優しい奇跡

Hisa_Yasuhiro(ヒサ)

第1話 ー 恋のはじまり切符 ー

* * *

【高校】


晴れた青空の下、高校の建物がそびえている。

その裏手の人気のない場所で、


ドカッ。


蹴りが陽向(ひなた)悠斗の腹にめりこんだ。


「ほらな?こいつ、殴っても蹴っても怒らねぇだろ」


悠斗は制服を汚しながら、痛みに顔をゆがめる。

でも、その直後には必ず“笑ってしまう”。


「ほら、笑ってる。きもちわる」

「意味わかんねぇよな」


男子も女子も、笑いながら去っていく。


悠斗は、胸の奥で何かが静かに沈んでいく気がした。


* * *

【自宅】


母「制服が汚れてるじゃない。何かあったの?」


悠斗「あっ、うん。急いでたら転んじゃって」


母「……悠斗、いじめられてない?」


陽向 悠斗は、ふっと柔らかく笑った。


悠斗「大丈夫だよ。みんな、良い人だから」


その“優しすぎる嘘”に、母はそれ以上言えなくなる。


愛犬・ココが寄ってきて、しっぽを振る。


悠斗「ココ……ただいま」


抱きしめる腕だけは嘘じゃない。

その温かさが、唯一の救いだった。


部屋に入ると、机にノートを広げて絵を描く。

笑っている子ども。挨拶をする子。

その横で、陽向悠斗の涙がポトリと落ちた。


「……なんでだろう。僕、何も悪いことしてないのに」


声にならない言葉と一緒に、ぽろぽろ涙がこぼれた。


* * *

【夕方の散歩】


ココと散歩すると、少しだけ胸が軽くなる。


「可愛いわね。何歳?」

「(嬉しそうに)5歳です」


そんな小さな会話が、彼の心を救っていた。


サッカーボールが足元に転がる。


少年「すみませーん!」

悠斗「はい、どうぞ!」


少年は帽子をとって深くお辞儀する。


少年「ありがとうございます!」


その“ありがとう”に、悠斗の顔はぱっと明るくなった。


ココまでも嬉しそうだ。


帰宅すると、母が言う。


「悠斗、機嫌よさそうね」

「うん、ちょっとね」


その“ちょっと”が、悠斗には充分だった。


* * *

【翌日の教室】


髪を引っ張られ、


「これ痛ぇの?」

「……痛いよ」


「笑ってんじゃねぇよ」


また小さな笑い声が広がる。


女子たちはひそひそと、


「あの子、いつもいじめられてるよね」


放課後。

友達同士が楽しそうに帰っていく中、

悠斗だけは一人でとぼとぼ帰る。


夕暮れの公園で、

堪えていた涙が溢れた。


* * *

【自宅】


「ただいま!」


無理に明るい声を作る。


母「今日はハンバーグよ」

「……やった!」


部屋で絵を描き始めるが、

頭を触った指先に血がついたことに気づき、

また涙が止まらなくなる。


* * *

【土曜日・改札】


ココと出かけた帰り。

切符を通して歩き出すと、前を歩くおばあさんが

切符を落とした。


悠斗「……あれ?」


落ちた切符とおばあさんを交互に見てキョロキョロしていると、

肩を“ちょん”と軽く叩く人がいた。


紗良(さら)――

背が高く、きれいな女性。


紗良「あのおばあさんが落としたよ」


悠斗「あっ……ありがとうございます!」


おばあさんに切符を届けると、

悠斗はいつもの優しい笑顔でこう言う。


「教えてくれて、ありがとうございます」


紗良はその笑顔に、思わず頬が熱くなった。


悠斗は階段を降りていく。

その背を、紗良はしばらく見つめていた。


悠斗(心の中)

「……すごく綺麗な人だった……」


胸が少しだけあたたかくなる。


これがふたりの初めての出会いだった。


* 第1話 完 *

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