鎖編みのミスティカ~会社に縛られていた社畜が鎖のTS魔法少女になる話~

@topazrf

第1話




息が切れる。

肋骨の奥が痛い。

足場なんてない、両手の皮はとっくに剥けて、血で滑る。

それでも——登るしかなかった。


あの会社に戻るくらいなら、死んだほうがマシだった。


金網の向こうは、暗い夜空と湿った風。

背後では、監視カメラの赤い点滅が不気味に光っている。

無機質な社員寮の壁。深夜でも灯りがついたフロア。


タイムカードは空欄ばかり。きっと月末に当たり障りのない数字を勝手に打刻されるのだろう。

休みなんてものもあるはずなく、曜日感覚も無くなってしまった。

毎日が「今日中」と「今すぐ」で回っていた。


クレーム処理。徹夜明けの納期調整。

指示書すら来ない仕様書変更。

「君の責任感に期待してる」なんて、言い訳と逃げ道のセット。


生きてるのか死んでるのか、わからなかった。

最後に鏡を見たのはいつだろう。

上司の名前と役職は全部覚えてるのに、自分の顔だけ思い出せなかった。


「っ……」


鉄条網が指に食い込む。皮膚が裂ける音さえ聞こえそうだ。夜風に晒されているはずの鉄が熱くすら感じる。

それでも手を止めれば、また戻される。

 

「…逃げるなんて、君らしくないな」

誰かの声が脳内で再生される。


登る。登る。

最後の一歩を、踏み出す。


フェンスのてっぺんに手がかかった瞬間、世界がぐらついた。


あ、とか、そんな声も出ないまま、

俺の体は金網の向こう側へ、崩れるように落ちた。 





 

 



  

……うすい光が、まぶたの裏に滲んでくる。


「……ん」


目を開けると、視界に入り込んできたのは、灰色のコンクリートと濡れた段ボール。

あまり綺麗とは言えない路地裏の地面だった。


少し湿った空気。遠くでカラスが鳴いている。

上を向けば、夜明け前の空がかすかに白み始めていた。


「……あれ」


体が、軽い。


昨夜の痛みも、熱も、重さも、どこかへ消えていた。

夢だったのかな、と思った。


上体を起こそうとして、足を動かした瞬間。


「——っ、わっ」


バランスを崩して前につんのめる。

作業着のズボンの裾が足に絡まり、コケた。


膝を打ったけど、やっぱり痛くなかった。

……いや、それより。


「こんな……おおきかったっけ?」


ズボンのサイズが合ってない。ブカブカだ。

シャツも肩がずり落ちそうで、袖が手を覆っていた。


ふと、気づく。

地面が、妙に近い。視界が低い。 ……いや、違う。自分が、縮んでる?


近くに、割れたガラスの破片が落ちていた。

反射で顔を覗き込む。


「……え?」


映っていたのは、小さな女の子。

暗めの髪がぐしゃぐしゃで、顔にはまだ汚れが残っている。

でも確かに、自分だった。


知らない顔。でも、目元が少しだけ、昔の写真に似ていた。


「……ぜんぶがちいさい……」


声が、高い。

頭の中では“俺”の声のつもりだったのに、

口から出たのは、やけに柔らかい“わたし”だった。


「なんで……?……これ……わたし?」


声もうまく出ない。言葉が、上滑りする。

思考が混乱してるはずなのに、不思議とパニックにはならなかった。


——体が、気持ちを引っ張ってる。


不思議な感覚だった。

でも、なぜか恐くなかった。


……たぶん、疲れてたんだと思う。

心も、身体も、全部。

 

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