夢鬼ごっこ

サクライ

第1話 終わらない鬼ごっこ

私を追いかけてくるのは、子供の頃の私だった。


小学校の廊下。誰もいない。

後ろから足音。

振り返ると──女の子。小学生くらい。


私だ。


十歳くらいの、子供の頃の自分。

ランドセルを背負って、こちらをじっと見ている。


そして、ゆっくりと歩いてくる。


夢の中の私は、なぜか逃げようとした。

走ろうとする。

でも体が重い。

まるで水の中を走っているみたいに、思い通りに動けない。


声を出そうとしても、喉が詰まって音にならない。


後ろを振り返る。

子供の私は、変わらずゆっくりと歩いてくる。

急いでいる様子もなく、ただ静かに。


怖くはなかった。

むしろ、不思議な感じ。

懐かしいような、でも少しだけ違和感があるような。


そして──目が覚めた。


---


目を覚ますと、朝の光が薄いカーテン越しに部屋に差し込んでいる。

時計を見る。午前六時三十分。アラームが鳴る十分前だ。


山下優衣は上半身を起こし、枕元のノートに手を伸ばす。

夢日記──というほど大層なものではない。

ただの落書き帳に、見た夢をメモしているだけだ。

シャワーを浴びて、適当に朝食を済ませ、大学へ向かう。水曜日の一限は心理学の演習。出席を取るから休めない。


電車の中でスマホを開く。Twitterのタイムラインを眺めていると、ある投稿が目に留まった。


『最近、自分に会う夢見る人多くない?子供の頃の自分が夢に出てきた。不思議な感じ。#夢日記』


いいねが三百以上ついている。


リプライを見る。


『わかる!私も見た』

『俺も。なんか懐かしい感じだった』

『自分が二人いる夢って、深層心理がどうとか?』


優衣は少し驚く。同じような夢を見ている人、結構いるんだ。


検索窓に「自分に会う夢」と入力する。


関連するツイートがたくさん出てくる。ここ数日の投稿ばかりだ。


『夢の中で子供の頃の自分に追いかけられた。でも怖くない。むしろ楽しい感じ?』

『老人の自分が夢に出てきた。不思議体験』

『自分が二人いる夢、流行ってるの?』


へえ、と思いながらスクロールしていると、電車が駅に着く。


大学に着いて、教室に入ると、すでに何人かが席についていた。


「おはよー、優衣」


明るい声が響く。伊藤美優だ。同じゼミの友人で、いつも元気な女の子。今日も相変わらず笑顔だ。


「おはよう」


優衣が隣に座ると、美優が身を乗り出してくる。


「ねえねえ、最近変な夢見ない?」


「変な夢?」


「うん。自分が出てくる夢。子供の頃の自分とか」


優衣は少し驚く。


「見る。今朝も見た」


「マジ?」美優の目が輝く。「私も!昨日見たんだけど、小学生の頃の私が夢に出てきて」


そこへ、山本拓海が教室に入ってくる。長身でクールな印象の男子学生だ。ゼミでは冷静な意見を言うことが多い。


「山本も変な夢見た?」美優が声をかける。


「変な夢?」拓海が眉を上げる。


「自分が出てくる夢」


「ああ...」拓海が少し考える素振りを見せる。「そういえば、昨日見たかも。高校生くらいの自分」


「やっぱり!」美優がぱんと手を叩く。「みんな同じ夢見てるんだ」


続けて、松本香織と林大樹も教室に入ってくる。


香織は物静かで、いつも夢見がちな雰囲気の女子学生。大樹は好奇心旺盛で、何でも面白がるタイプだ。


「ねえ、二人も自分が出てくる夢見た?」美優が尋ねる。


「見た」香織が小さく頷く。「子供の私が、ずっとこっちを見てた」


「俺も」大樹が笑う。「なんか追いかけられてる感じだった」


優衣は不思議に思う。五人全員が、同じような夢を見ている。


「これって...流行ってるのかな」


「SNSでも見たよ」拓海がスマホを取り出す。「結構みんな同じこと言ってる」


画面を見せてくれる。さっき優衣が見たのと同じような投稿が並んでいる。


「なんかの集団心理?」大樹が首を傾げる。


「それか、誰かがSNSで話してて、無意識に影響されたとか」拓海が分析口調で言う。


「でも私、そういう投稿見る前から見てたよ」香織が言う。


「私も」優衣も頷く。


「じゃあ偶然?」美優が不思議そうな顔をする。


「偶然にしては...」優衣は考える。「多すぎる気がする」


その時、教授が教室に入ってきて、授業が始まる。


演習の内容は「集団心理と暗示」についてだった。人は無意識のうちに、周囲の人間や情報に影響を受ける。特にSNSの時代では、情報の伝播速度が速く、集団ヒステリーのようなものも起こりやすい。


授業を聞きながら、優衣は考える。


自分たちが見ている夢も、そういうものなのかもしれない。誰かが最初に言い出して、それが広まって、みんなが同じような夢を見るようになった。


でも──


なぜか、そうじゃない気がする。


説明できない違和感。


授業が終わって、五人で学食に向かう。


「それにしても不思議だよね」美優がトレイを持ちながら言う。「みんな同じ夢」


「怖い夢ってわけじゃないけどね」大樹が笑う。「むしろなんか、楽しい感じだった」


「楽しい?」優衣が聞き返す。


「うん。追いかけられたんだけど、鬼ごっこしてる感じ?遊んでる感覚」


「分かる」香織が小さく頷く。「私も。怖くなかった」


優衣も思い返す。確かに、恐怖は感じなかった。ただ不思議で、懐かしくて。


「でも夢の中って、思い通りに動けないのがもどかしいよね」拓海が言う。


「それな」大樹が同意する。「走りたいのに走れないし、声出そうとしても出ないし」


「夢あるあるだね」美優が笑う。


五人で席に座る。


優衣は自分のスマホを取り出して、もう一度検索してみる。


「自分に会う夢」「自分が二人いる夢」「夢の中で追いかけられる」


投稿は増えている。さっきより多い。


そして、あるまとめサイトの記事を見つける。


『最近流行りの不思議体験「夢の中の自分」現象とは?』


クリックする。


記事には、こう書かれていた。


『夢の中で、過去や未来の自分に会う。追いかけられることもあるが、恐怖感はない。むしろ楽しい、懐かしい感覚。若者を中心に報告が増加中。心理学的には、自己認識の表れとも言われているが、詳細は不明』


「へえ...」


優衣は記事を読み終えて、スマホを置く。


「どうしたの?」美優が覗き込む。


「いや、同じ夢見てる人、結構いるみたい」


画面を見せる。


「マジで流行ってるんだ」大樹が興味津々の表情。


「でも、なんでみんな同じ夢なんだろう」香織が不安そうに言う。


「分からないけど...」優衣は言う。「ただの偶然、だよね」


でも、心のどこかで、違和感が消えない。


その夜。


優衣はいつも通り、ベッドに入る。


枕元のノートを開いて、今日のことを少しメモする。


『みんな同じ夢を見ている。SNSでも話題。なぜ?』


電気を消す。


暗闇の中で、今日の会話を思い返す。


「夢の中で、自分に会う」


不思議な現象だ。でも、悪いことじゃない。むしろ、ちょっと面白い。


そう思いながら、目を閉じる。


意識が、ゆっくりと沈んでいく。


そして──


夢が、始まった。


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