0-3 Cancelled
「まさか午前便がキャンセルになるとはねぇ」
独り言は、早朝のロビーに溶けていった。
わたしの声に、誰も反応しない。
深夜便の到着から、ほんの数時間。外はもう白み始めていて、休む間もなく再び空港に戻ってきたところだった。
表示モニターには “欠航/機材点検 Cancelled” の文字が淡く点滅している。計器の一部に異常が見つかり、今朝の便は丸ごとキャンセルになったのだという。
運航管理の人が申し訳なさそうに説明してくれたが、恨む気持ちはまったくなかった。
むしろ、胸のどこかが、ぽっかりと軽くなった。
ここまで来て“何もない時間”を手にするなんて、滅多にない。
ふと、ガラス越しの外を眺める。南島の朝は、湿度を含んだ薄いミルク色の光 が漂っていた。
夜の気配はもうどこにもなく、だけど朝日の力強さもまだ完全ではない。
そんな曖昧な時間帯が、わたしの眠気と妙に重なる。
何度も訪れた島なのに、こうしてゆっくり見渡すのはほとんど初めてだと気づく。
空港へ着いて、仕事をして、すぐ飛ぶ。
いつもはそれが当たり前で、“景色を眺める余裕”なんて、ずっと置き去りにしてきた気がする。
せっかくの空白だ。このまま宿に戻って寝てしまうのも惜しい。
「……北島、行ってみよ」
気づけば、そんな言葉が口から零れていた。
地図を思い浮かべると、南島から船で三十分ほど。小さな集落と、いくつかの海沿いの店があるだけの場所。
観光地というより、素朴な静けさが似合う島。
タクシー乗り場へ歩く途中、朝の風が制服の裾をさらりと撫でていく。
その軽さに背中を押されるような気がした。
北島へ渡り、港から少し歩くと、陽射しに白くくすんだ建物が並んだ静かな通りに出た。
海の匂いと、新しく開いた店の扉の音。どこか、時間がゆっくり揺れている。
ふと視界の隅に、看板のない小さな喫茶店があらわれた。
引き戸の向こうから、真空管アンプのかすかな唸りと、コーヒーの深い香りが漏れてくる。
気づけば、わたしの足は自然と店の前で止まっていた。
その喫茶店の扉を開けた瞬間、
まだ知らなかった“半日の空白”が、
わたしの物語を少しだけ変え始めた。
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