曇らせも一般性癖

「これは……、想定以上ですね」

「聖女ちゃん、ヤバそう?」


 セシリアは視線を竜王のいる方からボクへと向けると、「はい」と頷いた。


「端的に言って汚染魔力濃度は想定以上かと」


 竜王はその姿を魔界化スゥト山ダンジョン山頂で、無防備に晒していた。

 四肢を伏せ、だらりと垂れた翼が体を覆う様は、一見、隙を感じさせるだろう。

 しかしながら、空気の粘っこいような、眉間にびりびりしたものを感じるような、強敵と対峙したとき特有の圧。

 竜王はそれを魔法射程範囲外からすらも発していた。


「ふうん、そうなんだ。でも、やれるよね、ガイラッド」

「ああ」


 ガイラッドはいつものようにぶっきらぼうに相槌を打った。


「俺がアレを抑える。お前はその隙に魔法を撃て」

「つまり、いつも通りってことだね」


 それからボクは何ともなしに空を仰いだ。山頂と言えど、魔物から発せられる瘴気の影響で陽光は妨げられ薄暗い。

 乾いた嫌な荒風が髪を乱していった。


「私は、」


 不意に少しの迷いを滲ませた声音でセシリアはそう言った。


「戦えません。お二人のように抜きんでた武力は持っていません」


 セシリアはロザリオを握っていた。その手に震えはない。ただ、手遊びでもするかのように、白い手袋越しにその輪郭をなぞった。

 これはセシリアの癖なのだろうか。

 ボクはそれすら知らないまま共に死地に臨む。


「ですが――聖女として最善を尽くします」


 それでも、はっきりとそう言ったその声色。双眸の力強さ。

 緊張はあるだろう。されど恐怖は薄い。そんな面持ち。

 それは急造の仲間が、命をかけるに値する強さを滲ませていた。


 頬が自然と緩む。

 強敵を前に仲間の強さを再確認できるなんて、なんて頼もしいことだろうか。


「聖女がいること自体が頼もしい、気負い過ぎるな」

「そうそう、セシリア。普通に考えてボクらみたいな冒険者に聖女が付くなんて、ありえないんだから。いるだけでありがたいよ」


 セシリアは浅く頷いた。そして形の良い唇に薄い笑みを浮かべた。


「……ありがとうございます。ですが、汚染魔力は命を賭けても封じてみせます。それが聖女私たちの役目ですから――」

「アレクさん」

「うん」

「ガイラッドさん」

「ああ」

「どうか、ご武運を」




 荒れ地を踏みしめ竜王へと一歩一歩、近づく。距離を縮める度に肌を刺すような緊張感が高まっていった。

 やがて、魔法射程範囲内に入る。

 そこから数歩進んだその時。ここだ、と思った。


 瞬時に魔力を練り上げ、術式を構築する。

 やにわに竜王がぎょろりと目を開く。


「いくよ」

「はい。――封印聖術、発動」


 後方が眩く光り、汚染魔力瘴気が薄くなる。――聖女の御業だ。

 それの認識と同時に、魔法を放った。


 杖の先端から放たれた閃光は想定通りに命中する。

 着弾地点は柔い粘膜部位。即ち眼球。

 魔法の効果は単純なもの。多量のボクの魔力竜王にとっての異物を攻撃性を持って流し込む。ただそれだけの、ある種の免疫反応を利用する魔法。

 それは、それ故に強力な効果を発揮する。

 竜王の眼から血涙が滂沱のように溢れた。

 されど竜王は片目で周囲を――それからボクたちを睥睨した。否応なく腹の底が縮むような恐怖が襲った。


 竜王が立ち上がる。

 その巨体に思わず息を呑む。頭だけで人一人分はあるだろう。


 そして、竜王は吼えた。

 その体が震えるような開戦の合図。それと同時にガイラッドがボクの側から駆け抜け、大剣を振り抜いた。

 暗いどどめ色の鱗に、鈍く光る刃がぶち当たる。薄暗がりの中、甲冑に刃をぶつけたときのように火花が散った。


「硬ぇな」


 ガイラッドは確かめるかのように淡々と呟き、竜王に斬り掛かった。


 ガイラッドは分厚い大剣を巧みに操る。

 分厚い刃が竜王にぶつかる度に、逆に、竜王の爪牙が大剣に弾かれる度に、重い金属音が辺りに響いた。


 数秒の攻防の後に、どす黒い血が宙に舞う。

 流れる血の量からして傷は浅い。だが竜王は隻眼でガイラッドを睨みつける。そして血の滴る前脚をゆっくりと振りかざした。


 それは隙だった。


 ボクは三節からなる単純な魔法を詠唱し発動する。

 選んだ魔法は『氷の刃』。飛来する刃は竜王の腕にある浅い傷口に突き刺さり、裂傷をこじ開ける。

 おびただしい量の血液が不毛の大地にこぼれ落ちた。


 致命傷には程遠く、決め手にもならない一撃。だが、ガイラッドの刃で傷付き、ボクの魔法が有効である以上、いつか勝てるのだ。

 勝利は決して手の届かないものではない。


 しかし――。


「――! ガイラッドさん、下がってください!」


 セシリアが声を張り上げた。ガイラッドは瞬時に後退する。

 それとほぼ同時に竜王の体から沸き上がるように、汚染魔力が滲み出た。

 空気が重く粘つく。浅く息を吸う。肺が鈍く痛む。鼻の奥から嫌な匂いがした。ボクは鼻を拭う。袖を一瞥する。そこには鮮血がこびりついている。


 唐突に空気を殴るような音が聞こえた。ばさり、と。

 つられるように視線を上げる。


「そんな……。汚染魔力は封じられたはずでは!」


 セシリアは息も絶え絶えにそう言う。

 ボクも、同じ気持ちだった。

 信じられない。信じたくない。しかし、現実として――。


――竜王は、翼を羽ばたかせ上空を飛んでいた。

 

 竜王のような巨体が飛翔するには、魔法が必要だとされる。だからこそ、聖女とともに挑み、汚染魔力を封じたのだが――。


「想定以上だね、これは」

「ああ。魔力を隠していやがったか」


 ガイラッドが苛立たしげに舌打ちをした。


「もう一度、汚染魔力を封じることはできるか」

「……できます。しかし、聖術が完遂される前に上空に逃げられてしまったら、意味がありません……!」

「なら、ボクが皮膜をぶち抜いて、地面に落とす! 詠唱完遂まで守ってくれよ、ガイラッド」


 ガイラッドは鼻で笑った。


「それが俺の仕事だ」

「知ってる」


 ボクは軽く笑ってから、魔力を高め詠唱に集中する。


 一節、詠唱する。

 ボクは脅威たると判断されたのだろう。


 二節目。

 竜王が空中から炎を吐く。


「それぐらいの魔力量なら!」


 三節目。

 セシリアが聖術でその炎をかき消す。


 四節目。

 苛立たしげに吼えた竜王が凄まじい速度で大地こちらに向かって降下する。


「させねえよ」


 五節目。

 ガイラッドの大剣と竜王の爪がかち合った。


 六節目。

 ガイラッドの背中越しに竜王と視線が合う。冷や汗が背中を伝う。

 それから視線が逸れた。アレはセシリアを見ているのだ。


「俺を見ろデカブツ!」


 ガイラッドが死角から刃を薙いだ。しかしそれは汚染魔力を纏い黒々と光り輝く鱗に弾かれる。

 竜王は視線を向けることすらなく、ガイラッドをその太い尾で嬲った。

 ガイラッドが弾き飛ばされる。


 七節目の詠唱が完了する。


 ボクは魔法を放った。


 先ほど竜王を穿った『氷の刃』。それを何本も束ねたかのような太さの『氷の槍』。

 並の魔物なら消滅する魔法。今まで幾度となく勝利をもたらした武器。

 それが竜王の翼に直撃する。

 片翼から力が抜けたように見えた。


 しかし、『氷の槍』が翼を貫くことはなかった。


 竜王が、こちらを見た。

 次の瞬間には、その大きな腕、狂暴な爪が頭上を覆った。


 死――。


「アレク!」


 体が乱暴に後ろに引っ張られた。ボクはもんどりうって地面を転がる。

 嫌な音が響く。鎧が粉々に砕けたかのような音。ボクは慌てて顔を上げる。


「が、はっ……!」


 生温かい鮮血が頬を濡らす。竜王の剣のような爪がガイラッドの肩を抉っていた。

 ガイラッドは膝をつく。大剣を杖のようにして立とうとしているが、無茶だろう。


 竜王の視線が無防備になったセシリアへと移った。その顎に、膨大な熱量が収束していくのが見えた。


「封印、聖術発動、します……!」


 三度セシリアは汚染魔力をその身に封ずる。炎は空中で掻き消えた。


 辛うじて今回は敵の攻撃を防げたが、もう、限界が近いのだろう。セシリアは荒々しく呼吸をしている。


「まだ……やれます。やら、なくちゃ」

 

 セシリアは震える声で鼓舞するようにそう言った。


 舌打ちでもしたい気分だった。

 敵は健在。一方で戦士は負傷。聖女は限界が近く、魔法使いの魔力量も心もとない。


 ボクは空を仰いだ。竜王は未だにホバリングしながらこちらを眺めている。

 その様子に殺意は感じない。

 今はまるで玩具でどう遊ぶかを考えあぐねているかのようだ。

 あれはもう、勝利を確信しているのだ。


 駄目だ、これは。


 ボクは目を閉じて深呼吸した。


「……セシリア! ボクが道を作る!」

「できるのですか!?」

「おい、待て!」


 珍しいな。

 ガイラッドの声には如実に焦りが現れていた。


「だから……、君も何としてでも汚染魔力を封じてくれ」

「それは、もちろんですが……」

「何をするつもりだアレク!」

「肉体魔力変換を使う。

――おっと、君たちに分かりやすいように伝えると、つまり、ボクの体を魔力にしてぶっ放す! てわけさ」

「そんな! いえ、ですが……」

「セシリア、あいつを止めろ!」


 ガイラッドが這いつくばりながら、喉が裂けんばかりに絶叫する。

 こんなにも必死な彼を見るのはいつぶりだろうか。


「分かってるだろ、まともな手段じゃもう勝ち目はない。ボクも、セシリアも、君も。なにかを犠牲にしないと、勝てないんだ」


 ガイラッドは一瞬、口を閉ざしてから溜息をついた。


「クソッ! ……お前はそんなもん覚えるべきじゃなかったな」


 その場違いにも皮肉っぽい声音に、ボクは肩をすくめた。


「しょうがないよ。ボクは天才だからね。なんでも使えちゃうんだ。――さ、二人とも、頼んだよ。……ボクの命を無駄にしないでおくれ」

「……わか、りました。隙を見つけ次第、封印聖術を発動します」

「ガイラッド、ボクを守ってくれよ。……役目だろう?」

「……当然だ」


 ガイラッドはよろよろと立ち上がり、大剣を構えた。


「……ありがと」


 それからボクは長ったらしい呪文を唱える。次第に魔力が高まっていく。

 異変に気付いた竜王が降下した。

 負傷したガイラッドだが竜王の攻撃を数回防げた。それでも、ガイラッドの護りをすり抜けるように、禍々しい鱗に覆われた腕がボクに迫る。次の瞬間、竜王の爪がボクの肉体を切り裂いた。

 血は流れない。それよりも先に肉体が解けていく。ボクの肉体は魔力へと変換される。

 苦痛はない。


 嘘だ。


 さっき竜王に引っかかれたところが、灼けるように熱い。同時に、先日魔力を使い過ぎた時よりもずっと、寒かった。

 ふと指先を見た。

 皮膚が剥がれ肉は崩れ骨は溶け、肉体は燐光になっていく。

 ああ。

 ボクは死ぬ。間違いなく。


「墜ちろ! 地を這え、クソトカゲ!」


 それでもボクは威勢よくそう叫んだ。多少、震えた声だけどね。

 そして、それが、トリガーになった。

 だって、ほら。ボクは天才魔法使いなので、詠唱の改変なんてお茶の子さいさいなんだから。


 魔法の完成。同時に空間が軋む。竜王の翼が凍った。羽撃きが止まる。こうすればもう、空は飛べないだろう。

 だけどボクはその結果を見届けられない。


 ボクの視線は墜ち行く敵に釘付け。もう振り返ることすらできやしない。だから、思う。どうか上手くやっておくれよ。ガイラッド、セシリア。

 だけどボクはこの冒険のおしまいを見届けられない。


 身を苛んでいた苦痛もどこか遠く、視界は黒く滲み暗く昏くなってゆく。肉体を動かすことは叶わない。だから多分地面に崩れ落ちた。

 だけどその感覚もない。それもそうか。肉体が消滅して死ぬのだから。


 視界は遠く、意識は薄れ、死の存在を間近に感じる。

 ボクは深く息を吐いた。ような気がした。


 死はキャラクターを完成させる。

 その思想は今も変わらない。推しキャラの終わりは今もボクの脳みそを焦がしたままで。

 そしてそれは、ボク自身にも適用される。

 死によって元貴族天才ボクっ娘女魔法使いにしてドラゴンスレイヤーアレクちゃんというキャラクターは完成される。冒険譚は華々しく終わりを迎える。


 あと、これって多分いい感じの看取られだ。仲間のために身命を賭して血路を開くとかニチャつくシチュエーションじゃない!? ボクの死へのみんなの反応が見れないのはほんっとうに残念だけど!


 とはいえ、だ。


「死にたく、ないなあ……」


 たぶん、きっと、そう言った。言ってしまった。

 言ってしまってから、どうかこの声は自分にだけ届いていますようにと願った。

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