脳内ユートピア

涼月

第1話 消えた男と消された記憶


 黄昏時と暁の空。

 同じように橙と藍が混ざり合いながらも、正反対に感じてしまうのは空気感のせいだろうか。

 

 生暖かい空気に包まれた夕暮れは、終わりゆく一日へのノスタルジーを感じさせる。

 冷ややかな空気が肌を刺す朝焼けは、静から動へのエネルギーを注いでくれる。


 今朝見た明けの空と無意識に比べながら空を見上げれば、紅のキャンパスに一本の灰色の線が走っていた。


「飛行機雲か……夕焼けの明日は晴れだと思っていたが、飛行機雲が出るくらい空気が湿っていると言うことは、雨が降る可能性が高い。なんか落ち着かないアンバランスな空模様だな」


 その時、背後からしゃがれた声に呼び止められた。


『……グモ……ユ……ト』


 驚いて振り向けば、白衣を着た男性が立っている。

 影が深くて顔は良く見えないが、伸ばされた指に皺は無く、髪も黒くてふさふさしている。しゃがれた声以外は、若々しい壮年の男性の雰囲気。


「え?」

『ナ……グモユ……ウトだな』

「そうだけど、あんた誰?」


 警戒感を強めて身構えた夕翔ゆうとに、男は長い前髪の間から睨むように黒い瞳孔を向けてきた。

 身の危険を感じて後ろに飛び退ろうとして両腕を掴まれる。

 だが、掴まれている感覚を感じることができなくて、奇妙な感覚になった。


 視覚的には掴まれているのに肌感覚が無いのだ。

 それにもかかわらず、動けない。

 どういうことだろう?


『オキ……■※△をソシセヨ』

「は? 聞こえねえよ」

『ユ……ピアケイ』

「ユ?」


 その瞬間、ジジジ……という電子音が脳内に響いた。思わず耳を塞ごうとして、両腕が解放される。


 と同時に、男の姿が消えた。


 ジジジジ……ブチン!


 まるで、映像が途中で切れたかのように、白黒のドット模様になった男の姿が灰色になり、いきなりブチリと音を立てて消えてしまった。


 驚きのあまり、呆然と空間を見つめる夕翔。


「ユピアケ? 一体何を意味しているんだろう」


 平凡な俺の人生に、こんな不可解な出来事が起こるなんて!


 体に迫りくる何とも言えない恐怖と同時に、非日常の予感に胸を高鳴らせた。


 


 七雲夕翔なぐもゆうとは、花森学園に通う高校二年生。


 フツフツと沸き上がる高揚感と共に帰宅したが、玄関の扉を開けた途端、母親の不安そうな困惑顔に迎えられた。


「夕翔、あなた何か……その……兎に角、そのまま居間に来てくれるかしら。警察の人があなたに会いたいって言っていて」


「!」

 驚きのあまり止まりかけた思考を慌てて動かす。


 もしかして、さっきの男のことか?


 やたらなことを話してはいけないと警報が鳴る。


「ナグモユウト君だね」

「はい。そうですが」

「君、今日帰り道で出会った男は何を言っていたんだね?」

「……帰り道で会った男って、どういうことですか?」

「ほう。隠し立ては良い策じゃないぞ。でもまあ、いいだろう。その様子だと会ったのは間違いなさそうだな」


 男が胸元のマイクへ何事かを告げた。

 その瞬間、夕翔の頭の中に白い靄が広がり始めた。


 まずい! 記憶を消される!


 直感的に気付くもなすすべはない。

 ふと願うように思った。


 今朝見た朝焼けの空の色。あの美しい記憶だけは消さないで欲しいと―――


 次の瞬間。意識が途絶えた。 

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