第7話 契約妻の女官勤め(1)

 契約婚からひと月後、ついに撫子なでしこは女官として宮中に上がる日を迎えた。


 初出勤ということで、優雅ゆうがと共に皇宮こうきゅうへ向かうこととなった。

 玄関で待っていた撫子の前に、秋仕立ての軍服を着た優雅が現れた。大きく変わらないが、生地は厚みのあるものに、着丈は長めの仕様に変化している。


 優雅は撫子をまじまじと見つめると、口を開いた。


「何というか、健康的な見た目になったな」

「そ、そうでしょうか」


 日々湯浴みや手入れを行うようになり、髪質は格段に良くなった。また栄養のある食事をとるようになり、肌つやも改善した。宮中でお仕えするには、見目の美しさも大事だと出来る範囲で指導された結果だ。お勤めする良家の子女には遠く及ばないだろうが、それでも努力を認めてもらえたのはうれしい。


 身に着けているのは朱鷺とき色の格式高い着物で、上半身は無地で裾回りに菊を始め秋の草花が描かれている。髪は結い上げずに、横髪をすくってかんざしで一つに留めていた。


「ありがとうございます」


 一礼すると、優雅はさらに目を見張る。


「お辞儀の仕方までさまになっている」


 心が温かくなって、撫子はほんの少し口角を上げた。とはいえ、これが笑えているのかはよくわからない。笑顔の練習も行ったが、不自然になってしまうらしく、感情を出しすぎるのも品がないように見えるので、無理せず今のままでもよいでしょう、ということになったのだ。


 このひと月は忙しすぎてあっという間であった。


露草つゆくさの指導は大丈夫だったか?」


 優雅に尋ねられ、撫子は言葉を選びながらも素直に答えた。


「それなりに厳しくはありましたが、面白いお話や楽しいお話もございましたので、興味深く学ぶことが出来ました。何よりもしっかりしたお食事をとること、身を清めること、休むことの大切さを教えてくださったのは大きかったです」

「それは何よりだ」


 優雅はうなずいた。彼は軍の官舎で過ごしていたし、そのうちの二週間は夏の御用邸へ向かった東宮とうぐうの供奉として付き従っていたため、顔を合わせたのは数えるほどしかなかった。


「本当は、人に任せるのは性に合わないのだが、こればかりは俺が介入することは出来ない。だからこそ、これは君に頼む大事な仕事だ。くれぐれも、東宮さまのお心が安らげるよう、誠心誠意お仕えをしてくれ」


 その言葉に撫子はしっかりと頷いた。



 優雅と共に皇宮の御門をくぐると、この日は一人の女性が出迎えに現れた。

 赤いはかまに藤色の帯のない着物という独特の格好をしている。裾を引かないよう腰でお端折はしょりは作られているが、帯がないのでゆったりした印象を与えた。髪は後ろで一つに結い、年齢は撫子よりひと回り上だと思われる落ち着いた雰囲気の女性だった。


「東宮女官長。本日からよろしく頼む」


 優雅のあいさつに合わせて、撫子も頭を下げた。


「よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 東宮女官長と呼ばれた女性は淡々とした声音で返答した。つまり、この人が撫子の上司に当たる人らしい。


「まずは、皇后さまにごあいさつをします。こちらでもしも皇后さまの許しを得られなければ、お下がりいただきますのでそのつもりで」


 容赦のない通告に、撫子の緊張は一気に高まった。

 優雅とはここで分かれ、撫子は女官長と共に皇后の住む宮殿へと向かった。

 現れた建物に撫子は目を見張った。


(大きな建物……!)


 宮殿の外観は和風建築で、瓦屋根の寝殿造りだ。寺の本堂のような見た目で、豪華な洋館を想像していた撫子は意外に思った。だが、撫子の知っているどの建物よりもはるかに大きい。

 そして臣下用の間口から宮殿内部に足を踏み入れると、予想外の光景にさらに圧倒された。

 花鳥風月の絵が描かれた絢爛けんらんな格子天井。り下げられた豪奢ごうしゃなシャンデリア。敷き詰められた絨毯じゅうたん。和の外観に反して、内部は洋風になっている。

 和の伝統と西洋の技術のすいが詰まった、まさにこの国の中心となる建物なのだ。


「こちらが正殿。儀式などが行われる際に使用されます」


 東宮女官長は廊下を歩きながら説明をしてくれるが、ろくに頭に入ってこない。自分がこのような所にいるのは場違いだとひしひしと感じながら、撫子は後を付いていった。

 皇宮は政務や儀式などを行う「表」、帝や皇后などが日常を過ごす「奥」に分けられている。

 長い廊下を進んで、鶏の絵が描かれた杉戸を開く。そこから先が「奥」と呼ばれる空間であった。


 女官のお召し替え用の部屋で、撫子は身支度を整えられた。

 手伝ってくれたのは、女官らの身の回りを整える女性たちであった。気後れしながらも、撫子は初めて袿袴けいこという宮廷女官の装束姿となる。緋色ひいろ切袴きりばかまに、鮮やかな緑地の絹のうちきであった。

 髪型は、今は洋装の者もいるので規定は以前より緩くなっているそうだが、これから皇后の御前に参るので、古風なときさげと呼ばれるものに仕立てられた。

 出かける時に髪を結い上げないのは何故なぜだろうと思っていたのだが、ここで直すからだったのだ。


(おひなさまみたい……)


 撫子はみやびな姿に、思わずため息がもれた。

 最後にお端折りを作って、裾が床に擦れないようひもでたくし上げる。女官の格好はこのようになされているのか、と撫子は納得した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る