竜の誓いは舞台に響く

神音色花

一章一幕「それは、暖かな日差し」

その日、レオンハルトはまるで光を失った影のような表情で、約束の場所に立っていた。

近づいたアルジェントが理由を問うと、彼は堪えきれず涙をこぼした。

その滴は熱を帯びた頬を伝い、触れれば溶けてしまいそうなほど脆く絶え間なく、言葉より先に心の動揺を語っていた。


「……王都に、帰るって……パパが言ってた」


掠れた声でそう告げられた瞬間、アルジェントの胸にも痛みが走った。

だが、迷いはなかった。


「必ず迎えに行く。絶対に」


抱き寄せた腕の内側で、二人の心拍がゆるやかにひとつのリズムを刻む。

安堵と、避けられない別離の影。そのふたつが胸の奥で絡まり合い、アルジェントの目にも自然と涙が滲んだ。


「待ってるから……」

「迎えに行く、必ず」


迎えが来るその時まで、二人は手を繋ぎ、港町を見晴らす小さなステージに並んで腰掛けていた。

歌を口ずさみ、思い出を語り、触れ合う温度を確かめるように、静かで濃密な時間を噛みしめ続ける。


やがて、別れの時が訪れる。

しかし――この日のぬくもりは、生涯消えることなく二人の胸に刻まれる。


―――*―――


アルジェント・ヴァルカーノは、南国の港町に生まれた炎竜の少年だった。


炎竜は炎の加護を受ける代わりに寒さに著しく弱い種族だ。

彼らの暮らす南の地は水路が張り巡らされ、陽光が肌を刺すように降り注ぐ。

炎竜は薄着で過ごし、水浴びをし、時に水路を泳いで通勤することすらある。

漁も主要な生業であり、炎竜たちは太陽の熱を浴びるほど活力を増す。


だが、アルジェントには種族の中でも特異な点があった。

平均体温が異常に高く、誰よりも熱を宿していること。


炎と共に生まれた彼は、暑ければ暑いほど強く、武を振るうときには人よりも高い地熱を纏う。

しかしその一方で、寒さには人一倍弱かった。

普通の炎竜なら“気を付ければ動ける寒さ”でも、アルジェントは急激に体調を崩してしまう。

体温が高い分、耐えられなくなる境界が早く訪れるのだ。


南国の町で暮らす限り問題はないが、海へ入れば冷気に体力を奪われ、何度も溺れかけた。

北方へ行けば、まるで血を抜かれたトカゲのように体が重くなり、一歩すら進めなくなる。


そのため、炎竜としての恵まれた才を持ちながらも戦功を立てることは叶わず、大人たちは彼に哀れむような目を向けた。

その哀れみは子どもたちの好奇心を煽り、嘲りやからかいも生んだ。


それでも、アルジェントは怯むどころか、むしろ真っ向から立ち向かった。

情熱的で、負けず嫌いで、真っ直ぐな少年だったからだ。

腕相撲も取っ組み合いも、大人だろうと子どもだろうと、力だけでねじ伏せてきた。

粗野に見えて、その芯はどこまでも熱く強かった。


母の働く小劇場では、彼は荷物運びを手伝いながら、合唱団に混じって歌うこともあった。

声量も表現力も群を抜いていたが、幼い彼は独りよがりで、仲間との調和が苦手だった。


それを見かねた母アルティナは、しばらく彼を自分のバックコーラスに加えた。

――ステージはひとりでは完成しない。


そのことを体で覚えさせるために。

声が重なった瞬間、観客の心を揺らす力が何倍にも膨らむことを教えるために。


やがて、アルジェントは仲間の息遣いや足音に耳を澄ませるようになった。

見せ場で輝く喜びも、仲間と音を重ねる充実も、初めて知った。


噂は近隣の村へと広がり、商人たちの冗談まじりの語り草となって王都にまで届いた。

アルジェント目当ての客も増え、“小劇場の看板少年”と呼ばれるようになる。

衝突は多いが、合唱団は彼にとってかけがえのない居場所になっていた。


港町の合唱団には、病弱だったり家に事情を抱えたりする子どもが多い。

いじめの標的になりやすい彼らのもとへ、アルジェントは迷いなく飛び込んだ。

複数を相手にしても決して退かず、仲間を守り、追い払った。

乱暴に見えても、実は誰よりも優しい子だと皆が知っていた。


――その日、小劇場は朝から落ち着かない空気に包まれていた。

アルティナの舞台を観るため、王都から名高い音楽家一行が訪れていたのだ。


アルジェントは合唱団の子どもたちを見守りながら、ナッツをつまんで談笑していた。

その時、扉が勢いよく開き、団長が息を切らして飛び込んできた。


「アルジェント! 悪い、すぐ来てくれ!

 バックコーラスの男が倒れた! 代役を頼みたい!」


男はアルジェントの指南役で、家で母と練習しているため曲も熟知している。

何より、協調性が格段に増したことを団長は知っていた。


控室に入ると、緊張で空気が硬く張りつめていた。

大人たちの顔はこわばり、沈黙が重い。

アルジェントは衣装に着替えながら、布擦れの音にさえ神経が刺激され、思わず唾を飲み込んだ。


「みんな、そんな顔しないの。今日歌うのは“いつもの私たち”の歌でしょう?」


化粧を終えたアルティナが、柔らかくもはっきりした声で空気を払った。


「誰が観に来ようと、見たいのは“ここでの生活”。

 今日も昨日も、それは変わらないわ。

 さあ、そんな顔はしまって。人手不足なんだから、舞台装置の手伝いに行ってくる!」


「今日くらい主役のお前は落ち着いていてくれ!」


「緞帳の綱を握る主役なんて、ここの名物よ?」


「今回は俺たちで何とかするから、お前は息子と並んで舞台に立て。これは後世に残る舞台だ」


その言葉に、アルティナは静かに微笑み、アルジェントを手招いた。

抱き寄せられた瞬間、少年の強張りはふっと解けた。

その時、背中に添えられた母の手がかすかに震えているのに気づく。

強気な母のその小さな震えに、アルジェントは胸を熱くした。


「前は大人たちにボコボコにされたけど……今回は俺がバックコーラスを引っ張る」


鼻で笑うと、港町の面々もつられて吹き出した。

重かった空気はたちまち晴れ、控室にはいつもの温度が戻る。


「よく言うぜ、まだ半人前のガキが!」

「歳食った分、こっちの声だって負けてねぇぞ!」

「あらあら、私のコーラスで裏返ったの、忘れたのかしら?」


笑いが広がり、場の空気は完全にいつもの調子を取り戻した。


アルティナはその光景を見やって、満足げに頷いた。


「今日もお客さんをめいっぱい楽しませて、気持ちよく帰らせましょう。

 終わったら一杯飲むんだからね!」


「「おーッ!!」」

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