観光地に行ったつもりだったが……

天の惹

観光地に行ったつもりだったが……

「今年の夏は久しぶりに海外へ旅行に行こうか?」

夫の萱場達也は同意を求めるかのように妻の凛に尋ねた。本当に久方ぶりの海外旅行だ。例のパンデミック騒動があり、しばらく海外旅行を控えていた。あの時は、海外からの旅行者が減り、国内旅行がお得にできた。ホテルの宿泊費は安かったし、国や自治体からも旅行時に使えるクーポンが貰えた。だが、昨今では海外からの旅行者がかなり増え、人気観光地ではオーバーツーリズムが深刻な問題になっている。わざわざ、そんな所には行く気になれなかった。

「そうだね……あなたはどこか行きたい所、あるのかな~?」

妻の凛は、何か探りを入れるかのように聞いてきた。まるで自分の行きたい所を当てて、って言っているかのように。

「どっか……そうだな~? まだ行ったことのない国なんて、どう?」

「そうだね~。どっか遠い国へ行きたいな」

「賛成」

2人は和気あいあいとした雰囲気のなか、夏休みの休暇の計画を作った。


 その夏、2人は計画通り有給を取って最初の観光地へやって来た。一番始めに行こうと思っている所は半世紀前に戦争で沢山の死者を出した場所だ。戦争はとっくの前に終わっている。今は平和、そのものだ。街の治安もかなりいい。


 ホテルからそこまでは地図を使わず行き当たりばったりで歩いて行く予定だ。ホテルを出る前に、すでにGoogleマップで検索して場所は確認済みだ。距離も1キロちょっとだし、マップを見ずに行っても問題ないはずだ。データをセーブしたいしな。ホテルを出たら、フリーWIFIは使えない。


 それに、その方が行く途中で、何か面白い物が見つかるかもしれない。ある程度、方角がわかればいい。ブラブラと歩いていれば、そのうち辿り着けるだろう。完全に迷ったらGoogleマップを使えばいい。


 2人は道草を食いながらようやく目的の建物に辿り着いた。

——ちょっと、時間を使い過ぎたかー。

でも、あまりトラブルがなさすぎると逆に面白くない。少しぐらいのトラブルは大歓迎だ。これが個人で計画、実行する旅行の醍醐味だからな。


 2人は目的の建物の前に来たが、何の案内も書いていない。

——おかしい。

だが、建物にはしっかりと2525 Smileyと住所が書いてあった。ウエブサイトに書いてあった住所と同じだ。

「ニコニコ・スマイリー通りなんて、なんちゅーうダジャレだよ」

確かに、戦争の悲劇を語り継ぐ記念館の住所にしては適切ではない。だけど2525をニコニコと呼ぶのは日本語だけだけどな。この国の言葉ではSmileyはどんな意味なのかな~? そんな事を達也はふと、考えていた。公用語は英語ではないから…… まさか、「笑顔?」なんて事ないよな~。達也のダジャレを聞くと凛はちょっとムッとした。

「ちょっとそのおふざけ、私が言いたかったのに」

「いやいや、それは早い者勝ちだろう」

「もう~」

2人はこんなやり取りをしながら、建物の中に入って行った。


 入口を入るとすぐに案内人が一人、立っていた。

達也と凛が「こんにちは」と挨拶すると、案内人の男が「こんにちは、こちらのノートにご記帳をお願いいたします」とすかさず告げた。

——いきなり記帳かよ。

ちょっと、愚痴を言いたくなった。観光地では自分が訪れた場所に自分がそこに訪れた記録を残す事はよくある事だが。だが日本では、それは観光を終えた時にするものだ。この国ではこういうものなのか。しょうがないか。郷に入れば郷に従えだ。

「はい、わかりました」

達也は返事をするとノートを見た。そこには名前、住所、電話番号を書く欄があった。

——エッー! こんなに詳しく書くの? 嫌だな~。

ここまで詳しく個人情報を晒すなんて。不特定多数に見られる可能性がある。誰かがそれを見て、悪用しないとも限らない。

「これ、全部、書くのですか?」

「はい、ここに訪れた人は皆、書くことになっています。ご協力、お願いいたします」

しょうがない。書くか! さっさと、観光したいし。達也はじぶしぶノートに記帳した。


 さて、行くか、と凛は記念館の中に入ろうとするが、達也は凛を止めた。入場料をまだ払っていないからだ。でも案内人は入場料の事を何も言わないし、2人を止める様子もない。

「凛、入場料を払わなくてもいいのかな?」

「さぁ~。私に聞かれても……」

どうしよう。達也は思いふけった。まぁ、聞けばいいか。

「すいません。にゅうじょう……」

達也は案内人に聞こうとすると、凛が達也の袖を引っ張って止めた。

「別に何も言われてないから、そのまま行っちゃてもいいのでは」

「本当にいいのかな~。そんな事をしても」

「偶然、今日は入場料タダの日なんでしょう。それに入口に何も書いてなかったし」

「まぁ、確かに何も書いてかったが……」 


 2人は入場料を払うことなく建物の奥へ入っていった。ひとつ気付いた事は記念館にしては殺風景な事だ。全く、観光客がいない。達也と凛の2人だけだ。それに、案内どころか、展示物も碌にない。ただ、古い調度品がまばらに置いてあるだけだった。

——有り得ないだろう、普通。これで、戦争の悲劇を伝える事ができるのか?

それに中の様子はサイトで見た物ともかなり違うような。改装でもしたのかな? まさかな。


 達也はあちこちで写真を撮った。Googleマップに写真をアップロードする為だ。そこでこの観光地をレビューをするつもりだ。これだけサイトの説明と違うと、どこかでこの事を説明しないと。折角、ここへ来たのだから、もっと、歴史の説明をして欲しかったよな。これは確実にマイナス評価になるな。


 2人は更に奥に入ると、急に空気が重くなった。肩に何か変なプレッシャーがかかっているような感じがして、嫌な気分になった。奥へ入るにつれ、一歩一歩が重く感じる。まるで墓場の中で肝試ししているようだ。これが戦争の爪痕というやつか? 凛がいきなり愚痴をこぼした。

「くっーさー!」

奥からホルマリン臭みたいな鼻を突く匂いが漂ってきた。確かに、これは強烈な匂いだ。耐えられないほどに酷い。ホルマリン臭が漂ってきた先には棺らしき物が置いてあった。2人は鼻を摘みながら一緒に棺に近づいた。棺だから死体が入っているのだろう。まさか、本物の死体ではなかろうな。で、ホルマリン臭、必要? そこまでリアルにこだわる必要があるのか? 興味をそそられた2人は棺の中を覗き込んだ。

「わぁー!」

達也は棺の反対側に回ると、凛を下から覗き込むように大きな声を上げた。

「もう、びっくりさせないでよー!」

凛も大きな声を出して、抗議した。入口の方から案内人が口に人差し指を当てて「しぃー!」と囁くと2人を睨みつけた。かなり怒っているようだ。

「騒がしくして、すみません」

達也と凛は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。ちょっと、失敗したな。こんな厳正な場所であんな馬鹿騒ぎをするとは。達也は深く反省すると凛を見た。

「俺達、怒られちゃったね」

「もう、あなたの所為よ」

2人は小声で言い合った。


 2人が見た棺の中の死体は酷い状態のだった。何か大きな事故にでも巻き込まれたような死体だった。皮膚がただれて、死後、随分と経っているようだ。これが、戦争の傷跡か? それにしても、どう見ても作り物には見えない。なる程、最近のテクノロジーはこんなに凄い事になっているのか? これ程の物が作れるのとは。皮膚の質感や髪の毛の付け方や死体の損傷ぶりも実に超リアルだ。これだと本物と区別はつかない。


 もうここで見るべき物は全て見た、と思い、2人はそこを去ることにした。建物を出ると丁度、昼時だったのでレストランへ行くことにした。レストランは前もって決めていた所だ。Googleマップによればそのレストランはここから約5百メーター先にあるイタリアンレストランだ。達也は場所を確かめるため、Googleマップを開いた。

——あれ~。おかしいな~。レストランがないじゃん! どこへ行った。

達也はGoogleマップを操作していると、不意に声を上げた。

「アッ!」

「どうしたの?」

達也は凛を申し訳なさそうに見て言った。

「ちょっと、言いにくい事、言っていいかな?」

「え~、何か嫌な予感がするんだけど……」

「確か、今日の観光予定の記念館、Traytonという街にあったよな」

「うん、そうだね」

「この街、Traysonっていう名前なんだよ」

「エッ! どういう事?」

「番地と通りの名前は同じだけど、街の名前が1文字違いで別の街だったわ」

「まさか……って言う事は……」

「あぁ。あれ、本物の葬式だったわ」

「もう、やだー! あんな生々しい死体なんか見たくなかったのに!」

「面目ない。ごめん」


 達也は後悔した。今日、ホテルを出る前、面倒くさがらずに素直にGoogleマップ検索で「Trayton War Memorial House of Prayer」、或いは「Trayton戦争記念館」と検索しなかった事に。達也がした検索は「2525 Smiley」だ。こちらだとかなり短くて済む。まさか、戦争記念館と霊廟の番地とストリートの名前が同じだとは。こんな偶然、本当に有り得るのかよー。偶然が何度か重なり合い、この霊廟に辿り着いてしまった。まじ、勘弁してくれよ。 


 2人はレストランに行くのを止めた。あんな生々しい死体を見た直後だ。もう完全に食欲がなくなってしまった。達也は意欲をなくすと、思わず愚痴ってしまった。

「もう……観光地に行ったつもりだったが……見ず知らずの人の葬式に行っちゃっちゃよ!」

「あなた、最低!」



*街の名前は架空の名前です。適当に付けました。

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