアや校正には使っているから、AI補助利用に該当する。

 何も迷わずにAI補助利用のタグをつけた。ほかの作者さんと話したり、その様子を伺った限りでは、どう解釈すればいいのか悩まれているようで、私は運が良かったようだ。

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