不変の病

昼夢夜想

透明な覚悟

一度、家出をしたことがあった。

親と喧嘩して衝動的に家を出た、というわけではない。

用意周到な状態で家出に至った。

準備をしている段階ではワクワクした気持ちすらあった。

ただ、いざ家出をしようとなった時、どうしても足が動かなくなってしまった。

私の理性がひたすらに私の、これから行おうとしている行為を止めようとしてきた。

いつもだったら私はそれに抗うことが出来なかっただろう。

ただ、その時の私はどうしても抗わなければいけなかった。

もしその時すら抗うことが出来なかったのならば、私は本当に一生変わることができない、そんなことになるだろうと思ったから。


そんな風に結局悩んでいると、私の中の「衝動」が助けを出してくれた。

そして、私はとりあえず家を出ることができた。

外は風が強い日だった。私はとりあえず海まで行こうと思った。

自分を変えたいがため家出して、行きたい場所なんてあるわけがないのだけど、何となく物語では家出した後は海に行っているイメージが強かったから。


外がほとんど真っ暗になったくらいで、ついに海にたどり着いた。

波はすごく荒ぶっていて、風もすごかった。

砂浜と海の境界線が暗闇のせいで良く分からなかったから、遠くから海を眺めているだけだった。そのころには、自責の念が十分私の中で出来上がっていた。


家出をしてみたはいいけど、正直もう帰らなければいけない、なんて気持ちが私のほとんどを支配していた。それでも帰らなかった、いや、帰れなかったのは、私が私自身を何としてでも変えたいとひどく焦っていたからだろう。


ずっと家出し続けることができる人間を私は本当に今でも尊敬できる。

私は家出すらできなかった。正直、家を出てから5分もたたないうちに私の衝動的な感情は消え去っていて、私の中の忌まわしい理性が顔を出していた。

お前のせいで私は今まで何もできなかったのだ、そう本気で思っていた。

私は過度に理性的になりすぎた。悪いことなどできたためしがない。


悪い人は弱い人?そんなわけがないだろう。

強さとは手段の多さだと私は思う。悪い人は法律なんかで禁止されている手段すらも平然と使うことができる。つまり悪い人は強い。

悪い人は弱い人、なんて言って自らを慰めている良い人のほうがもちろん弱いだろう。まあ、現代では善悪の基準すらどんどん相対的になってしまっているわけだが。

多様性の末路だろう。


話が逸れた。私の悪い癖だ。まあ、こんなことを言っておきながら直すつもりはないのだけれど。


要するに、私は何かについて、ある面から考え、そしてまた別の面から考え、そんなことを繰り返し、結局雁字搦めに至って事を為すことを諦める。

諦めるというより、別の何かに興味を移すことで正当化を行う。

今はこっちのほうがいい、なんて思いこみながら。

実際にそう思えてしまっているのだから、私の自己洗脳能力はかなり高いものなのだろう。


他者からの洗脳にはかからない自信がある。

こんなことを言っているやつほどかかるのだろうが。

ただ、私は今は自分自身のことでいっぱいだから、他者のことなど気にすることがなかなかできない。だから、催眠にはかかりにくいはずだ、多分。

まあ、もしかかってしまえばそのほうが楽なのかもしれない。

私を社会的に健全な方向へ導いてくれる催眠ならば私は喜んでかかりにいくだろう。そんな都合のいい催眠などはないのだろうが。


私は何も為せない。実際に家出も諦めようという考えが頭の大部分を占めていたわけで。ただ、なんだかんだで2時間くらいは粘っていたのだ。

家出してからの時間で競っているあたり、真の意味での家出は私にはできていないのだろう。世間一般で言われる家出らしいものを私はひたすらに演じていたのだ。

今考えるとあまりに愚かで、改めて自分が嫌になる。


醜態を覚悟で最後までの、私が演じた家出劇について語らせてもらう。

そのあとからは、しばらく現実逃避に至っていたように思う。

その時は、私は夢見心地でいることができた。


親だったり親友だったりが「やっぱりここにいた。」なんて言いながら私を迎えに来てくれて、泣きながら互いの思いを吐露し合って、最後には一緒に家まで帰るのだ。


私はもうそんな年は既に過ぎているのだが、本当にそんな物語的な出来事を夢想していたのだ。


家出物語のフィナーレとはもちろん、家出した少年を探していた誰かが見つけることだろう。


私は理解していた。きっと私は自ら家へ帰らないといけないだろう、と。

たしかにそれは物語の中だけの産物だった。


分かっていたが、確かにそんな産物を期待してしまっている自分もいて、もう何が何だか分からなくなってきていた。


親は警察に電話していて、一家総出で大問題と化しているかもしれない、そんな訳の分からない不安すら浮かんだ。


そこまでの家出にはしたくなかったんだ。

私が演出したかったのは、そこまではいかないちょうどいい家出だったわけだ。

もし警察とかが私の捜索に出ていたらどうしよう、なんて不安も抱いていた。

そんなわけない、いやもし本当にそうなっていたら、、、そんな風に考えが二転三転していた。


私は帰ることにした。憂鬱で仕方なかった。

こんな気持ちを抱くことなど最初から分かり切っていたはずなのに。

それでも私は学ばずに何度もこういったことを積み重ねていっていた。


若気の至りごっこをしてみたかった。ただ私の身勝手な理由で。


帰ると、両親は神妙な顔つきで私を迎え入れてくれた。

最初は怒られていたけどあまり覚えていない。私の話を聞いてくれなかったから。

ただ、後半からは私の考えだったりを聞いてくれながら、悩みだったりを聞いてくれた。私は赤裸々に話したつもりだった。そして、今日はとりあえず寝なさい、なんてことになった。私としてはまだまだ話したいこともあったけれど、私が伝えたいことがあんまり伝わっているようには見えなかったから諦めた。

やっぱり私は伝えることは苦手だった。


そしてベッドに入った。

そこで私は一人反省会を開いたわけだが、最初に気づいたこととして、そのようなことを行った後の、今の私の心情というものはどこまでも冷静だった。

何もなかったかのように冷静だった。そして、家出から学んだこと、感じたことだったりを考えてみたけどそれらは全て今まで何度も感じたことのあることばかりだった。後で後悔するのだから真面目に生きる。結局そういったどうせ私には、守れない教訓を思い出すだけだった。


私は何がしたかったのか、感情としては覚えているが、ベッドの中で考えると理解不能だった。人間とはそんなものなんだろう、なんて一般論でごまかすことにした。


つらつら語ってみた。この文章から分かるように、私は私自身の描写をあえてみじめに、愚かに見えるように書いてしまうきらいがある。


それできっとある種の慰めを頂いているのだ。

私はここまで拗らせてしまった。現代でもそう言った人は多い。


もっと単純な図式での承認欲求で満足することができればよかったのだが。

ただ、私がこうなってしまったのにはSNSに大きな理由がある、と私は確信している。SNSではさっき述べた単純な図式での承認欲求を得ようとする行為に対して周りのユーザーはひどく攻撃的になる。SNSなんて自慢するために使うのが一般的な人間社会としては健全だろう。なぜそういった投稿よりも自虐的な投稿の方が伸びるのだろう。そうなっている時点でSNSというものは健全な働きをしていないことになる。

まあ、SNSが健全に動いていると思っている人はほとんどいないのだろうが。

皆共感性羞恥というものを抱くのだろうか。だからこそ純粋な自慢投稿があれほど攻撃されるのか。それが嘘だと分かった瞬間などもうすごい。

ありふれた表現だがまさに魔女裁判のごとくだ。

攻撃していいと許可されたものに対して、SNSというものは本当に容赦がない。そもそもそれが人間の本質であったのではないか、と思うほどに。


そんな風に。単純に欲求を満たせない世の中になっていったから、もちろん私としても欲求の満たし方をアブノーマルな方に走るしかなかったわけだ。

自分をあえて低く演出することで慰めを得る。こうなってしまえばもう終わりなのだろう。

それでもいい。終わった以上、ここからはどうとでもできる。


そろそろ終わっておこうと思う。どうせ世界は回り続けるのだから。

止まってくれるのならば、もう少しこうさせてほしかった。


こんな私でも、こんな私だからこそ、大いなる何かを成し遂げてやる。

それは衝動的なものでもなく、積極的なものでもない。

ただ細々と、しかし消えることのない透明な火のごとき覚悟。

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