雲の彼方へ
スギモトトオル
本文
白い聖者たちが列を成して行進していく様を、我々はずっと見届けていた。
聖者は白い姿をしていて、ローブのように頭から被り身に纏わせた布地も、その隙間から覗く滑らかで陶磁のような肌も、彫刻の様に真っ白で滑らかで、彼らは我々の知る限りの世界の中にある何物にも似ていなかった。
我々は山の中に住まう者。峻険な山脈の奥、寒く厳しい枯れた峠に幾重にも守られ、何人も外界の者はここへたどり着く事はできない。聖者たちを除いては。
我々はその“聖者たち”を、神を崇めるのに似た心持で恭しく受入れ、そして見送った。
彼らは我々の村をすり抜け、そのまま奥の峻険たる山の中へと消えていく。禁足地であるその山が頂く霧の向こうに何があるのか、我々は知らない。
我々はただ、足音を聞き、部屋の中で祈るのだ。彼らが通り過ぎていくのを、傍に感じながら。見ることは決して許されない。私が彼らの姿を見るのは、たまたまこちらに向かってくる行軍と里への帰り道に遭遇したことがあったからだ。
数ヶ月に一度、遠くから聞こえて来て、村の真ん中を通り、去っていく。その行進の足音は軽く、まるで書物を一葉ずつめくっているかのような静けさがある。聖者は我々よりもずっと身の丈が高いのだが、きっと、我々には及びもつかないものを肉としているのだろう。そうでなければ、あの神々しい白磁の肌はありえない。
足音が聞こえなくなるまで、我々は彼らの姿を見てはならないし、彼らの前に姿を見せてもいけない。そう定められた
今日も、また遠くから聞こえてくる。鳥の羽が何十、何百と同時に羽ばたくような、行進の音。福音に似た聖者の音。
我々は、彼らの福音を祈り、その音を聞き続ける。
――――――――「手記」より
* * * *
木々の間を少年の足音が駆け抜けていく。
森は深く、地面には太い根がうねるように凹凸を作り、頭上からは枝葉や蔦が垂れて行く先を隠している。
そんな中をティレは迷うことなく、一枚の木の葉が川の流れに乗っていくように、すいすいと進んでいくのだった。
彼は肩に布の袋を担いでいる。そこには里の人々から預かった様々な書簡や手紙が入っていた。まだ成人前の子供ながら里で一番に足の早いティレは、こうして里の者たちの言葉を“外界”とやりとりするための仲介役を担っているのだった。
里から峠を二つ超えたところに山小屋があり、そこに住んでいる外界人の爺さんに手紙を渡し、代わりに外界からの手紙を受け取って、里まで届ける。そういう重要な役割をティレは任されている。
深い藪を抜けたところでティレはようやく一息つくことにした。近くに流れていた川の水を水筒にすくって喉を潤す。
「ふぅ……もうじき半分かな。まったく、毎度辛い役目だぜ」
そうぼやく少年の独り言の声には、どこかまんざらでもない響きがある。大変ながらに、自分の任せられている仕事に誇りを持っているのだろう。
彼が何気なく周りを見渡していると、ふと、違和感に気がついた。
「なんだ……洞窟か?」
目を凝らすと、川を遡った先にある岩肌に穴が空いているのが見えた。
その手前には黒く焦げた木の株があったことから、先日の雷で大木が倒れ、隠れていた洞窟が現れたのだろうということが分かった。
ふうん、と小さく興味を持ち、水筒を腰に提げ直すとティレはその洞窟へ向かって川をジャブジャブ上っていった。
ティレは洞窟を覗き込んだ。
洞窟の奥は深く、カーブしているため、どれほどの長さなのかは分からない。ただ、内部は仄明るく、わずかではあるが風の存在もティレは肌に感じている。
「一体どこに繋がっているんだ……」
里の大人達からも、こんな場所にこんなものがあるなんていうことは聞いたことが無い。謎の洞窟に心なしかティレの胸は期待で暖まっていた。
ただ、今はお役目の途中、そう思い入り口から覗き込んでいた首を引っ込めようとしたとき、洞窟の中にキラりと光る何かが落ちているのを視界に捉え、ティレはそれを拾った。
「なんだ、これ」
ティレが拾ったのは、真っ白な何かの欠片だった。丸みを帯びた薄い形状をしていて、表面は滑らかだ。
上をよく見上げると、洞窟の天井には小さな穴がいくつか開いており、そこから外部の光が細く差し込んでいる。
ティレの手のひらの上にある白い欠片も、その陽光を受けて光っているように見えたのだ。
(なんだろう……貝殻でもないし、動物の骨でもない。だいいち、削って作ったにしてはツルツル過ぎだ)
ティレの胸は知らずの間にどきどきと高鳴っていた。
この洞窟の先には、何があるのだろう。どこへ繋がっていて、どんな人がいるのだろう。
考えると想像が止まらない。
ひょっとしたら、連絡所までの近道になるかもしれない。もしくは、とんでもない“何か”を発見して里に持ち帰れば、それをもとに里が豊かになれるかもしれないのだ。
そう考えると、もう止められない。元来好奇心の強い性質なのだ。
ティレは肩に掛けた布袋を握り直し、冷たい洞窟の中へと足を踏み出していった。
* * * *
何度も曲がり道を過ぎながら、ようやくティレは出口へとたどり着いた。
最後のカーブの先で、壁がかすかに明るい色に見えている。
「出口だ……!」
思わず呟く。ティレは踊るような胸の鼓動を感じながら歩を進め、果たして出口から外へと出た。
外の眩しさに慣れてくると、ティレは辺りの異常な光景に目を
そこは何かの神殿のような場所だった。
岩山の上に裂け目のように生じた狭い谷間に、明らかに人の手によるものと分かるドーム状の建築物が建っているのだった。ただし、それは長い年月を経て風化しており、天井は落ち、壁は崩れ、柱という柱は途中で折れ欠片がそこら中に散らばっている。
それでも、それは確かに何者かによって建造されたものなのだ。
(“禁足地”だ……!)
ティレはそう直感した。
大人たちから何度も聞かされていた。山の上には上ってはならない。なぜか? 何ででもだ。
はるか昔から呪われた場所なのだ、と。踏み入れば、お前も呪われて決して助かることはないのだ、と。
ティレは知らずのうちに禁を犯していた緊張感を感じながらも、同時に拍子抜けるような気分だった。
その神殿は明らかに役目を終えているものだったし、もう数十年か、百年以上も人が入っていないかのような廃れかただったのだ。これでは、呪いとやらも、もうとっくに無効となっているに違いない。そう、ティレには思えた。
『誰か、いるのですか……?』
神殿の奥からそう声が聞こえたとき、だから、ティレは殆ど悲鳴に近い声を上げてしまったのだった。
* * * *
声の主は、地蔵のような形をした、ツルツルした表面の白い物体だった。白い、といっても表面には細い蔦やら苔やらが絡まっている。それは人の姿ではなかったが、人の言葉を喋り、ミドと名乗った。
『あなたはヒジュシの里の方ですね。この岩山は聖域として
「聖域……? 呪いの山ではないのか……?」
知っているのと真反対のことを言われ怪訝そうなティレを、丸く大きな一つ目で眺め、
『そうか、あの頃からもうすでに千年近い月日が経っているのですね……取り決めが形骸化し、廃れ、そして中身が忘れられてしまっていてもおかしくない……』
ミドはそう言って視線を空へと彷徨わせる。丸く瞳の無い目で、岩山の隙間に覗く青空を映していた。
『思えば長い年月が過ぎました。ここは、かつて科学と人の融合を信奉した、ある種の新興宗教団体が建てた神殿だったのです』
「ふうん」
ミドの話を聞きながら、ティレは辺りを見渡す。
神殿の中には、建物の瓦礫に混じって、人の姿のような影があるのに気がついた。よく見れば、それは大理石のように白く硬く、実際の人の手足よりも大きい。いくつもの聖像がここで朽ちて崩れたかのようだった。
『あれらは、かつてあなたの里では“聖者”と呼ばれていた者たちです。ああ見えても、中身に入っていたのは人間です』
「人間? あれが?」
『ええ。数千年前、地上の環境は著しく変化し、人間たちは住む場所を追われていました。その厳しい環境の中で、科学技術を信奉する一派の中に、機械の身体に自らの人格を移す技術を持つ者たちがいたのです』
「人格を、移す……“
ティレの里には、死んだ者の魂を体に乗り移させてお告げや対話を行う術を持つ者がいた。
『ちょっと違いますが……まあいいでしょう。彼らはしかし、そうして環境の変化をどうにか乗り越えることが出来た一方で、無機物と化した自分たちに対する絶望を次第に育てていったのです。死ぬことの出来ぬ、老いることさえ出来ぬ体は、次第に自らへ施した呪いのように彼らには感じられました』
ミドの声はザラザラして平たいものだったが、不思議とティレはその中に憐れみのようなものを感じ取る事ができた。
『ここは、そんな彼らの教義が行き着いた、ある種の楽園への道行きのための施設なのです』
ミドはギジギジギジ、と丸い首を回し、神殿の奥を見た。
『あの奥には、人格を他の物へ移すための装置が備えられています。それと、一基の発射台も。彼らは人格をカプセルの中へ移し、そして、そのままそのレールガンで自らを打ち上げたのです』
「なんだか、あまり話についていけていないが、なんのためにそんなことを……」
『さあ、彼らの心の内を人工知能の私に汲み取る術はありません。それでも、彼らが絶望に身を焦がさないためのせめてもの足掻きだったのではないかと、私はそう思うのです』
ミドはガリガリ音を立てながら首を上に向け、かつてここに集ったという古代人たちの飛び去った空を見上げた。
『宇宙は果てしなく、可能性は無限大に広がっている。そう信じ、彼らは飛んでいった。そこに確たる計算など、きっと無かったでしょう。それでも、機械の身体すら捨て、彼らは旅立った。それだけが救いだったのです』
「わからないな。僕の先祖が住んでいた里が近くにあるんだから、そこで暮らせばよかったのに」
『もはや、彼らには生身の貴方がたを直視することすら辛かったのでしょう』
ミドはそう言うと、ゴギン、と何かが折れる音を鳴らしながら再び正面のティレへと目を向け直した。
『さて、あなたが来たことで私も久しぶりに目覚める事ができましたが、見ての通り、ここを使うべき彼らはすでに地上からは絶えてしまったようですし、この先ここが使われることも無いでしょう。私は最後に行うよう指示されたことをする必要があるので、あなたは里へ帰りなさい』
「最後の指示って、何だよ」
『それは秘密です。それを行うことで、真に彼らの眠りが守られるのです』
「なんだ、それ」
『いいから、ほら、帰りなさいって。なにか仕事の最中だったのでしょう』
それを言われて、ティレは本当ならとっくに山小屋へ着いている頃であることにようやく気がついた。
「やっべ! 僕、行かなきゃ!」
『ええ、気を付けて』
「また来るよ! それじゃ!」
ティレは慌ただしく、もと来た洞窟へと戻っていった。
『さようなら……』
ティレが無事に山小屋へ着き、大遅刻の言い訳をしている頃、山の上で大きな音と地響きが起こった。
里への帰り途中にティレは、崩れた洞窟の跡と、山の上から空へもうもうと上がる煙を見ることとなった。
その日見たことは、きっと誰に言っても信じては貰えなかっただろうが、ティレはそもそも誰にも喋る気にはなれなかった。
ただ、よく晴れた夜に、空の星を見上げ立ち止まることが、時々あった。
〈了〉
雲の彼方へ スギモトトオル @tall_sgmt
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