転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫

第1話 ここは推しのいる世界


 気が付いたら、私は草色の布張りの硬いベッドで寝ていた。


「……ん、あれ?」


 目を開けると、天井がやたらと高い。いや、高いというより、木材がそのまま剥き出しになっていて、それが組み上げられた、古い小屋のような造りだ。

 ここがどこなのかを考えた瞬間、猛烈な頭痛が襲ってきた。


(……なんだ、この記憶? 天音あまね、OL……。週末の予定は? ええと、来週は『煌めく騎士と甘い夜』のアクリルスタンド再販日だから、有給を取って朝から並ぶ準備をしないと……)


 訳の分からない記憶が混在し、私の脳はパンクしかける。私は今頃マンションの快適なベッドで寝ていたはずだが、どうしたのだろう。


 私は体を起こして、自分の手を見る。小さい。皺一つない、子どもの手だ。

 すぐ隣に置いてある銅製の水差しに移った自分を見て、私は息を呑んだ。


 黒髪のボブだった私は消え、そこにいたのは、燃えるような緋色の髪を持つ、小柄な娘。瞳は深いエメラルドグリーン。


「……アメリー?」


 口から出たのは、聞いたこともない、でも妙に慣れた響きのある名前だった。アメリー・セレーネ。それが私の名前だということが、頭の中に刻み込まれている。


 頭の中の多大な情報を整理していると、大まかに現状が分かってきた。前の私——天音あまねとしての人生と、今の私——アメリーとしての人生がごちゃまぜになっている。転生というものをしたのであれば、私はベッドで眠ったまま死んだのだろうか。それほど過労でもなかったし健康体であったと思うのだが……。


 混乱しながらも、私は目の前の机に置かれた一つの新聞に目が釘付けになった。この世界にも新聞はあるんだ……とか思いながら、それを手に取る。文字も日本語ではないのに、すらすらと読むことができた。


『——遠き北の地を治めるアルカス侯爵家。その若き当主、シオン・アルカスは、類まれなる剣技と高潔な精神により、王国史上最年少で騎士団長に就任した。彼の姿は常に希望の光として民を照らす——』


 ドクン、と心臓が破裂しそうな音を立てた。


 シオン・アルカス。


 私の、人生の、そして魂の「推し」の名前だ。


 私は急いで新聞の内容を読み進める。剣術大会について、魔物の討伐功績について、彼の誕生日にまつわる小さなエピソードについて……。


 この世界の設定、地名、人物名、歴史。私が知っている情報と、全てが完全に一致する。


「嘘でしょ……いや、待って。まさか……」


 私はがばっとベッドから飛び降り、部屋の隅にある窓に駆け寄った。窓の外に広がる景色。石畳の道、レンガ造りの家々、そして遠くに見える、荘厳な城壁と、その上空を舞う騎士団の紋章旗。


 あの紋章は、白い剣と金色の翼の意匠……『煌めく騎士と甘い夜』の作中、主人公が住む王都ユグドラシルで使われている、まさにそのデザインだ!


 ということはつまり、この世界は、前世で財産と情熱を注ぎ込んだ乙女ゲーム『煌めく騎士と甘い夜』の世界、ということ……?


 この世界には、シオン様がいる。あの、完璧で、尊くて、神々しくて、この世のすべての希望を背負っている、私の「推し」が、この世界で、今、生きている……!?


 私はその場で、膝から崩れ落ちた。喜びと興奮が、津波のように押し寄せる。


「うそぉぉぉぉぉぉぉぉお!!!!」


 魂の絶叫。前の世界では私はただのしがないOLで、推しは二次元の彼方だった。どれだけCDを買っても、グッズを集めても、ライブに通っても、決して触れることはできない、ガラスの向こう側の存在。


 それがどうだ。今私はシオン様と同じ空気を吸っていて、同じ太陽の下にいるということになる!


 もちろん、私はゲームのヒロインではない。ヒロインは特別な力を持つ伯爵令嬢で、物語の中核を担う。対して、私はただの平民の娘、アメリー・セレーネだ。今まで私が生きてきた情報から察するに、明るさとポジティブさだけが取り柄みたいな、モブ中のモブ。


 しかしそれが最高に良い!


 私は知っている。この世界でシオン様がどれだけ孤独で、どれだけ重圧に耐えているかを。ゲーム本編では描かれない、サブエピソードや裏設定を、隅々まで知り尽くしている。


 ヒロインのように彼と恋愛関係になりたいとは思わない。推しは手の届かない場所で輝いてこそ尊いのだ。ましてや、転生した私ごときがシオン様の隣に立つなど、畏れ多いにもほどがある! 推しに泥を塗る行為だ!


「よっしゃあああああ! やります! 私、アメリー・セレーネは、この世界で最強のガチオタ・プロのファンとして生きていくことを誓います!」


 私は固く握りしめた拳を天に突き上げ、誓った。


 推しに迷惑をかけず、推しを遠くから見守り、推しが幸せになるよう、陰から全力でサポートする。それが、このボーナスステージで私に課せられた、唯一にして最大の使命だ。


 今日から、私は推し活に人生を注ぐ。


(ああ、早速シオン様に何か匿名で差し入れを準備できないかしら。ゲームの設定集には、彼は甘いものが好きだけど、健康のために自分からは食べないけど、贈り物であれば食べるって書いてあったわよね……! 怪しいからと捨てられるかもしれないけど、じっとしてはいられないわ!)


 興奮で身体が震え、顔が熱くなる。慣れない体になったせいもあるのか、推しへの熱量が暴走しているのかもしれない。


 これはきっと、神様からの贈り物だ。


「ありがとう、神様! 全力で推します!」


 私はもう一度、誰もいない部屋で叫んだ。

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