一章三幕「星の子」

 アルジェントの家には、貴族向けの立派な服などない。

 今日のために、顔馴染みのブティックが好意で貸してくれたスーツとドレスを身にまとっている。

 だが、周囲を見渡せば、明らかに格の違う生地を纏った観光客が点々としており、そのたびに胸がざわついた。


 それでも、アルジェントがいちばん気にしていたのは──服ではなかった。

 父・ジェグドの表情だ。


 手紙の内容を伝えたあの日から、父の顔はずっと硬い。

 漁へ出ている時間が長く、普段ほとんど会話を交わさない父が、今回の招待に同行してくれた理由がわからない。


 母に尋ねても、「お父さんは心配してるだけよ」と微笑むばかり。

 しかしその“心配”という言葉ではとても説明できない暗さが、父の眉間には深く沈んでいた。


 どこか葬式帰りのような面持ちで歩く父の姿は、かえって悪目立ちしていた。

 すれ違う貴族客たちは道を空けながらも、視線をひそめ、通り過ぎた途端に影のように囁き合う。

 アルジェントは場違いな不安に胸を締めつけられ、今にも追い出されるのではとさえ思った。


「さあ、二人とも。入場しましょう」

 母が楽しげに言い、そっと父の腕に手を添えた。

 アルティナが覗き込むように微笑みかけると、なぜか父の顔はさらに険しくなった。……なぜだ。


 三人は二階にある、舞台正面のボックス席へと案内された。

 ベロア生地の椅子は、体を包み込むように柔らかく、慣れない感触にドギマギしながら腰掛ける。


「……柔らかすぎる。床に座りてぇ」

「ダメに決まってるでしょ」

 もぞもぞと身じろぐ父に、母がくすりと笑う。


 微笑ましい光景を横目に、アルジェントの胸には──羞恥よりも、次第に期待の熱が膨らんでいった。


 彼は膝の上でパンフレットを開く。

 タイトルは「星の子」。


 夜空から落ちた流れ星が少女の人形に宿り、子供たちの友となる。

 しかし、その美しい人形を欲しがる大人たちから守るため、子供たちは“いちばん月に近い丘”を目指す──そんな童話だ。


 この劇は、子供の明るい演技と、大人の陰影の深い演技が対になるほど、劇団の力量が際立つと言われている。

 とりわけ“星の子”役には、人間離れした瑞々しさが求められる。


(もしこの劇団に、自分と張り合うような子がいるのなら……)


 胸の奥がきゅっと締まる。

 これが自分の未来へ繋がる舞台──そう思った瞬間、期待は熱へと変わった。


 そのとき。


 ──Ladies and Gentlemen!


 開演前のアナウンスが劇場に響き、ざわめきが吸い込まれるように静まった。


「私は『オパリオス・ウパラ』劇団長、闇竜のグレッグ=ハッバ・フィービーでございます!」


 グレッグが大仰な貴族風の礼を披露すると、客席のあちこちで笑いが漏れる。


「皆様の多くは、今日の演目『星の子』をご存じでしょう。

 ですが──“私たちだからこそ味わえる夜”を、どうかお楽しみください」


 そう言うと、どこから取り出したのか、一冊の厚い絵本を掲げた。


「では、我々の“星の子”が生まれた日の物語を、お聞かせいたしましょう」


 パラリ──。

 紙をめくる音が、劇場の静寂を震わせた。

 谷間に落とした針の音さえ拾いそうなほど、澄んだ静けさが満ちる。


「そう……あれは、百年に一度の流星群が降りそそいだ夜のこと──」


 絵本の中から光が生まれるような、そんな語りの始まりだった。

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竜の誓いは舞台に響く 神音色花 @KamineIr0ha

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