case5-2


「ちょっと何すんのよ!」


 悲鳴は非常に近かった。カフェの前を抜け横を見れば、そこに二人の人影が見えたのだ。


 ……いや、人影ではあるが、それは一目で異常事態だとわかる様相だ。

 なぜかついてきてしまったメグルが、わ、と小さく声を上げただけですぐ口を閉じたのは、さすが異世界冒険で揉まれてきただけあると言えよう。


 人影は男女二人組。その両者ともに、なぜ立っていられるのかわからないほどの大怪我を負っていた。


「あ、あ……」

「いきなり押すとか、車に轢かれたらどうするわけ!? 浮気しておいて邪魔になったら殺すって言うの!?」


 女が叫ぶたびに、地面に血溜まりが広がっていく。対する男の顔色は薄暗闇の中でもわかるほど蒼白で、不自然に胸の前で手を構えたまま固まっていた。頭は別の意味で白く、赤い。そんな男のその腕の片方を女が掴んで声を荒げていたのだ。

「もしかして突き飛ばしたんですかね、あの男性。んで女性が引っ張った?」

 ひそりとメグルが囁いた。興奮した女とそれどころではない男はまだ従業員たちの様子に気付いていないようで、その隙に従業員はメグルをカフェの明かりの中へと押し戻す。


「お前は戻レ。カフェに一度入ってから扉を開ければいい」

「えッ……一応聞きますけど、救急車は?」

「こっちも聞くが、あれを治療スる技術がこの世界にあるのか?」

「……あー、僕も異世界の感覚抜けてなかったかぁ。治癒魔法とかないですもんねぇ……さっき教えてもらった裏路地の三種類に該当します?」

「そうダな」

「まぁ、わかりました。お仕事の邪魔をするのは本意ではありませんし、また来た時にでも」


 ではまた、とメグルが手を上げカフェに戻っていくと、従業員はすぐさま元の人影がある道を覗き込む。男女の影は相変わらずだ。


「店長、今の悲鳴聞こえましたか」

『悲鳴? ごめんなさい、今お客様の対応中でそっちにいなくて。どうしたの? メグルくんは今帰ったみたいだけど』


 耳に手を当て声をかければ届く店長の言葉から、すぐ対応できる状態ではないと従業員は判断した。


「店長の仕事が落ち着いたら来てもらえますか。恐らくオレじゃ対応しキれない」

『なにごと?』

「また、範囲外に客です」

『……また?』

「また」

『……駄目ね。終わったらすぐ向かうわ』


 最低限の連絡を終えると、従業員はすぐに外にあった掃除用具を手に歩き出す。従業員の姿に気付いた男の表情がさらに強張ったが、それは知ったことではない。


「アンタら」

「えっ? な、何よ……えっ!? ここどこ!?」

 女は漸くここが元いた場所ではないと気づいたようだった。だがその大怪我には一向に気付く様子がない。

 対し男はへたりと座りこみ、己の上半身の怪我を見て「ヒィイ」と音のような声を上げる。男が地面に半ば転がるように崩れ落ちても、腕は女に掴み上げられたままだ。距離が、おかしい。腕が伸びるわけがない。それに気づいた男が、左手で必死に右肘から下を探す。

 一方の女は、男の異様な行動を見てもやはり何も気づいていないようだった。


「ここは危ないデすよ。そばにカフェがあるんで、そっちに移動して貰えマすか」

「か、かふぇ? ちが、びょ、病院! 病院だろ、普通!」

「叫ぶナ気づかレ――」

「病院? あんた何言ってんの。頭でも見てもらうつもり? それより、ちゃんとどういうことか説明してよっ! あの女は何!?」

「それどころじゃねえって言ってんだろ!」

 またも言い合いを始めそうな雰囲気に、はあ、と従業員は大きくため息を吐く。

「ったく、それどころじゃないってのはコッチの台詞だっての。ほら、動くナよ」

 タン、と地面を蹴った従業員は跳び上がり、くるりと体を回転させて男女の頭上を飛び越えると、手にもつ箒を振り下ろす。


 ぐちゃり。


 悲鳴もなく蠢く何かが潰れた音がした。暗闇が音を立てたかのようで、姿かたちはわからないというのに、闇が潰れたのが見えた気がしたのだ。ぎょっとした様子でそれを見ていた男女は、ふと自分たちの方に何かが転がってきたことで視線を奪われた。


 ――トーン、トン、トン、トトト……


 ボールがどこかから転がってきていた。

 白いそれはゆっくりと回転し、そして――白の中央にある黒円の中、さらに黒い瞳孔を動かし、男女をひたりと見据える。


「――め、目玉っ!?」

「きゃあああっ、なに、なにこれ!?」

「だから言ったでショう。ここは危ないからカフェに移動してクれませんか」

「ここ、こおっ、ここはあの世か!?」

「違いますケド。ほら、ここにいたらこんなンめちゃくちゃ出ますよ」

 さっと箒で目玉を転がし潰れた塊とひとまとめにした従業員は、移動する気になりました? と続ける。


 こくこくと無言でうなずく二人を見て、従業員はさりげなく女が離さなかった腕を取り上げ、屈んだ男の二の腕のそばにそれを戻した。慌てたように男が自分の腕を支えるのを見て、その体を助け起こす。

「痛くないでショ。夢みたいなモんです。バケモンは夢でもヤバイけど」

「夢……?」

 男は必死に頭や腕に触れ痛みを確認している。女はそれを見ても、眉を顰めるだけで何も言わなかった。


「ほラ、さっさとしてくだサい。また来まスよ」

「ひっ」


 怯えた二人が一歩足を動かした。が、その二人の襟を従業員が慌てて掴んで止める。


「え、何!? ちょっと、襟掴まないで!」

「ここ危ねぇんじゃないのかよ!」

「静かニ」


 その叫びには答えず、耳を澄ませた従業員はそっと二人を離した。高い音を立てて落ちた箒を足で引っかけ拾い上げると、動くなよ、と従業員は囁く。長い前髪で口元しか見えないのに、なぜかその表情が強張っているとわかった。

 ごくりと誰かの息を飲む音が聞こえた。そこで気づくのだ。ひどく、耳鳴りがする。それはだんだんと近づいて、大きくなって、反響して。


「いっうう……」

「い、痛え……」


 頭が割れそうなほど、痛みだす。

 目を開けていられないほどの痛みの中、従業員は微かに眉を顰めただけで、ひたりと路地の奥の闇を見た。遅かった、と呟いた声は誰にも届かない。


「……負の叫びに呼ばれて厄介なのが来タカ」


 耳鳴りのひどさに従業員の声が聞こえなかった二人が、耐え切れず膝をついたその先に。

 大きな闇は、形を成した。


「クソが!」


 エプロンポケットから小瓶を掴み取った従業員はすぐさまそれを蹲る人間二人の下に叩きつけた。その上にさらに、以前イロハが触れたことで力を増した杖を取り出し突き立てる。二人を守るように小さな結界が広がった。

「そこカラ出るなよ!」

 どうせ耳鳴りで聞こえないだろうが、怒鳴りつけるように叫んだ従業員はその場から駆け出した。急いで距離を詰め、化け物の視線を自分に向けなければならない。

 あれは不味い。かなりの大物。悪逆無道を繰り返した末の強圧的な存在感を持つ悪霊。

 しかも、カフェから然程離れた路地ではなかったのに、カフェへの道を閉ざして現れたのだ。油断すると危険と判断できる敵は、ここに店を構えてからで言うならば初とも言えるほどの強敵。


 距離を詰めて、はっとする。黒い影は、人間の耳を持っていた。耳垂を付け根として頭部から兎の耳のように二本生やし、耳輪はなぜか三つに裂けて血を流している。顔の輪郭ははっきりせず、中央に流れ落ちそうな目玉を三つはめ込んでいた。瞼はなく、赤黒い涙を流しながらぎょろりぎょろりと蠢いている。

 首は存在せず、顔から斜め下に伸びた腕は二本、内臓がところどころ漏れ出る胴が二つに長さが違う足が五本……何がどうしてそのような血濡れの形状になったのかわからないが、一つ、目を引く箇所がある。

 折れた爪。実体のある悪霊……


「あの時の奴か」


 それは、聖女に選ばれてしまったとある少女が迷い込んだ際戦った化け物。少女を守るため、武器であろう爪をへし折り対応した悪霊。少女を一人にするわけにはいかず、逃げた悪霊は追えなかった。その後も掃除しつつ探してはいたのだが、まさかこれほどの化け物に短期間で成長するとは――ありえない。


(店長は最近迷い込む奴が多いのを怪しんでいた。いくら外的要因があろうと、ズレた世界はそうやすやすと入り込める場所じゃない。バケモンが急成長したのも何か理由が?)


 思考する合間も駆けていた従業員が箒を構えた。距離は目前、そして……化け物もどうやら従業員を覚えていたらしい。鋭い殺意に、ひやりと空気が冷える。


『ギヤヴァアアァァァァアッ!』


 悲鳴が音波となり従業員の全身を揺らすかのようだった。振り上げた箒は波に抗えず押されて反り返り、従業員の攻撃は届かず慌てて壁を蹴って距離を取る。巨躯は高さだけでも従業員の二倍以上あるだろう。

 箒の柄がひとまず無事であることを触れて確認した従業員は、一瞬の油断が致命的な結果に繋がると箒を構えなおした。この箒は、ただの箒ではないのだ。うまく使いこなせ。それを念じて、次の一手に備える。

 化け物が、口を開いた。


『ギャアヴァァァアッ』


 弾く。杖を振り上げる。横に薙ぐ。

 次々に繰り出される攻撃を止めるが、強い殺意を持った化け物はずりずりと距離を詰めていた。だが歪に歪んで内臓を垂らす姿では足元は覚束ないようで、数撃交わすと従業員は攻勢に転じた。

 狙うは足。従業員の後ろには、今守らねばならない魂があるのだから。


 だが。


 突如殺意が薄れたことで従業員が好機と足を踏み出したその時。


「いやぁああっ」

 聞こえた悲鳴に慌てて従業員が振り返れば、女がなぜか結界の外に転がり出ていた。その横で、男が女を足蹴にするような体勢でいる。


 ――結界から、出ている。


 それは、致命的な失態であった。


「クソッ!」

 従業員が駆け出した。化け物の攻撃は、声だけではなかったのだ。いつの間にか地面の影に潜っていた五本目の足が伸び、女を捕らえようと影を進んでいる。

 急ぎ戻った従業員は、女を結界内へと突き飛ばした。だがそれは、化け物の足が到着するのとほぼ同時で。


 形容しがたい音が、従業員の耳にはうまく届かなかった。ただ猛烈な熱が、自身の右足を襲うのだ。

 持っていかれた。

 そう確信した時、従業員の耳に不自然な音が響く。パキン、と何かが砕けるような音。それと同時に右足の熱が引き、しかし達成感で喜ぶように引いていく化け物の影の中に、従業員は見覚えのある色を見つける。

 パステルカラーの、音譜模様のペン。

 見るも無残に砕けたそれは、おそらく従業員の足の代わりを果たした。それを意気揚々と影が持ち帰っているが、気づかれるのは時間の問題。


 それでもこの絶体絶命の瞬間、確かに一本のペンがその窮地を脱する一手となったのだ。


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