序章ー第9話 一緒に食卓を
調理台の前にふたり並んで立つのは今回初めてだった。そこで俺は今まで気が付かなかった問題に気付き頭を抱えた。
「君、今までどうやってここを使っていたんだ…?」
「?その椅子をお借りしていました」
不思議そうに首を傾げた後、彼女は古びた椅子を指差した。軋む音がするそれはいつ壊れてもおかしくない状態で廃棄するのを忘れていた物だった。本人の食事は予め加熱した食材を渡すだけで放任していた過去の自分を殴りたい。
「…今回はこっちの椅子を使ってくれ。後日、君用の足場を作る…いや!これからは俺がちゃんと全食分作る」
俺は保護者に向いてないのかもしれないと凹む。根本的な問題に全く気が付いていなかった事にかなり落ち込んだ。もっとこの子が暮らしやすく出来るよう色々確認しようと決意する。
「…一緒に作らないのですか?私は作りたいです」
どういう心境の変化なのかはわからない。彼女は絶賛自己嫌悪中の俺の裾を戸惑いながら摘んで言った。ほんの少しだけ甘えるような表情に度肝を抜かれた。
「作る!!!」
反射的に叫ぶ。そんな俺を彼女はポカンと見つめた。台だけでなくエプロンとか三角巾とかそう言った物も用意したい。上手く言えないが…貢ぎたい欲求が湧き困惑する。
「鍛冶師様…?」
突如湧いた未知の感情。それをどう扱って良いか判断が付かない。彼女の声に変な方向に行きかけた意識を戻す。調理しないの?と目で訴えて来る子どもに頷く。一旦、感情の扱いは保留しよう。
「突然、大声を出してすまない。そうだな…調理を始めようか。刃物は扱えるんだったか?これらの皮を剥き切って貰いたい」
ひとつ頷いて彼女は刃物で皮を剥いていく。手慣れた手付きは本当にお嬢様か疑いたくなるものだった。調理法は単純だが料理してくれていたので俺より手慣れているのかもしれない。俺は俺で処理に成功した生臭さのない肉を気持ち薄切りにし、それらを水を張った別の容器に入れた。魔物の肉は原生生物の肉と違い、元から塩味がある。塩抜きなのか?今まで当たり前で気にした事がなかったが冷静に考えれば疑問に思う。
(煮込み…いや、あれにしてみるか)
好き嫌いや体に合わない食材は無いようだし試してみるか。あれが嫌いな子どもはあまり居ないだろう。切ってもらった芋を鍋に水と共に加熱する。耐熱皿を取り出して彼女に油を塗って貰い、切った肉を別の鍋で俺は炒める。肉の焼ける匂いに唾液腺が刺激されて腹が鳴った。肉を食べるのは久しぶりだ。今後、俺自身の食生活も改めよう。お手本にならない。程々の距離から覗き込む彼女を尻目に茹で終わった芋を潰して調味料と肉を溢れた油と加えて混ぜる。出来たそれを匙で掬い冷ましてから子どもの口へと運ぶ。
「味見してくれ」
おずおずと開かれた口に匙を入れる。最初、警戒するように咀嚼していた顔がゆっくりと綻ぶ。次いで、ふにゃりと締まりのない笑みを浮かべた。
「美味しい、です」
ありがとう、と続けられた言葉に子どもの頭を無償に撫でてやりたくなった。
「撫でても良いだろうか?」
確認をとった上で頭に手を乗せる。触れる一瞬、彼女は緊張からか身体を強張らせた。そっと撫でるとゆっくり力を抜いた。
もう少しスキンシップを取るべきか?
そんな事を考えながら準備を進める。これからもっと美味しくするから待っているよう伝えると気持ち目を輝かせた。耐熱皿に混ぜたそれらを移して戸棚から厳重に封印していた貰い物のチーズを取り出す。高いし、臭いし、使い難い。これを消費する絶好の機会なのだからと耐えて削り落とす準備をする。だが、いざやろうとすると踏ん切りが付かない。俺と違い、彼女はあまり鼻が効かないのか気にならないらしい。息を止めている俺を怪訝そうに見つめている。そんな俺の様子から何かを察したらしい。
「…私がやりましょうか?」
「頼む」
任せるようで悪いが嬉々と削り始めたので感謝しかない。大量にそれが乗った耐熱皿をちゃっかり温めていた窯に押し込んだ。匂い消しを徹底し、皿洗いに専念する。
「どれぐらい焼くんでしょうか?」
「良い香りがして来たら頃合いだな」
釜の前で待とうとする彼女を抱き上げて場所を移す。好奇心に負けて火傷されたら堪ったものではないからだ。食器を準備し、完成を待つ。やがて釜から良い香りが漂って来た。出来たか。完成したそれを持って来て机に置く。
「完成だ」
こんがりと綺麗な焼き目がついたチーズの香ばしい匂いが食欲をそそる。想像以上に胃に優しくない物が出来上がってしまった。少食のこの子に食べれるだろうか…?と様子を伺えば真剣な顔付きで料理を見ている。
「これを食べれば責務は果たせます、よね」
俺はその言葉に完全に虚を突かれた。責務とは随分、重々しい言葉を使う。美味しそうとか食べても良いかとか他に言う言葉はあるだろうに。この子は食べる事で魔物や芋と向き合いたい気持ちがあるのだろう。
「そうだな。食べられそうな分を用意するから少し待っていてれ」
「はい!」
ここで変に言葉を掛ければ否定と取られかねない。黙って食事を皿へと盛り付ける。毎度思うのだが何故、チーズは最初からこの良い香りがしないのだろうか。焼く前のあの臭さが嘘のように変わる度に俺はそう思ってしまう。その間、彼女は背筋を伸ばして椅子に座った。俺には低すぎる机でもこの子にはちょうど良さそうだ。
「いただきます」
「召し上がれ」
俺も後を追うようにして、いただきますを言う。彼女が匙で掬い、ほくほくとした芋と脂で輝く肉がとろけて糸を引くチーズで出来たそれを口に運ぶ。ゆっくりと噛み嚥下されるのを見守る。
「どうだ?」
「…美味しいです、とても」
「良かった」
蕩けるような笑顔で彼女が言った。後から同じ様に口へと運ぶ。食べた料理は美味しかった。美味しかったのだが刺激が足りない。
(胡椒を…いや、今回は良いか)
幸せそうに食べる彼女にとってはこれが良いのだから。粥を無理矢理食べていた姿が嘘のような食いっぷりだ。それが俺は嬉しくて自然と口角が上がる。刺激など今は必要ないだろう。
「ご馳走様でした」
手を合わせた彼女の皿は綺麗に輝いていた。
不世出のライフ どちざめ2号 @DCZM_2
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