第14話

 考えているうちに、車は宮城に入ったようだった。少し速度を落とし、ときおり止まりながらも、車は進んでいた。

 季時は黙している。

 麗子ももはや、話題を探そうとは思わない。ただ車輪のまわる音を聞いていた。

 桐壺に着いたら、もう季時と会うことはないだろう。あとは礼を言って別れるだけだ。

 目を閉じて、麗子は静かに呼吸する。

 もう二度と会わないだろうが、この季時の匂いをおぼえておきたいと──何となくそう思ったのだ。

 もしかしたら最悪の夜になっていたかもしれないのに、思いがけず楽しい時間をすごせたのは、季時のおかげだ。一夜限りの縁だったとしても、やさしい人がいたということを、香りとともに忘れずにいたい。

 車が止まった。

 失礼しますと声がかけられ、後ろの簾が少し開く。

「玄輝門から入ったところですが……」

「わかった。向こうに──いや、私が指示する。くつを」

 季時は車の前方に掛けられた簾を上げ、車を降りてしまう。

「この先を案内してきますので、一度外に出ます。あなたはまだここにいてください」

 麗子の返事を待たずに、季時は簾を下ろしてしまった。車が再び動きだし、しばらくしてまた止まる。前方の簾が大きく開いた。

「八橋さん、着きました」

「はい。……えっ?」

 すぐそこについがきがある。

「あの、ここはまだ桐壺の外ですよね?」

「そうです。夜明け前に車で中に入っては、騒がしくなってしまいますので──」

 言いながら、季時は両手を広げた。

「先ほどのように、私が運びます」

「え」

「履物がないでしょう?」

 それはないが。

「もう少し前へ。こちらに身を乗り出してください」

「…………」

 また抱き上げようとしているのだ。

 ちゆうちよしていると、季時のほうが車の内に腕を差し入れてきて、麗子の体をすくい上げてしまう。

「はい、行きましょう」

「あの……わたし、ここからは歩きますから……」

「だめですよ。月明かりがあっても危ないですから。足を怪我するといけません」

 季時はこともなげに麗子を運びつつ、桐壺に入る小さな門をくぐった。

 中は静まりかえっている。

 季時は足を止め、あたりを見まわして南の殿舎へとまた歩きだした。

「北廂なら、そこですよね。一番東──」

「いえ、そこで。簀子すのこ裸足はだしでも歩けますから、そこのきざはしに下ろしてください」

「そうですか」

 季時は何故か、少し不満そうに口をとがらせる。まさか局まで運ぶつもりだったのだろうか。

 すぐそこにある階に近づくと、季時は自ら沓を脱いで麗子を抱えたまま段を上がり、簀子に麗子をそっと下ろした。

「……ありがとうございます」

「いえ」

 軒が陰を作り、季時の表情はよく見えない。

 ただ、季時のたきものは、まだかすかに香っている。

 別れの場で何を告げるか考えておらず、あまりにありふれた、お元気で、という言葉をかけようとしたとき、季時はさっと身をひるがえして階を駆け下りた。

 あ、と麗子が声を発したと同時に、季時が階下で振り向く。

「では、また」

「……は、はい」

 季時はにこりと笑い、きびすを返すと門のほうへと足早に去っていってしまった。

 別れの余韻などあったものではない。ずいぶんとあっさりしていた。

 いや、そもそも余韻のある別れなどするような間柄ではないのだから、これが普通なのではないか。そうだ。親切に送ってもらい、丁重に扱われて、ちょっと勘違いしてしまったのだ。

 自分で自分が恥ずかしくなり、麗子は肩をすくめ、そそくさと局に戻ろうとする。

「…………」

 さっき、季時は何と言って去った?

 では、また。

 と。

 麗子は思わず、すでに誰もいない階下を振り返る。

「……また?」


~~~~~


増量試し読みは以上となります。


この続きは2025年11月25日発売の『袖の香はひそやかに薫る 平安身代わり恋ものがたり』(角川文庫刊)にてお楽しみください。


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袖の香はひそやかに薫る 平安身代わり恋ものがたり 深山くのえ/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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