エルシーは求婚者を断罪する「申し上げます。あなたは変態です」

裏窓アリス

第一話:囚われの姫君と三つの試練

 アスター王国に、一人の姫君がその名を馳せていた。エルシー・アスター。

 異世界より現れたとされる彼女は、まるで月光を編み上げたかのような銀の髪と、夜空の星を閉じ込めた紫の瞳を持ち、その類稀な美貌は王国中の男たちを虜にした。


 しかし、彼女は誰にも微笑みを見せず、常に物憂げな表情で遠くを見つめていた。彼女が誰にも心を開かないことから、いつしか国民から「囚われの姫君」と呼ばれるようになった。


 その夜も、エルシーは豪華な自室のバルコニーに立ち、見知らぬ星座が輝く空を見上げていた。きらびやかだが、どこまでも冷たい、異世界の夜だった。


 静かな夜、バルコニーの扉がそっとノックされ、王宮付きの魔道具技師、レオンが顔を出した。彼は身分やしきたりに頓着しない、気さくな人物で、エルシーが心を開く数少ない相手だった。公式には照明のメンテナンス役だが、彼とは夜空を眺める気安い友人のような関係を築いていた。


「やあ、姫様。今夜も冷えますね。この前作った望遠鏡、倍率を上げたんですが、よければ試しませんか? この方角の星、どうにも形がおかしい気がして」


 レオンはそう言って、まるで子どものような好奇心で空を見上げた。彼はエルシーの過去や出身については何も知らないが、彼女が熱心に星を眺める姿に純粋な興味を抱いていた。


「ええ、少しだけ」


 エルシーは僅かに微笑み、レオンが望遠鏡を調整する間、静かにその場に立っていた。彼のいるこの短い時間だけ、王宮の重苦しさから解放される気がした。レオンが調整を終え、辞去していくのを静かに見送った。


 彼女は胸元に隠した小さなロケットを、祈るように握りしめた。冷たい金属の感触だけが、この世界で唯一の、彼女の真実だった。


 そっと蓋を開ける。

 そこに収められているのは、古ぼけた天体図の切れ端。インクが滲んだそれは、元の世界で天文学者を目指していた彼が、悪戯っぽく笑いながら「君へ贈る、未来の宇宙地図だ」と手渡してくれたものだった。インクの匂い、彼の低い声、指先が触れた時の不器用な温かさ。その記憶が、あまりに鮮やかに蘇る。


 エルシーはロケットを強く握りしめ、パチン、と音を立てて蓋を閉じた。熱い追憶が、冷たい決意へと変わる。


「……だから、邪魔させない」


 そのか細い呟きは、誰に言うでもなく、異世界の夜の闇に吸い込まれていった。


 彼の元へ帰るには、この世界のしがらみを断ち切らねばならない。王国の最有力者たちとの結びつきを、永久に、そして論理的に。彼女は、新しい愛が育まれる可能性のある、心の領域を誰にも侵させはしない。それが、エルシーが「必ず帰る」ために自らに課した、絶対のルールとなった。


 王国の安定を願う国王や貴族たちが、彼女に有力者との婚姻を執拗に迫った時、エルシーはついに一つの決断を下した。王宮の大広間に、王国で最も影響力のある三人の男が呼び集められた。


 一人は、完璧なる騎士団長、ユリウス。彼は騎士道における『名誉』の追求こそが『誠実さ』であると信じて疑わない、虚ろな完璧さの体現者。


 一人は、宮廷魔術師長、アベル。魔術という真理のみを愛し、人の感情に一切惑わされない冷徹さを持つ男。


 一人は、若き大商人、アルフォード。富は信頼の証と公言するが、その信頼が本当に愛に基づくものかは、まだ試されたことがない男。


 エルシーは、彼らの本質を冷徹に見抜いていた。彼らが最も執着する『名誉』、『理性(真理)』、そして『富』を、自らの手で捨て去る試練を、彼女は課そうとしていた。


 彼女は、その決意を胸に秘め、玉座の前、静まり返る広間で、鈴の鳴るような声で宣言した。


「私への愛を証明するため、皆様にはこれから『誠実さの試練』を受けていただきます」


 彼女は続けた。その声は、広間の隅々にまで、まるで法則のように響き渡った。


「この試練は、愛する私のために、皆様が持つ最も大切なものを、ただ一度の『誠実な行為』によって手放すことを求めます。その行為に、私を欺く意図や自己保身の計算がわずかでも混ざった場合、それは必ず露見し、皆様の全てを失わせることになるでしょう」


 しかし、この試練の裏には、誰も知らぬ残酷な真実があった。挑戦者の心にわずかに存在する不純物は、魔術的な作用によって増幅され、愛の証明どころか、その人物の全てを破滅へと導く、純粋な自浄作用を持つシステムとして組まれていたのだ。


 誰もが固唾を飲んで見守る中、姫君の真の目的――決して叶うことのない『誠実な愛』の証明を求めることで全ての求婚者を退け、新しい愛が試される現実から逃避するという、あまりにも残酷で気高い決意を知る者はいなかった。

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