兄と妹の恋愛考察

沼田フミタケ

兄と妹の恋愛考察

 失恋をした。

 それはもう、こっぴどく。


「迫水くんとは……、友達で……、友達が良いかなぁって……」


 それが、今回のフラれ文句だった。

 彼女――付き合うに至っていないので三人称的な彼女――とは、この前の合コンで出会った。

 話が合って、趣味も合って、ビビっと来たのだ。――ぶっちゃけ、あっちもそう思っていたと思う。

 それから一か月。彼女と遊びに行ったり、映画を見に行ったりと、関係値を深めていった。

 そして今日、デートと食事を終え、最高のムードの中、覚悟を決め、告白したのだった。

 だが、フラれてしまった。

 やれることはすべてやった。行く場所も、レストランも、全て厳選して挑んだ。

 だが、また無理だった……。

 迫水玄さこみずげん、人生で5回目の恋は、またも実ることはなく、撃沈したのだ。


「ふ~ん……、それでお兄ちゃんはまた彼女ではなく、女友達が増えただけだったと……」


 と、玄の話を聞き終え、興味がなさそうに、でも少しうれしそうに言ったのは、玄の妹、迫水桐華さこみずきりかであった。

 フラれて帰ってきて早々、玄のベッドに寝転がりながら「告白どうだった~?」と聞いてきたので、痛む心に耐えながら話したというのにこの態度である。

 そんな妹に少しムッとしたので、「不機嫌だよー」と少しにらんでみるが、桐華は玄の視線を気にせず――というか気づくこともなく――居候いそうろうのくせに我が物顔でベッドを占領してスマホをいじっていた。

 家主の玄は着替えることなくそのままベッドにダイブし、枕を涙で濡らしたかったというのに。薄着の女子大学生にベッドを乗っ取られているためそれができないというのに。

 ――本当にふてぶてしい妹である。


「ねぇねぇお兄ちゃん」

「……なに?」

「これで何回目の失恋だっけ?」


 と、部屋着に着替えていると、また玄の心を抉るような質問をする妹。

 それに玄は落ち込んでいるのだと桐華に伝えるように「……5回目」と重々しく答えた。


「そんな少なかったっけ? もっといたような……」

「うるさいな、ちゃんと彼女欲しいって思ってからは5回目なんだよ……!」

「ちゃんと彼女欲しいって思ってるのに5回も撃沈してたんだ」

「――はぁ~!? な~にが言いたいんだい桐華ちゃ~ん? お兄ちゃんがフラれて? 悲しんでる時に? 一体な~にがいいたいのかなぁ?」

「いや、彼女欲しいよってファッションに気を付けて、筋トレもして、デートコースも考えていろいろ努力してたのに5回連続で撃沈するんだったら、もうお兄ちゃんの中身に問題があるんだろうなって」

「よし分かった表出ろ、そのまま締め出してこの家には2度と入れないようにしてやるぜこんちきしょうッ!!」


 ――叫びながら、鬼の形相で飛びかかる玄。

 しかし桐華は落ち着いていた。スマホをこちらに向け、フラッシュライトの明るさを最大にし、玄の目に照射する。

 玄が反射で目をつむってしまったその隙に、一撃。玄のみぞおちに突き刺さるように、桐華は蹴りを入れた。

「――ぐふっ……!」と、衝撃を感じた次の瞬間、桐華はベッドから立ち上がり、玄は人がいなくなったベッドの上にバタンと倒れた。


「……無念」

「残念だったねー」


 そう言いながら、玄の背中の上に座り、スマホいじりを再開する桐華。

 ――思えば、迫水玄は妹に一度も喧嘩で勝ったことがなかった。

 別に妹は格闘技を習っていたわけではない。しかし、なんというのだろうか、センスが良かったのだ。

 パワーではなく、狙う場所、それが的確だった。

 今の蹴りだって、玄の落下と蹴りのスピードが合わさり、小さい力で大きな力を生み出していた。

 つまるところ、頭の回転が速いのだ、この妹は。


「お兄ちゃんさぁ、もう彼女作ろうとするのやめたらぁ?」


 呆れたように口にした妹の言葉に、玄はピクリと反応する。


「…………いやだね。俺は絶対に彼女を作る……!」

「その熱量は一体どこから来るのさ…………」

「熱量……。――あれは、大学二年生の時……」

「語り始めたよ……」


 ――そう、あれは、大学二年生の時の話。

 加速する現代の就職活動、それに備えるため、自己分析と「60歳までの自分を想像しよう!」みたいなことを課題としてやらされた時だった。

 その時は特に何も考えず、自分のやりたい仕事と、その中でどのようにキャリア形成していくかだけ書いていた。

 そして、60歳まで自分の展望を書き終え、自分が描いた20歳から60歳までの人生を見直していると、気づいた。


『俺はこのまま、一人でずっと仕事だけをしていくのか?』と。


 玄の胸に、恐怖が渦巻いた。

 ――孤独。

 一人で生き、一人で暮らし、一人で、だれからも悲しまれることなく死んでいく人生。

 そんな人生を送るのだろうか。そう思うと、涙が出るほど、怖くなった。

 ありがたいことに、今は友達もいるし、家には妹もいる。

 だが、そのうち友達と連絡を取り合うことも減り、妹も就職しこの家を出ていくだろう。

 そうなれば、玄は一人になる。

 暗く、寒い部屋に帰宅し、だれともしゃべることなく酒を飲み、寝て、起きてを繰り返し、死んでいく。

 それが、玄には耐えられなかった。玄は、そういう人間だったのだ。


「――だから、彼女が欲しいんだよ。いずれ結婚して、一緒に人生を歩んでいくような、そんな人が、欲しいから」

「あー……、なるほどねー、そういう感じだったんだ……」


 興味なさそうにスマホをいじっているが、少しトーンが落ちた声で、桐華は言った。


「――お兄ちゃん」


 そして、桐華はおもむろにスマホの電源を切って立ち上がり、玄を見下ろすようにしてこう言った。


「だったら彼女作る必要ないよ」


 ――は? と、声は出なかったが、そういう表情を玄は妹に向けた。

 そんな玄の様子に、桐華はあきれたようにため息を吐く。


「あのねお兄ちゃん。お兄ちゃんのそれは、が欲しいんじゃなくって、がほしいっていうんだよ」

「……違い、が?」

「あるよ、全然あるよ。彼女と妻だったら雲と泥くらい差があるよ」


 イマイチ容量がつかめないような表情をしていると、桐華が「仕方ない、優しい優し~い妹が彼女と妻の違いについて教えてあげよう」と、どこからともなく小さめのホワイトボードを取り出して、キュッキュッと図と文字を書き始めた。

 ――いや、ホントにどこから出てきたんだあのホワイトボードは……。


「いいですか? ――あっ、教えるんだから寝転がってないでちゃんと正座して聞いてください」

「――俺を倒した張本人がいうんじゃねぇ。……はい、正座しましたよー」

「よろしい。では、まず【彼女】と呼ばれる状態になった女性がどんなふうになっているのか見ていきましょう」


 そう言いながら、ホワイトボードに桐華は色々なことを書いていく。

 ちなみに、これから桐華が話すことは彼女の独断と偏見と解釈が多分に入っているため、あくまで一個人の意見として聞いた方がよいとだけ言っておく。これが一般論ではないということを念頭に置いて愚妹の論を聞いてやってほしい。


「これは、私の友人の話です」

「……はい」

「私の友人は、彼氏がいる女の子。そんな彼女に、私は聞いてみました。『なんでこの人と付き合ったの?』と」

「――失礼な話だなぁ謝りに行きたいわその女の子に」

「だって園子そのこめちゃくちゃ可愛いのに不細工と付き合ってたんだよ!? まさに美女とチー牛って感じで気になったんだもん!」

「――最低だなお前マジで!? 友達の彼氏をそんな風に思うだなんてお兄ちゃんは悲しいよ! ひどい!」

「じゃあこれ見てよ! なんでこの人と付き合ったのって反射的に言っちゃうくらいなんだから!」


 そう言いながら、一枚の画像を表示したスマホを玄に見せる桐華。

 するとそこには、カップルが笑顔で撮ったであろうツーショット写真が表示されてあった。

 女性の方は、美人といった感じだ。髪も程よく染め、化粧も上手い。対して男性の方は、……こう、なんというか、確かに、イケメンではない。……イケメンではない。

 しかし清潔感もあるし、笑顔も素敵だ。やはり妹のチー牛呼ばわりは悪口だ。しかし、イケメンではない。あまり角が立たないように言えば、「モブ顔」だろうか。

 しつこいようだが、本当にイケメンではない。イケメンではない。

 美女と、モブ顔が付き合い、幸せそうに笑っている。

 確かにそこには、「なぜこの人と付き合ったのか」と反射的に質問をしたくなるような、因果を超えた現象が映し出されていた。


「……ねっ!」

「ね、じゃないよ! 確かに質問したくなる気持ちはわかるけどチー牛は言い過ぎ。世の男性がお前を総攻撃する前に謝りなさい」


 閑話休題それはともかく


「で、脱線したけど私の友達は『なんで付き合ったの?』と聞いたら、こう答えてくれました」


 ――。と。


「では今一度彼氏さんの写真を見てみましょう。どう見てもですね」

「――オイまた閑話休題を使わせる気か?」

「いいえ、本題のままなので大丈夫です。その答えを聞いて、私はこう思ったんです。このギャップにこそ恋愛の本質が、人の関係を仕立て上げる要素があると」

「ほう……、続けてください」

「――私はもっと深く聞いてみました。のか。彼女はこう言いました。『。彼といるとドキドキが止まらない』と。私はこの話を聞いて思いました。あぁ、錯覚してるんだな、って」

「……錯覚?」

「そう。そして、これこそが、お兄ちゃんに彼女ができない理由であり、お兄ちゃんが【彼女】を作ってはいけない理由。要するに、この彼氏さんが園子にしてるのは――」


 ――なんだよ。


「まぁ演技じゃなかったとしても、相手の女性に対して、相手の女性が『好き!』って思えるような人じゃないと、男の人は彼氏になれないってこと」

「……桐華がそう思ったに至るまでの経緯は? いきなり『演技なんだよ』とか『好き! って思えるような人じゃないと彼氏になれない』って言われても理解に苦しむよ。桐華そう思った理由を知りたい」


 玄がそういうと、桐華はきょとんとした顔で首を傾げたあと、何かに気づいたように天を仰ぎ、ため息を吐いた。


「……なんだよその『えっ、分かんないの? マジかぁ~』みたいな態度は」

「いや、私が悪いよ。ちゃんと言わないと分かんないこともあるからね。……で、私がそう思った理由? 園子……私の友達の言葉を思い出して」


『私のしてほしいことをしてくれる。彼といるとドキドキが止まらない』


「つまり、彼女とされている側の人は、ってこと」


 桐華は立っているのが疲れたのか、玄のデスクチェアに座ってため息を吐いた。


「彼氏は与え、彼女は与えられる。男は提供し、女はもらう。そうすると、女性は『まぁこの人でいっか』みたいな感じで、ちゃったりするワケですよ。さぁお兄ちゃん。私の言いたいこと分かる? ヒントは、の四つだよ」


 ホワイトボードに『与える、貰う、精神的、肉体的』と書いていく桐華。

 玄はそれを見ながら、先ほどの妹の言葉にこれら四つの言葉を対応させ、答えを導いていく。


「…………男は精神的な充足を女に与え、肉体的な充足を貰う。女は精神的な充足を貰ったとして、男に肉体的な充足を与える……ってことか?」

「大正解! さすが私のお兄ちゃん。さぁ、ではここで次の問題です。人生を共にし、共同生活がデフォルトになる結婚生活において、これら彼氏彼女の与え、貰うという本質が利害関係でしかない関係の発展で、結婚生活がうまくいくと思いますか?」


 それは、問題というよりも、玄の意見を聞くような問いだった。

 そしてその問いに、玄は迷うことなく、こう答えた。


「――


 シンキングタイムは0秒。即答だった。


「だってそうだろ。友達だって、先輩だって、後輩だって、波長が合わないヤツとは、うまく付き合えない。付き合えたとしても、それは自分を、から話せるだけで、ウマが合わないヤツとは、本音で話していないし、本性で話していない」

「そう。結婚生活、共同生活っていうのは、利害関係を超えた物差し人間性で測らないと、うまくいかない」

「……そっか、だから桐華は、彼女を作る必要がないって」

「そゆこと~」


 と、桐華はホワイトボードを投げ捨て、玄の隣に座り、玄の肩に頭を乗せてきた。


「どうしたんですか? 肩ズンなんかしてきて」

「疲れた~、お兄ちゃんの恋愛観矯正の役に立ったんだから『ありがと~』って頭撫でて~」

「いきなりデレ始めてお兄ちゃん困惑なんだが?」


 と言いつつも、感謝の気持ちを込め桐華の頭をなでなでする玄。


「んふふ~」


 満足そうな声を漏らしながら、今度は玄の太ももに頭を乗せてきた桐華。


「耳かきして~、天然ASMR~」

「幼児退行してる? 甘々すぎない今日?」


 駄々をこねられたら大変なので、言われるがままに耳かきを始める玄。


「あぁ~、きもちいぃ~」

「は~い、反対側向いてくださ~い」


 脳がとろけてしまったのか、およそ知性を感じない声を上げる妹の耳を掃除していると――


「すぅ……、すぅ……」

「……寝息を立ててやがる」


 どうやら眠ってしまったようだった。

 時計を見れば、既に時刻は深夜0時15分くらいになっていた。


「フラれて、電車乗って、駅から歩いて、桐華とあんな濃い話、もといの話をしてたら、こんな時間にもなるか……」


 玄はそっと桐華の頭を枕に乗せ、部屋の電気をLEDから豆電球にする。

 歯を磨いていなかったので、洗面台に行き歯を磨いて、部屋の電気を完全に消し、桐華の隣に横になる。

 ――そういえば、今日はフラれて帰ってきたはずなのに、心がスッキリとしている。

 恐らくは、桐華と話しているうちに、悲しみも、焦りも、すべて吹っ飛んだのだろう。

 将来の不安や、将来の孤独に対する恐怖は、まだ残っている。

 でもそれは、その時が来たら考えればよいのだ。そうすることにする。

 未来のことは、考えても仕方ないのだから。

 だから、今はただ、穏やかに。

 ――眠りに、つくのだ。


■■■


 ぱちりと、目覚ましも鳴っていないのに、桐華は覚醒する。

 時計を見ると、まだ4時になったくらいだ。


「……そっか、耳かきが気持ち良すぎて寝落ちしちゃったのか……」


 すでに暗順応あんじゅんのうしている目で、隣で眠る兄の姿を見つけ、小さく微笑む。


「一人で生きて、一人で暮らして、一人で、だれからも悲しまれることなく死んでいく人生……か。……心配することないのに」


 桐華は玄の体を抱いて、ささやくように呟く。


「大丈夫だよ、お兄ちゃん。私はお兄ちゃん以外の男に興味ないし、結婚願望もない。就職だって、ここの近くにするつもり」


 兄が寝ていることをいいことに、桐華は自分の気持ちを吐露し始める。それはまるで、ストッパーが外れてしまったように。


「彼女なんていらないよ、奥さんなんていらないよ。だってお兄ちゃんが欲しいのは、人生を共に過ごしてくれる人なんだから。だからねお兄ちゃん。心配することないんだよ。私はずっとお兄ちゃんのそばにいるんだから。ずっと、ずーっと一緒だよ。お兄ちゃん」


 そして桐華は、もう一度眠りにつく。

 ――未来に、笑顔を向けて。

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