菫-2-

当日の電話にかかわらず良寛寺の住職は快く応じてくれた。

やはり柘植の名が効いたのだろうか。

ただ午前中は檀家さんの法事で、午後からの約束となった。

空いた午前中は郷土史で柘植家について調べてみようと思った。

(それほどの資産家だったなら何か資料があるかもしれない)

香織はかつて柘植家が隆盛を誇った帯壁町たてかべ町に向かった。

電車で五つ離れた駅が帯壁駅だった。

ただ都心と違って北関東の地方都市、しっかり1時間は揺られていた。


帯壁町は戦国時代、日本では稀有な城塞都市だった。

今ではその名残すら無いが、壁が帯のように長く延びていたことから帯壁と呼ばれるようになった...と郷土史にあった。

町営図書館で開館と同時に郷土史を漁る香織の姿は人目を引いた。

「こんにちは。今日はどのような資料をお探しでしたか?」

書架に見える背表紙を指で辿る香織の隣に女性が立った。

「えっ」と視線を向けると『図書館司書 大塚』とネームストラップが下がっていた。

「お手伝いしますよ」

人懐っこい笑みを見せた。

午後からは住職との約束がある香織は、渡りに船とばかりに「ありがとうございます」と頭を下げた。


「柘植さんと言うと柘植紡績の柘植さんですかね」

大塚は香織の『資産家』『柘植』と言う少なすぎるワードにも関わらず書架から数冊の本を抜き出した。

「この辺りでは戦前は柘植財閥と呼ばれていたそうですよ。紡績、林業、金融...ああ、それらは資料を見ればきっと書いてますね」

「詳しいんですね」

「実は去年まで郷土資料館でアルバイトをしていたんです。柘植紡績跡地で」

「そうだったんですか」

香織が妙な縁に驚くと「空襲や火事、破産後の差し押さえで、現存する当時の建物がひとつあるだけなんですけどね」と少し残念そうに大塚は言った。

「その建物が資料館になっているので、お時間が許せばぜひお立ち寄りくださいね」

最後にそう言うと大塚は受付カウンターに戻って行った。


柘植家は1590年の秀吉による小田原討伐で北条軍隷下で参戦した。

(こんなに昔に遡るのかぁ)

ほんの80年くらい遡るつもりだった。

歴史上の人物の名前まで出てきたことに、香織は戸惑いを覚えた。


今や天下人たらん秀吉自ら率いる豊臣軍。

破竹の勢いの進軍は、天下の険なる箱根峠の護りも数時間で突破すると小田原に迫った。

箱根十城をはじめ、北条の城は次々と陥落していった。

しかしこの地にあるは戦国随一の堅城、小田原城。

北条軍は、籠城による徹底抗戦にこそ勝機有りと豊臣軍を待ち構えた。

搦手からめての豊臣軍は水軍による海上封鎖を実行。

陸路も海路も断たれた北条軍は士気も落ちていった。

(えっ、それってもう絶望的じゃないの)

香織は負け戦の最中さなかに籠城する城から見た相模湾を想像した。

湾を埋め尽くす豊臣水軍の船、船、船...

心中察するに余りある状況だった。


そんな中で一縷の望みだった伊達政宗が、豊臣軍として参戦したことを知り北条氏は降伏を決意した。

およそ4ヶ月に及ぶ戦いは終わった。

そして柘植は、助命の代わりに武士の身分を剥奪され帰農郷士となったと記されていた。

その後は江戸の世となり再度士官しようと試みるも、天下泰平の時代に武士の職は無く農民の身分は変わらなかった。

(なんか面白いんだけど)

香織は遥か遠い先祖が歴史の中で息づき、こうして資料として残っていることに心踊った。

それが偉人のような活躍ではなくとも。


その後は土地一帯を支配する豪農に成長し、数多の農奴を使役するようになった。

時代は大政奉還を経て明治に変わる。

多くの武士が職と身分を失ったが、300年も前に失職して農家として大成した柘植家には全く影響が無かった。

むしろ文明開化、富国強兵の号令により山林の木々は売れに売れた。

これにより柘植家は林業から頭角をあらわすようになった。

(なんかライトノベルでありそう)

資料を見ながら込み上げる笑いを噛み殺してこらえた。

(あれって結局は、人間万事塞翁が馬って話よね)

そう思うとやはり可笑しくて声を押し殺した。


明治26年は柘植家にとって飛躍の年となった。

紡績工場(現郷土資料館)を立ち上げ翌年に稼働開始。

日清戦争勃発により需要が増加し、経営の安定化から金融、先物取引と多角化した。

柘植財閥と呼ばれた柘植家だったが戦後のGHQからは財閥認定されずに解体はまぬがれた。

しかし戦後の農地改革や、金融の破綻等で柘植家は斜陽を迎え昭和30年頃には事業悪化により破産した。

一気に読み終えた香織は大きく伸びをした。

首周りがポキポキと鳴った。

(柘植菫子かぁ...想像もつかないくらいにお嬢様だったんだね、おばあちゃん)

数枚のお屋敷の写真や工場の写真が資料にあった。

韓流ドラマで見るような豪華なお屋敷。

レンガ造りの大きな工場は、それだけで文化遺産のような趣だった。

「さて」

香織はスマホで時間を確認すると資料を書架に戻していった。

帰り際、貸出手続き中だった大塚に頭を下げると、闊歩するように大きく足を踏み出した。


意気揚々と良寛寺に向かった香織だった。

途中でふと自分が手ぶらなことに気付いた。

慌てて近くにあったスーパーに立ち寄った。

そこのテナントに入っていた洋菓子屋で、お土産用の詰め合わせを買うついでに郷土資料館の場所を尋ねた。

「ああ、柘植紡績ですね」

それほど年配でもない店員が、柘植紡績と呼んだことに香織は少し驚いた。

「柘植紡績って大昔に無くなったんですよね?」

香織の問い掛けの真意を察した店員は「地元の団塊世代以上は、自身や親の多くが関わった企業ですから」といかに住民に根差した企業だったかを教えてくれた。

郷土資料館は良寛寺からほど近く、徒歩数分の場所だと教えてもらった。

香織はお土産を携えて良寛寺へと向かった。


「いやぁ、確かに菫子さんの面影がありますわ」

住職は開口一番そう言って目を細めた。

住職は尋常小学校時代の同窓生でよく一緒に遊んだそうだ。

「立ち話もなんですから、さぁ中へどうぞ」

住職にうながされて香織は応接間に通された。

「お口に合うか分かりませんが」

そう言ってお土産を渡しながら(定型文って便利よね)と考えていた。

「早速なのですが、住職さんは北浦将吉という名前に心当たりはございませんか?」

香織は単刀直入に切り出した。

祖母の思い出話などが始まってしまうと長引きそうだと思った。

住職は少し黙ったあと静かに口を開いた。

「優書院護慶学将信士...将吉さんに戒名を付けたのは私です。位牌をご覧になったのでしょう」

「はい。でもその...」

香織は一度口ごもってから「戒名の方は読めなかったのでよく覚えてないです」と一気に言った。

そして最後に「ごめんなさい」と付け加えて。

これには住職も絶句した後に「これは参った」と、大きな口を開けて笑った。

そして笑顔がすっと消えると遠くを見るように話し始めた。

「あの日、境内に幽霊を見ました。蒼白い顔でゆらゆらと歩く様には生気が無く、本当に幽霊そのもののようでした」



午前中の空襲警報でお勤めが遅れていました。

お勤めと言っても経を読むだけです。

鐘は軍への供出物として持っていかれてしまい、突くことは出来ませんでした。

昭和19年の秋のことです。

一区切りついたところで、境内の掃き掃除をしようと外に出た時でした。

ゆらゆらと揺らめく陽炎かげろうのような人影が近付いてきました

その相貌は生気を失ったように蒼白く、瞳は力なく光がありませんでした。

ひと目見ただけでは菫子さんだとは分かりませんでした。

幽霊が現れたと本当に思いました。

菫子さんは私の袈裟を掴むと、そのまま倒れるように膝を着いてしまいました。

袈裟を引くその手を見ると1枚の紙が握られていました。

すっかり折れてシワが寄った紙を受け取り開くと、それは戦死の通知でした。

北浦将吉さんの名前が6月30日の日付けで書かれていました。

あの頃はまだ父が住職として健在で、私は菫子さんを本堂に休ませると住職を呼びに走りました。


住職と一緒に本堂に戻ると、菫子さんは幾分落ち着きを取り戻していました。

ただ、我々を正座で待っていました。

本堂の板の間にです。

私は慌てて、お勤めの時に使う座布団をひっ掴んで差し出しました。

ですが菫子さんは一瞥もくれずに真っ直ぐ住職を見て言うのです。

「どうか北浦に戒名をください」と。

これには弱りました。

柘植家は良寛寺の檀家衆ですが、北浦さんは柘植家の書生。

単なる丁稚でっちや従業員の類です。

今でこそ違いますが、当時は檀家以外に戒名を与えるなんて、まず無いことでした。

私は一旦席を外しました。

ここから先は住職と菫子さんのお話です。

そしてなにより、あんなに憔悴しきった菫子さんを見るのは私自身が辛かったのです。


程なくして私は本堂に呼ばれました。

住職は私に北浦さんの戒名を付けるよう言って出て行きました。

「お願いいたします」

菫子さんはか細い声でそう言うと、握りしめていた戦死広報を私に手渡しました。

先程拝見した戦死広報でしたが、よく見るとインクも朱印も所々に水の滲んだ跡がありました。

戒名を付ける。

私には初めての大役でしたが、お二人にしっかりと向き合おうと思い約束しました。

「良いもの考えようと思います」

そう言うと菫子さんは「よろしくお願いいたします」と平伏していました。

私はそのお姿に一途な神々しさを感じて、思わず手を合わせていました。


説法を語るように優しく滑らかな語り口で話した住職は静かに手を合わせた。

まるであの日の菫子が目の前に居るかのように。

「そうすると北浦将吉さんは柘植紡績の従業員だったのですか?」

香織の質問に住職は首を振ると「書生さんでした」と答えた。

「ショセイ」

そう口にする香織に「柘植家に住み込みで働きながら勉学に励む人のことです」と住職は教えてくれた。

「新聞奨学生みたいな?」

香織がそう聞くと苦笑いしながら「まぁイメージとしては」と言った。

「実は私は生前の北浦さんのことはよく存じ上げませんのです。柘植家で女中をしていた方が、当菩提寺の檀家さんなので連絡を取りましょうか?」

香織はその申し出にありがたく頭を下げた。

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