第6話 嘘吐きと針千本

待ちなッ! 見ろよ、俺の親指をよォ! まだ傷一つ付いてねェぜ?」

「それがどうした?」


 歯を存分に剥き出して、ニヤリと下衆笑いを浮かべる奴隷商。

何処か得体の知れぬ不気味さが、辺り一面の空気をよどませる。


「よく聞きな……たった今、糸を射出したッ! 鉄格子の中にブチ込んでやった、あのガキに向かってなァ! 俺が殺そうと思えば、朝飯のパンを切るみてぇにアッサリとアイツは死ぬぜ?」


 生にすがり付くこの男は、醜悪さに溢れた起死回生の一手を繰り出した。

罪無き少年をてのひらに載せて、生かすも殺すも己の自由だと声高らかにわらってみせたのだ。


「駄目ですお兄さん! 俺の事は気にしちゃ駄目です!」


 この少年は身分で言えば、奴隷商よりも圧倒的に低い位置の人間だろう。

だが精神の高潔さならば、強欲の権化ごんげたる彼とは比にならない。

彼の心は鋼の様に屈強で、宝玉の様に美麗であった。


「黙りなクソガキ! 心臓麻痺で死にたくなりゃ、口を閉じるんだなッ!」


「くっ……お、お兄さん……」


 少年の濁りを知らぬ視線が、宙を射る矢の如くジークスを貫いた。

ジークスは少年を真正面から見つめた後、静かに両手を上げた。


「……分かった。負けを認めるぜ。投降の証として、今から腕にナイフを突き刺す。ソレで信じてくれるか?」


「フ、フ、フ! 聞き分け良いじゃねェか! さあ見せて貰おうか?」


 錆びた玉座で下品な胡座あぐらを掻き、高みの見物に入り浸る奴隷商。

倫理の欠片すら感じぬ蹂躙じゅうりんたのしむその様は、さながら人の皮を被った蛮獣であった。


「クッ……!」


 ジークスは己の皮膚にナイフを突き立て、その刃を奥深くまで潜らせる。

次の瞬間、奴隷商の右手に屈辱風味の鮮血が飛び散った。


「ああ面白れェ! いやァ! 今のお前、世界一情けね……グエアッッッ!?」


 だが、全てはジークスの盤上にあった。彼はさじを投げたのではない。

脅迫がハリボテか否かを、身をていして確認したに過ぎなかったのだ。


「いいや、世界一情けねェ野郎はお前の方だぜ。下らねェハッタリかましやがって。」


 微塵も躊躇ためらう事なく、一切手を震わせる事なく、ジークスは堂々とナイフを突き刺した。


「ハッタリだァ!? 殺すぞ? マジに俺はアイツをブッ殺すぞォォ!?」


 冷や汗の滝を浴びながら、奴隷商は咄嗟に吠えた。けれども骨折り損である。

彼の脅しが実体の無い影絵であると、ジークスは心から確信しているのだから。


「俺はテメェの右手に血飛沫をブチ撒けた。さっき、お前が本当に糸を出していたのなら。親指に付いた大量の血が、絶対に糸を伝うハズだぜ。だが、現実はどうだ?」


 思わず息を呑んで、己の右手に目をやる奴隷商。親指からポタリと垂れる血の一滴一滴が、彼には冷酷なる処刑へのカウントダウンに聴こえた。


「なっ、ソ、ソレはァ! い、いや冗談ですよォ! ジョークですジョーク! 貴方なら分かって下さると思って!」


 人形の様な笑顔を貼り付けて、見え透いた胡麻擂ごますりに走る奴隷商。

しかしり下ろされるのは、当然ながら彼自身である。


「何フザけた事言ってんだ、お前? 覚悟は出来てるんだろうなァ!?」


「殺し合いなんて止めましょうよォォ! 平和ピース! ピースが一番ですよピースが!」


 人差し指と中指をピンと立てて、奴隷商は命乞いのピースサインを作ってみせた。

だが生憎あいにくな事に、彼の行為は龍の逆鱗に泥を塗りたくるのと同義。


「ピースか、ソイツは良いな。」


 意外にも好意的な反応を見せるジークス。けれども勘違いは禁物である。

彼の好意は平和に対する物であって、奴隷商の処刑は刻一刻と迫っているのだから。


「ですよねェ!? ピース最高ですよねェ!? それじゃあ、命だけは……」


「だが。何処かの誰かさんが人差し指ねやがった所為で、中指一本死にやがれ畜生になっちまった……このツケ、命で払って貰うぞ下衆野郎がァ!!」


 堆積に堆積を重ねた灼熱のマグマが、遂に豪炎を噴き上げた。

ジークスの怒号は曇天をも引き裂き、奴隷商を顔面蒼白に震え上がらせる。


「根は聖人なんですよォォ俺ェ! だから許して下さいィィ! 哀れな俺に慈悲を下さ」

「喰らいやがれッ!!」


 腐肉に群がるハエの如く、鋭利な屑鉄の群れが奴隷商を襲う。

一つ残らず屑鉄が突き刺さり、彼は血に塗れた悪趣味な針山となった。

ジークスは仕上げに刃の一閃を添えて、彼の身体を瞬く間に引き裂いた。


「ア……ギ……アガ……」


「許しならばこの少年に乞いな。テメェを見逃す気なんざ、俺にはハナから無ェぜ。」


 死闘が幕を閉じると、ジークスはすぐさま囚われの少年に駆け寄って、檻を切断した。

鼻に残る血の臭いとは裏腹に、一段と輝かしい月光が二人を照らしている。


「あ、ありがとうございました! 俺とは違って、お兄さんは強いんですね……」


 少年は胸を撫で下ろしつつ、ジークスに尊敬の眼差しを向けた。が、しかし。


「いいや、ソレは違うぜ。」

「違う……って?」


 予想を裏切るジークスの言葉に、少年は思わず首を傾げた。


「君はコイツに脅しを喰らった時、自分に構うなと言い切った。間違いなく強い人間だ。」

「……俺、ホントに嬉しいです! いつか絶対、貴方みたいになります!」


 少年はジークスからの思いがけぬ賞賛に、しばしの間言葉を失っていた。

しばらくすると、彼の瞳は月に負けず劣らずのまばゆい煌めきを放った。


「面白い事言うな、君。ところで、これからどうする気だ? 一人で生きてくのか?」

何処か落ち着かぬ表情を浮かべて、ジークスが問い掛ける。


「俺は平気です。アテが有りますから!」

屈託の無い笑顔を振り撒きながら、少年は朗らかに言葉を返した。


「そうか。ソレじゃ、さよならだな。」

一抹の寂しさが混じった声色で、ジークスは少年に別れを告げた。


「はい、お元気で! 本当にありがとうございました!」

無邪気に手を振りながら、少年はジークスの元を立ち去ってゆく。

ジークスはその光景を見届けた後、再び踵を鳴らし始めた。


 数十分は経ったであろうか。月は依然として輝き、万衆を見下ろしている。

規則的な靴の音は、先程から一度も途絶えていない。今この瞬間までは。


「なッッ!? まさか、まさかッ!?」


 ズドッッッシュゥゥン……


 余りにも唐突で、余りにも一瞬の出来事。瞬きすら許さぬその刹那。

何処までも連なる廃墟はちりとなって、吹きすさぶ風の気まぐれに従う旅に出た。


 辺り一面に舞い散る砂埃がジークスを包んで、彼の双眸そうぼうを乱雑に撫でる。

あろう事か天をも穿うがつ彗星が、歪なくぼみを描いて地に降り立ったのだ。


 そして、怪奇は留まる事を知らない。


「動いている……動いているのかッ!?」

卵からヒナかえるかの様に、未曾有みぞうの何かが隕石の岩殼を突き破る。


「此処が……地上……」

羽根をがれた一対の翼に、穏やかな風を浴びて美麗になびく空色の髪。

焦茶の殼を払い除けて姿を現したのは、人間に非ぬ神秘を纏った少女であった。

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