第30話 ー 笑顔 ー

* * *


――朝霧家。


リビングに、重たい沈黙が落ちていた。真尋と沙羅は、向かい合ったまま言葉を失っている。


「……信じられない……」


沙羅の声は、震えていた。


「……俺もだ」


真尋は、沙羅の顔を見つめる。


「沙羅、大丈夫か……?」


沙羅は、ゆっくりと首を横に振る。


「今の感情が、分からないの…… 現実として、受け止められなくて……」


真尋は、うつむいたまま小さく息を吐いた。


* * *


――放課後。


沙羅は、いつものように病院へ向かった。


「沙羅さん、今日も来てくれたんですか?」


悠斗は、変わらない笑顔で迎えてくれる。


「うん。彼女として当然でしょ」


少し照れたように、悠斗は頬を赤らめた。


「……へへ」


「あっ、バラード曲の方は進んでますか?」


「うん。みんなに歌詞を見てもらったよ」


「どうでした?」


「すごくいいって」


「良かったー」


少し間を置いて、悠斗は続ける。


「……退院したら、練習風景、見に行ってみたいな」


その言葉に、沙羅の心が止まった。


「……沙羅さん?」


「……うん。みんなに聞いてみるね」


「沙羅さんの歌、早く聴いてみたい……」


耐えきれず、沙羅は視線を逸らす。


「……ちょっと、トイレに行ってくる……」


「はい」


* * *


トイレの個室で、沙羅はハンカチを口に当てた。声を出さないように、必死で涙をこらえる。


* * *それから沙羅は、学校がある日は放課後に。週末は、朝から夜まで。


ほとんど毎日、病院へ通った。


* * *


――土曜日、朝9時。


病室には、すでに悠斗の両親がいた。


「沙羅ちゃん、おはよう」


「お母さん、おはようございます」


「今、眠ってるの。少し……痩せたみたい」


「……そうですね」


* * *


そこへ、院長先生が入ってくる。


「少し、お話よろしいでしょうか」


「……はい」


沙羅は、思わず口を開いた。


「あの……私も、いいでしょうか」


「ご家族以外の方は……」


「私、悠斗くんと、高校を卒業したら 一緒になる約束をしています」


両親が、驚いた表情で沙羅を見る。


父が静かに言った。


「……お願いします」


院長先生は、うなずいた。


* * *


――院長室。


簡素なパイプ椅子に、三人が座る。


「悪性リンパ腫の治療についてですが…… この病気は、抗がん剤がよく効くタイプです」


「……まだ、可能性があるんですか!?」


「はい。治療は厳しいですが、 希望がないわけではありません」


沙羅は、涙をこらえながら先生を見つめた。


「ただし、体力との勝負になります。 副作用として、強い倦怠感、吐き気、食欲不振、 そして脱毛などが考えられます」


母は、思わず口元を押さえた。


「そして…… 悠斗くん本人に、病状と治療について きちんと説明するべきだと、私は考えています」


* * *


――病室。


「起きてたのか、悠斗」


「うん。さっき目が覚めた」


沙羅は、廊下から悠斗を見つめていた。


院長先生が優しい表情で話し始める。「これからについて、説明させてもらってもいいかな」


「……はい」


悠斗は、真剣な表情で話を聞いた。


「一緒に、頑張ろう」


「はい。よろしくお願いします」


* * *


院長先生が病室を出る。


「……悠斗……」


母の声は震えていた。


「大丈夫だよ。 僕、頑張るから」


「沙羅さん……お願いがあります」


「うん。何でも言って」


「沙羅さんの笑顔を見ると、 僕、すごく元気になります」


「だから……できる範囲でいいので、 笑顔を見せに来てほしいです」


沙羅は、涙を浮かべながらうなずいた。


「うん。毎日、見せに来る」


「ありがとうございます」


悠斗は、いつも通りの笑顔を向ける。


その笑顔が、沙羅には切なくて、そして、まぶしかった。


* * *


数日後――悠斗の、悪性リンパ腫の治療が始まろうとしていた。


― 第31話に続く ―

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