第12話『王女の呪いと新たな旅の予感』

 カイたちとの一件が片付いてから、俺たちの拠点には再び平和な日常が戻ってきた。いや、以前よりもっと穏やかで、満ち足りた日々が訪れたと言った方が正しいかもしれない。

 うっとうしい過去とのしがらみが消え、俺の心は完全に晴れやかになっていた。

 セレスさんも、元パーティーメンバーとの再会には思うところがあったようだが、一つの区切りがついたことで、どこか吹っ切れたような表情をしていた。


「アルクさん、ありがとうございました。私一人では、きっと彼らと向き合うことはできませんでした」

「いいんですよ。セレスさんは、もう俺の大切な仲間なんですから」


 そんなやり取りを、フィーリアが「私も!」と言いたげに尻尾を振って見ている。そんな何気ない日常が、今は何よりも愛おしかった。

 ある日の夜、俺たちは暖炉の火を囲んで、のんびりと過ごしていた。俺はフィーリアの背中を撫で、セレスさんは古い魔導書を読んでいる。

 ふと、セレスさんが読んでいた本から顔を上げた。


「アルクさん、フィーリアのことなのですが……少し、気になる記述を見つけました」

「フィーリアの?」


 俺が聞き返すと、セレスさんは真剣な顔でうなずいた。


「はい。この本には、古代に存在したという『呪装魔法』についての記述があります。それは、対象を別の姿に変えてしまうという、非常に強力で邪悪な呪いです」

「別の姿に……?」

「ええ。そして、その呪いを受けた王族の物語が載っているんです。隣国の王女が、政略結婚を嫌って国を逃げ出したところ、追手の魔術師によって、獣の姿に変えられてしまった、と」


 その話を聞いた瞬間、俺の腕の中にいたフィーリアの体が、びくりと震えた。俺が彼女の顔を覗き込むと、その金色の瞳が、悲しそうに揺れている。

 俺は、一つの可能性に行き当たった。

 フィーリアは、初めて会った時から、ただの狼ではないと思っていた。人間の言葉を理解し、気高い知性を感じさせた。カイたちと対峙した時には、テレパシーで話しかけてきさえした。

 そして、セレスさんの話に出てくる『獣の姿に変えられた王女』。

 まさか、とは思う。だが、目の前の愛しい銀狼が、ただの獣ではないことは確かだった。


「……フィーリア」


 俺は、優しく彼女の名前を呼んだ。


「もしかして、君は……人間、なのか?」


 その問いに、フィーリアは悲しげに瞳を伏せた。そして、ゆっくりと一度だけ、こくりとうなずいた。

 やはり、そうだったのか。

 俺の腕の中にいるこのもふもふの塊は、呪いによって姿を変えられた、どこかの国のお姫様だったのだ。


「そうか……。ずっと、辛かったな」


 俺は、フィーリアを抱きしめる腕に、そっと力を込めた。一人で森を彷徨い、傷つき、どれだけ心細かったことだろう。獣の姿では、誰にも助けを求めることさえできなかったに違いない。

 俺の腕の中で、フィーリアの体が小さく震えている。

 その時、俺はふと、辺境の町で手に入れたあの古いペンダントのことを思い出した。

 呪いを封じるための、強力な魔法具。

 直感的にそう感じた、あのペンダント。もしかしたら、あれがフィーリアの助けになるかもしれない。

 俺は亜空間からペンダントを取り出した。


「セレスさん、これを見てください」

「これは……? すごい魔力を感じます。ですが、何重にも封印が施されていて、本来の力がほとんど失われているようです」


 セレスさんは、目を細めてペンダントを鑑定した。


「このペンダント、フィーリアの呪いに何か効果があるかもしれません。試してみる価値は、あると思いますか?」

「ええ。断言はできませんが、可能性はあります」


 俺はセレスさんの言葉にうなずくと、フィーリアに向き直った。


「フィーリア。これを、君の首にかけてもいいか? もしかしたら、何か変わるかもしれない」


 フィーリアは、少し戸惑ったような表情を見せたが、やがて俺を信じるように、静かにうなずいた。

 俺は、古びたペンダントを、そっとフィーリアの首にかける。

 その瞬間、ペンダントに埋め込まれた石が、淡い、優しい光を放ち始めた。光はフィーリアの体全体を包み込み、部屋中が温かい魔力で満たされていく。

 光が収まった時、俺たちの目の前にいたのは、銀狼の姿のフィーリアだった。


「……だめ、だったか」


 俺ががっかりして肩を落とした、その時。


「……あ、るく」


 か細い、しかし透き通るような美しい少女の声が、俺の名前を呼んだ。

 声の主は、フィーリアだった。彼女は銀狼の姿のまま、しかし、確かに人間の言葉で話したのだ。


「フィーリア……! 声が……!」

「ええ……。ペンダントの力が、呪いを少しだけ弱めてくれたみたい。完全に解くことはできないけれど……こうして、あなたと話せるわ」


 フィーリアは、まだ慣れない様子で、しかし嬉しそうに言葉を紡いだ。その声は、彼女の気高い雰囲気にぴったりの、凛とした響きを持っていた。

 俺とセレスさんは、顔を見合わせて微笑んだ。完全ではないが、大きな一歩だ。


「よかった……本当によかった、フィーリア」

「あなたのおかげよ、アルク。私を見つけてくれて、助けてくれて……本当に、ありがとう」


 フィーリアは、感謝の気持ちを込めて、俺の頬にすり寄ってきた。もふもふの毛並みが、くすぐったい。

 その夜、俺たちはフィーリアから全ての話を聞いた。

 彼女の本名は、フィーリア・ルーン・シルヴァーナ。隣国シルヴァーナ王国の第一王女であること。政略結婚から逃れるため国を出たが、それを快く思わない対立派閥の魔術師に呪いをかけられ、フェンリルの姿に変えられてしまったこと。そして、森を彷徨っていたところを、俺に助けられたこと。


「私の呪いを完全に解くには、呪いをかけた魔術師本人を倒すか、あるいは、大陸のどこかにあるという『聖なる泉』の水で身を清めるしかないと聞いているわ」

「聖なる泉……」


 聞いたことのない名前だった。見つけるのは、容易ではないだろう。

 だが、俺の心は、すでに決まっていた。


「探そう、フィーリア。その聖なる泉を。俺が、必ず君の呪いを解いてみせる」


 俺が力強くそう宣言すると、フィーリアは金色の瞳を潤ませた。


「アルク……」

「もちろん、私もお手伝いします!」


 セレスさんも、にっこりと笑って言った。


「大陸中の文献なら、私の頭に入っています。聖なる泉の場所、きっと見つけ出してみせます」


 頼もしい仲間たちの言葉に、俺の胸は熱くなった。

 一人と一匹で始まったスローライフは、いつの間にか、かけがえのない仲間たちとの絆を育んでいた。


「ありがとうございます、二人とも」


 俺は、心からの感謝を告げた。


「よし、決まりだな! 俺たちの新しい目標だ!」


 拠点を守りつつ、聖なる泉を探す旅。それは、これまでの穏やかな生活とは少し違う、冒険の匂いがした。

 だが、不思議と不安はなかった。

 この二人と、もふもふの相棒と一緒なら、どんな困難だって乗り越えられる。そんな確信があったからだ。

 自由で気ままな俺たちの旅は、まだ始まったばかり。

 目指せスローライフ、でも、大切な仲間を助けるための冒険なら大歓迎だ!

 俺は、隣で幸せそうに微笑むセレスさんと、俺の膝の上で安心しきって眠るフィーリアの寝顔を見ながら、これから始まる新たな日々に、胸を躍らせるのだった。

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