第5話「偽りの聖女と蝕まれる大地」
私たちがヴァインベルク領で着実に地盤を固めている頃、王都は一人の少女の話題で持ちきりだった。
リリア・ベルンシュタイン。私を断罪の場に引きずり出した、あのゲームのヒロイン。彼女は今や「アストレアの聖女」として、民衆から絶大な支持を集めていた。
彼女が持つとされる「聖魔法」。その力は、祈りを捧げた土地を祝福し驚異的な収穫をもたらすという。痩せた土地ですら彼女が一度祈れば、翌年には信じられないほどの作物が実るらしい。
「聖女様万歳!」「奇跡の乙女だ!」
王都から流れてくる噂は、熱狂に満ちていた。王太子ユリウスは、自分の選択が正しかったとばかりにリリアを国の宝として扱い、その功績を大々的に喧伝していた。
だが、私はその現象に強い違和感を覚えていた。
「……土地の寿命を、前借りしているだけだわ」
セバスが持ってきた王都の新聞記事を読みながら、私は思わず呟いた。
科学的な根拠がまるでない、あまりにも都合の良すぎる奇跡。前世の農学知識が、私の頭に警鐘を鳴らしていた。植物が育つためには、土壌の中に適切な栄養分、水分、そして微生物の活動が必要不可欠だ。魔法で一時的に収穫量を増やせたとしても、それは土が本来持っている地力、いわば生命エネルギーを無理やり搾り取っているにすぎない。
例えるならドーピングだ。一瞬の栄光のために、選手の体をボロボロにする薬物と同じ。これを続ければ土地は必ず限界を迎え、取り返しのつかないほど疲弊する。
「カイ、どう思う?」
私が隣で薪を割っていたカイに尋ねると、彼は斧を振り下ろしながら簡潔に答えた。
「……まともじゃない。自然の理から外れている」
やはり、彼も同じように感じていたらしい。彼の言葉はいつも的確だ。
私の懸念は、数ヶ月後、徐々に現実のものとなり始めた。
ヴァインベルク領と王都の中間に位置する、いくつかの領地。そこは、いち早くリリアの「聖魔法」の恩恵を受けた場所だった。最初の年は確かに驚くほどの豊作だったという。しかし、翌年。
「エリアーナ様、奇妙な噂が……聖女様の祝福を受けた土地で、今度は作物が全く育たなくなったとか」
行商人がもたらした情報は、私の予測を裏づけるものだった。
「それどころか、雑草一本生えない真っ白な死の土地に変わってしまった場所もあるそうです。まるで塩を撒かれたように……」
土地が、死んでいる。
生命エネルギーを根こそぎ吸い取られた結果だろう。恐ろしいことに、この「土壌ドーピング」には強烈な副作用があったのだ。
リリア本人に悪意はないのかもしれない。彼女もまた自分の力の本当の恐ろしさを知らずに、ただ人々を助けたい一心で魔法を使っているだけなのかもしれない。
だが、その善意が生み出す結末はあまりにも残酷だ。
王都の人々は、まだ熱狂の中にいる。ユリウスも貴族たちも、目の前の奇跡に浮かれてその先に待ち受ける破滅に気づいていない。
私は窓の外に広がる、黄金色のヴァインベルク領の畑を見つめた。地道に着実に、土と向き合って育んだ私たちの畑。ここにあるのはまやかしの奇跡ではない。汗と、知恵と、時間と、愛情が生み出した本物の豊かさだ。
忍び寄る影は、確実に王国全体を覆い尽くそうとしている。今はまだ、遠い王都の話。でもこのままでは済まないだろう。
私は、来るべき日に備えなければならないと静かに決意を固めるのだった。
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