第3話『銀狼と温かいスープ』

 新しい生活が始まって数日が経った。俺の生活は、日に日に充実度を増している。

 家の周りには【亜空間収納】の力で作った畑が広がり、そこでは瑞々しい野菜がすくすくと育っていた。亜空間内で時間を加速させているので、種を蒔いた翌日にはもう収穫できるという反則っぷりだ。

 湖での釣りも日課になった。面白いように魚が釣れるので、食卓はいつも新鮮な魚料理で彩られている。

 今日は森の探索がてら、食料調達に出かけることにした。目的は、この辺りで採れるという甘い香りのするキノコだ。


「さて、と。出発しますか」


 俺は手製のリュックを背負い、ログハウスを後にした。

 森の中は静かで、木々の間を吹き抜ける風が心地いい。鳥のさえずりや、葉が擦れる音だけが聞こえてくる。パーティーにいた頃の、常に緊張を強いられるダンジョン探索とは大違いだ。

 ああ、平和だなぁ。

 そんな風にのんびりと考えながら歩いていると、ふと、茂みの奥から微かな音が聞こえてきた。

 クゥン……という、か細い鳴き声。獣のものだろうか。だが、それは苦しんでいるようにも聞こえた。

 気になって、音のする方へと慎重に足を進める。茂みをかき分けると、そこに信じられない光景が広がっていた。


「これは……」


 そこに倒れていたのは、一頭の狼だった。

 だが、ただの狼ではない。その体毛は、月光をそのまま固めたかのような美しい銀色に輝いていた。大きさも普通の狼より二回りは大きく、神々しささえ感じさせる。

 しかし、その美しい銀狼は、脇腹から血を流してぐったりと横たわっていた。呼吸も浅く、今にも事切れてしまいそうだ。傷口を見るに、おそらく他の魔物と争って深手を負ったのだろう。

 なんて綺麗な狼なんだ……。

 俺はしばしその姿に見とれていたが、はっと我に返った。このままでは死んでしまう。

 俺はゆっくりと銀狼に近づいた。人間を警戒しているのか、狼は俺の接近に気づくと、弱々しくも唸り声を上げ、牙を剥いた。その瞳には、強い警戒心と、決して屈しないという誇りが宿っている。


「大丈夫、何もしないよ。手当てをさせてくれないか?」


 俺はできるだけ穏やかな声で話しかけ、両手を広げて敵意がないことを示す。だが、銀狼の警戒は解けない。

 困ったな……このままじゃ……。

 その時、俺はいいことを思いついた。

 そうだ、料理だ。

 俺は亜空間から手鍋と食材を取り出し、その場で簡単なスープを作り始めた。ベースは、滋養強壮に効く薬草と、干し肉から取った出汁。そこに、細かく刻んだ野菜を加えてコトコトと煮込む。

 やがて、食欲をそそる温かい香りが辺りに立ち込めた。銀狼は、最初は警戒していたものの、その匂いに鼻をひくひくと動かし始めた。

 スープが完成すると、俺は木の器によそい、銀狼の少し離れた場所にそっと置いた。


「お腹が空いてるだろ? 栄養のあるスープだ。これを飲んで、元気を出してくれ」


 俺はそう言うと、狼を刺激しないように、ゆっくりと数歩後ずさった。

 銀狼は、俺とスープを交互に見ている。その瞳に宿っていた警戒心が、ほんの少しだけ揺らいだように見えた。やがて、意を決したように、傷ついた体を引きずってスープの器へと近づいていく。

 そして、ぺろり、とスープを一口なめた。

 その瞬間、銀狼の目が大きく見開かれた。よほど美味しかったのだろう。そこからはもう夢中だった。器に顔を突っ込むようにして、一心不乱にスープを飲み始めた。ふごふご、という奇妙な音が聞こえてくる。さっきまでの威厳はどこへやら、という感じだ。

 あっという間にスープを飲み干した銀狼は、名残惜しそうに器をぺろぺろと舐めている。そして、こちらをちらりと見た。その目は、さっきまでの険しさが嘘のように和らぎ、「おかわり」を要求しているように見えた。


「はは、気に入ってくれたみたいだな」


 俺は微笑み、もう一杯スープをよそってやった。

 二杯目もあっという間に平らげた銀狼は、満足したのか、その場にごろんと体を横たえた。警戒心が完全に解けたわけではないだろうが、少なくとも敵ではないと認識してくれたらしい。

 これなら、手当てをさせてもらえるかもしれない。

 俺は亜空間から回復薬(ポーション)と清潔な布を取り出し、再びゆっくりと銀狼に近づいた。今度は、唸り声を上げることはなかった。


「ちょっとしみるかもしれないけど、我慢してくれよ」


 俺は布にポーションを染み込ませ、脇腹の傷口にそっと当てる。銀狼はびくりと体を震わせたが、逃げ出すことはない。むしろ、治療が終わるまでじっと耐えている。その姿は、まるで気高い騎士のようだ。

 手当てを終えると、俺は銀狼の頭を優しく撫でた。その毛並みは、見た目通り、絹のように滑らかでふかふかだった。もふもふ、という言葉がこれほど似合う生き物もいないだろう。

 銀狼は、心地よさそうに目を細めた。どうやら、すっかり心を許してくれたらしい。

 しかし、このまま森に置いていくわけにもいかない。傷は深かったし、また他の魔物に襲われるかもしれない。


「……俺の家に来るか? ここよりは安全だし、温かい寝床も、美味しいご飯もあるぞ」


 俺がそう問いかけると、銀狼はこくりと、まるで人間のようにうなずいた。

 言葉がわかるのか?

 まさかとは思うが、この銀狼はただの獣ではないのかもしれない。伝説に出てくるような、聖獣か何かだろうか。

 まあ、正体が何であれ、困っている相手を放ってはおけない。


「よし、決まりだな。ちょっと揺れるけど、我慢してくれ」


 俺は銀狼を抱きかかえようとして、その体重に驚いた。見た目以上にずっしりと重い。仕方なく、【亜空間収納】で一時的に体重を軽くして、なんとか抱き上げる。

 腕の中に収まった銀狼は、安心したように俺の胸にすり寄ってきた。

 こうして、俺の静かなスローライフに、予期せぬ同居人――いや、同居狼が加わることになった。

 美しい銀色の毛並みを持つ、気高くて、食いしん坊な、もふもふの相棒が。

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