少女魔道の成れの果て

高橋邦

1章

第1話

 まだ朝の九時を回ったばかりというのに、暴力的なまでに強い日差し。アスファルトが熱を帯びて陽炎を立ち昇らせる。


 歩行者信号が点滅をはじめ、人々が急ぎ足で横断歩道を渡る。最後尾に一人の少年がいた。その視線はスマホに吸い込まれており、周囲には目もくれない。信号が赤へと変わったことにも気づいていないようだった。


 一台のトラックが速度を落とさず突っ込んでくる。ドライバーの表情は見えない。ブレーキを踏む気配もない。

 荷物を積載した中型の四トントラックは、乗用車の数倍の重量に相当。時速四〇キロで衝突した場合、瞬間的な衝撃力は数十トンに達し、人間の体が耐えられるはずもない。


 激突まであとほんの数秒——。

 高吉琥太郎の求めに応じ、左手薬指の指輪が起動。

 指輪が一瞬煌めく。体の内側から爆発的なエネルギーが迸る。興奮剤とは比較にならない覚醒感が頭からつま先を一瞬で駆け抜けた。


 時間すら置き去りにしようかという速度で疾走。鉄の塊が少年の命を奪う寸前、少年の襟をつかみ、そのまま抱え上げる形で宙へと跳ぶ。

  次の瞬間、高吉は交差点の向こう側に着地した。


 ぐしゃりと鈍い音。少年が落としてしまったスマホをトラックのタイヤが踏みつぶした音だった。


「もうちょっと周囲に気を払え。お前もああなってたかもしれんぞ」


 高吉は少年を地面に下ろし、スマホの残骸を親指で示す。ついでに、少年の頭に拳骨を落とした。

少年はその痛みに頭をさすりながら、忙しなく高吉と周囲を交互に見渡している。突然のことに、何が起こったのかまるで理解できていないといった様子だ。


 少年の視線が、高吉の左手薬指に嵌められた指輪に止まる。

 あまり詮索はされたくない。交差点付近の人々の視線もこちらに集中しており、こちらを撮影しようとしている連中もいる。

 野次馬精神への不快さから、高吉は舌打ちする。足早にその場を去ることにした。

 背後から少年のお礼の声。高吉は振り返らず、手を振って応えた。




 都市臨海部の一角に位置する港。かつては活気に満ちた港だったのだろうが、今は見る影もない。

 港をさらに進んでいくと、廃工場がひっそりと佇んでいる。ガラス窓は割れ、隙間から薄暗い工場内部がわずかに見える。

 スマホを取り出し、着信履歴からその番号にかける。すぐに電話はつながった。


「桜庭さん、ホシの潜伏先に到着しました。これから突入してやつらの身柄を押さえます」

『了解。油断するなよ。貴様は他に替えが利かん』

「替えの利く人間なんていませんよ。人類皆平等とは言いませんがね」

『本気で言ってるのか? だとしたら、自分の価値についてあまりに無頓着だな』


 電話先の上司、桜庭京香の声には呆れの色が含まれていた。


『貴様の実力に疑いはない。そして残念ながら、急速に増加傾向にある魔法犯罪を前に、戦力を持て余しておけるほどの余裕もない。だが、我々にとって貴様の魔法を失うのは大きな痛手になる』

「俺の価値は魔法だけですか? 人間性も評価してもらいたいもんですがね」

『愚問だな』


 どちらの意味で愚問なのかは、聞き返す気も起こらなかった。


「心配せずとも大丈夫ですよ。こんなところで暢気に死んでられるほど俺も暇じゃないんで」


 通話を打ち切り、自分の左手に嵌る指輪を見る。一〇年と少し前、突如として出現したこの指輪は、文字通り世界を一変させた。指輪を媒体として発現する魔力により増幅された身体能力、そして熟練の魔法使いが行使する魔法は人間を戦闘兵器に変える。


 魔法使いが己の欲望のままに力を振るえば、それを止められるのは同じ魔法使いしかいない。警察力の抑止が効かず、日本の殺人事件による死亡者数は今や当時の五倍に増加したという。それなりに無法の時代だ。


 相手は銀行強盗の主犯が三人。人数差は不利だが、事前に調査した限りではどいつも魔法使いになりたてのルーキーども。応援を呼ぶ必要はない。

 指輪を起動。全身に力が満ち満ちていく感覚。いつ戦闘に突入しても問題ない。


 鉄製の門は大きく歪み、錆びついた鎖が今にも崩れそうな南京錠とともにぶら下がっている。

 工場内に一歩足を踏み入れる。埃っぽい空気、そして焦げ臭い匂いが鼻をつく。

 高吉はその光景に困惑を禁じ得なかった。埃に覆われたコンクリートの床の上には、三人の男たち——紛れもなく高吉の標的だった連中が無力化されて転がされている。


 高吉の注意はすでに彼らには向けられていない。

 朽ち果てた鉄製の作業台の上、その少女は腰掛けていた。窓から差し込む光が、燃え上がる炎のごとき緋色の髪を照らし出す。


 崩れかけた壁の隙間から風が吹き込んだ。長い髪の束がさらりと肩を滑り、わずかに頬をかすめるが、彼女は気にも留めない。ただ静かに、訪問者である高吉にその瞳を向けていた。

 その面持ち。その鮮やかな緋色の髪。高吉はその少女を知っていた。


「お前が火蜥蜴 サラマンダーか」

「あれっ、私のこと知ってるんですか?」


 少女の声はあどけなさを残しながらも、ほんの少し大人びた響きを帯びていた。少女の視線が高吉の左薬指、つまりは指輪に向けられる。


「お兄さんも魔法使いなんだ。ということは、もしかしてこいつらの仲間だったり?」

「違う。俺が銀行強盗なんてやらかすような悪党に見えるか?」

「正義の味方って顔でもないですけどね」

「人を見た目で判断するな。ろくな大人にならんぞ」

「見た目で判断するよう求めてきたのはそっちじゃないですか」


 くだらない言い合いをしている場合でもない。


「九十九希更。お前は魔法器具所持等取締法三条に違反している。その指輪を俺に渡せ」

「魔法……何て?」


 緋色の少女——希更がキョトンとしている。とぼけているような様子でもないので、本当に知らないのだろう。


「法の名は知らずとも、民間人の指輪所持が禁止されていることくらいは知ってるだろう」

「あ~……もしかして警察? お兄さんもそういう感じなんだ」


 げんなりした顔で希更がぼやく。


「ただのアクセサリーって言ったら見逃してもらえませんかね?」

「残念だが、諦めろ」 

「ダメか……そりゃそうか」


 過去にこの少女と同僚が接触した事例は何度かあるが、誰も指輪を没収することはできずにいた。

 別に希更が悪さをしでかしているわけではないが、こうして出会ったのならばやるべきことをやるだけだ。


「子供に手を出す大人はろくでもないやつに決まってるが、俺はろくでもない側だ。実力行使は厭わんぞ」


 魔法使いの力を見た目で推し量るのは難しい。その出力次第では、幼い少女が大の大人を圧倒するなんて驚くようなことでもない。相手が子供だからといって油断は禁物。それが世間を騒がす魔法少女——火蜥蜴が相手となればなおさらだ。


「う~ん……素直に逃がしてくれそうにもないですね。自慢じゃないですが、私強いですよ」

「よく知っている。民間人の癖して、犯罪者どもと戦う無謀なガキがいるってのは世間でも有名だからな」

「むっ、言い方にトゲがありますね」


 作業台からぴょんと飛び退き、希更が高吉と向かい合う。左手の指輪が煌めき、希更に人知を超えた力をもたらす。その両手を無骨な装甲が覆い、炎が宿る。


「降参するなら早めにしてくださいね。弱いものいじめはしたくないんで」


 魔法使いは魔力を使い、身体能力を超人の域にまで強化することができる。さらに、経験を積んだ魔法使いは、その魔力に己の形を与えることもできる。

 火蜥蜴の異名を取る希更が操るのは、炎の魔法。違法な活動ではあるが、これまでに多くの犯罪者を制圧してきた強力な魔法使い。


「誰に物言ってんだガキ」


 高吉は強く地を踏みしめ、駆け出した。強化された脚力が、あっという間に彼我の距離を埋める。

 希更を制圧すべく右手を伸ばすが、その手が届くことはなかった。直前で希更は空中に身を投げ出していたからだ。

 宙に浮けば、後は慣性に基づく自由落下に身を委ねるしかない。だが希更は足から炎を噴出し、ホバー飛行の要領で浮いていた。


「……おい、さっさと降りて来い」


 空中にいる相手をどうこうする術は、残念ながら高吉にはない。


「あはは、最初から本気でやり合う気なんてないですから。お兄さん、顔はちょっと怖いけど悪い人ではなさそうだし」


 希更は足の炎を巧みに操り、くるりと回転。高吉の入ってきた門の方に向き直る。


「そいつらはお兄さんの方で捕まえといてね。指輪は外しておいたから心配ないです」

「待て!」

「待てと言われて待つ女はいないですよ。捕まえるのも男の甲斐性ってことで」


 希更は高速で飛翔して門を抜け出していく。後を追い外に出るが、すでにはるか上空を飛行。こうなってしまっては追跡は不可能だ。

 高吉は小さく息を吐く。そして、スマホの着信履歴の一番上から再び上司に電話をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る