第9話
爪の音が、路地に響いていた。
宵ヶ丘の街灯の下で、私は――セレススピアは、槍の穂先で魔災獣の突進を受け止めていた。
姿形はハイエナに近い。
けれど背中から突き出た棘は、獣というより鉄杭のようだ。
動くたびに黒煙を散らし、目は光のない濁った穴のように見える。
「——ドロップ、そっち行ったわよ!」
わざと体をひねって、魔災獣の軌道を横へずらす。
黒い影が、後衛であるドロップの方へ標的を変えて跳ねた。
「ひゃっ……こ、こっち来ないでくださいっ……!
《アクア・ウェイブ》っ!」
シルバードロップ――ドロップが慌てて弓を構え、
足元から半円状の水の衝撃波を弾き出す。
透明な波が地面を叩き、魔災獣の足を払った。
体勢が崩れる。その一瞬。
「今」
私は槍を突き出し、手首に力を込める。
穂先から、ぱち、と電気が走った。
「《スパーク・スティング》」
青白い電撃が魔災獣の脚に絡みつき、筋肉を痺れさせる。
動きが止まった——。
「いっっけーっ!!」
そこへ、金髪の影が飛び込んだ。
サンブレイド――ブレイドが軽い足取りで踏み込み、双剣を振り抜く。
光を引く斬撃が、魔災獣の胴を十字に裂いた。
黒煙と光の粒が一緒に舞い上がり、獣の姿は崩れて消えていく。
「っは〜〜……やったぁ……!」
「……ふぅ。三人なら、この程度ね」
「こ、今回も、なんとかなって……よかった、です……」
ドロップが胸を押さえて息を整え、
ブレイドはその隣で双剣を肩に担いで笑っている。
そのとき——耳元の通信が鳴った。
『宵ヶ丘第二区域、小規模個体一体、殲滅確認。ブレイドさん、セレススピアさん、シルバードロップさん、お疲れさま……ですが』
志乃原さんの声色が、そこで少し変わる。
『追加反応を確認しました。宵ヶ丘第二ブロック周辺にて、魔災獣反応三件。うち一件、高出力です』
「さん……? 今ので終わりじゃなかったんですか?」
ブレイドが眉をひそめる。
『本部の予測値を超えています。分裂・増殖パターンも観測されておらず……この区域で、同時三体の群れ行動は、最近の記録にはありません……』
志乃原さんの声に、わずかな焦りが滲んだ。
『本来であれば、上位ランクの増援を他区域から先行投入すべき案件ですが……現在、第一区域と第四区域も対応中で、即時派遣が難しい状況です』
「つまり、まだ三体残ってるってことね」
私は短く息を吐き、槍を持ち直す。
「わかりました。では、位置情報を——」
「ま、待って……!」
ドロップの声が震えた。
魔力の揺れに敏感なのは、いつも彼女だ。
「前方……正面から……つ、強い魔力反応、来てます……!」
私たちは一斉に前を見る。
——空気が、ひび割れた。
月光の下、目の前の空間に細い線が走る。
ガラスを爪で引っかいたような音とともに、その線がぱきんと広がり、
小さな裂け目になった。
そこに、影が身体を滑り込ませるようにして現れる。
「……っ、大きい……」
さっき倒した個体より一回りは大きい。
背中の棘は長く太く、踏みしめるたびにアスファルトがきしむ。
牙が濡れたように光り、黒煙が熱を持った息みたいに漏れ出していた。
「セレスさん……よ、横にも……」
ドロップが青ざめた顔で周囲を見回す。
「右側……左側にも、二体……ま、魔力、感じます……!」
三方向。
包囲された。
『反応を確認……大型一体、中型二体。出現パターン、中央データベースに該当なし……』
通信の向こうで、何人かが小声でやり取りしている気配がする。
『……セレススピアさん、現在位置近傍の即応戦力は、あなたたち三名のみです。他区域からの増援要請は出しましたが——』
「つまり、増援はすぐには来ないってことですね」
言葉を遮るように告げると、わずかな沈黙が返ってきた。
『……申し訳ありません。到着までには、ある程度時間がかかります。無理な交戦は——』
「了解。じゃあ、それまで持たせるわ」
私はそう答えて、二人に顔を向ける。
「ブレイドは右。ドロップは左を牽制して。正面の大型は、私が止める」
「りょーかいっ! 右の子、あたしが相手する!」 「こ、こんなの聞いてませんよぉ……で、でも、がんばります……!」
それぞれが持ち場へ散った。
次の瞬間、大型の背中の棘が、ぎらりと一斉に光る。
低く身を沈め、前足が地面を抉った。
「来る——!」
咆哮とともに、地面が波打つ。
黒い瘴気を纏った魔力由来の衝撃波が、一直線に押し寄せてきた。
「っ……!」
私は槍の石突きを地面に突き立て、全身で衝撃に耐える。
ドロップは慌てて前方に水の膜を張り、
ブレイドは瞬時に足を踏み切ると、宙へ跳んだ。
衝撃の壁を、くるり、と軽い宙返りでかわす。
近くのガードレールに片足で着地し、その反動を使って路地へ戻る——が、
足元まで揺れに飲み込まれ、着地の衝撃に膝をついた。
「いたたたっ……なにあれ、反則じゃない?」
「文句言ってる余裕、ある?」
恐らく体制を崩して隙を作る為の行動だろう。
衝撃が収まるより早く、左右から中型二体が飛び出してくる。
「右は、あたしが行くっ!」
ブレイドが転がる勢いのまま立ち上がり、右側の魔災獣に突っ込む。
牙と双剣が何度も交差し、火花が散った。
緩んだ口元とは裏腹に、その動きは獣と並ぶ速さで駆け、跳ねる。
「ブレイドさん、あんまり前に出すぎないで……っ!」
「でも! また挟み撃ちされちゃうってば!」
左側では、ドロップが連続で水の衝撃波を放ち、
なんとか距離だけは保っていた。
「《アクア・ウェイブ》!、……《アクア・ウェイブ》っ!
……こ、来ないでくださいぃ……!」
けれど、その焦りがそのまま魔法の乱れになっている。
波の形はどんどん荒くなり、威力も目に見えて落ちていった。
正面の大型は、さっきの衝撃波で距離を詰め損ねたらしい。
こちらを見据えたまま、ゆっくりと歩を進めてくる。
「あなたは、ここから先に行かせない」
私は槍を構え直し、狙いを定めた。
「《スパーク・スティング》!」
電撃が前脚を打ち、筋肉を痺れさせる。
大型の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
——でも、本当に一瞬だけ。
背中の棘を軋ませながら、さらに一歩、重く地面を踏みしめてくる。
「これは……かなりタフね…」
『セレススピアさん、現在位置を——』
「交戦中。大型一体、中型二体。三方向同時は、正直きびしいです」
息をまとめて吐きながら、できるだけ冷静な声で伝える。
『……増援部隊は移動中ですが、到着には——』
そこで、またあの音がした。
大型の腹部が、不自然に膨らむ。
背中の棘がさらに光を増し、喉の奥で低い唸りが渦を巻き始めた。
「——さっきのより、強いのが来るわよ……!」
広範囲に、さっき以上の衝撃が走る前兆。
距離も、角度も悪い。この布陣では、きれいに避けきれない。
「この距離じゃ……防ぎ切れないかも……!」
私は思わず奥歯を噛みしめた。
ドロップの水の障壁では、おそらく受け止めきれない。
ブレイドにだって、あの範囲を一気に飛び越えるほどの余裕は、もうない。
どうにかするしかない。けれど、手札が足りない——。
そのときだった。
ぎぃぃん——。
金属の悲鳴みたいな音が、上から落ちてきた。
「……え?」
視線を上げるより早く、
数本の鎖が空から降ってきて、
大型魔災獣の周囲の地面に突き立った。
杭のように、円を描くように。
次の瞬間、鎖が一斉に縮み、
巨大な身体を、横から締めつける。
大型が、濁った声で咆哮をあげた。
さっきまで溜め込んでいた衝撃の気配が、途中でねじ切られて霧散していく。
「鎖……ってことは——」
「やっぱりだ! 鎖の子だ!!」
右で魔災獣と斬り結びながら、ブレイドが嬉しそうに叫ぶ。
私はもう一度、上を見た。
夜空の少し低いところに、黒いドレスの少女が浮かんでいた。
裾は焦げたようにところどころ破れ、そこから伸びる無数の鎖が、
まるで彼女の影そのもののように揺れている。
顔は伏せられていて、目元はよく見えない。
ただ、静かにこちらと魔災獣を見下ろして——
「……まにあった」
小さな声が、そっと降りてきた。
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