第24話・街の変化
『ジーク。聞こえるか?』
「デニス、せっかくリサイド経由するんだし少しだけ
あいつらと会っていけよ」
「あ、はい。……やっぱり、ダメみたいですね」
「何がだ?」
『そのようじゃな』
馬上で行われる一部噛み合わない会話。ジークさん
はすっかり馬の扱いが上手くなったらしく、余裕を
持って手綱を捌いている。彼にダガーの声が全く
届かなくなったのはエディ救出の翌日のこと。この
現象は今のところジークさん以外では起きていない。
元々ダガーの声が聞こえる人というのは限られて
いる。母さんやフーじいさん、更にはセリカ、
クローケにも届いていたが、何故か父さん、エディ、
ザッカーさん、神官さん達あたりには全く聞こえ
なかったという。
ジークさんはこの中でも特に変わっていて、あの
夕焼けの日にセリカに刺されてから聞こえるように
なり、一連の事件が終わった直後にはまた聞こえなく
なるという唯一のケースとなっている。
ダガーの声に関しても、まだ分かりきっていない
事があるのだと再認識しつつ、僕は一定のリズムで
繰り返される蹄の音と優しい上下動に浸りながら、
ゆっくりと考えを巡らせていた。
地図を見る限り、リサイドはハディマルの西に
位置しており、そこから更に西に進むと港街ザバン
がある。ここで定期往復船に乗り海を越えて、
対岸の港街ルディアダへ。そこから少し北西に
進めば人形村エイシスとなっている。……最初の
目的地にも関わらず、かなりの距離がありそうだ。
リサイドからザバンに向かう途中にどうやら帯状の
森が横切るように広がっているようだ。迷わないよう
に気をつけなければ。前世の世界とは違いGPSや
経路案内はおろか、手持ちの方位磁針すら普及して
いない。万が一自分のいる位置を見失えば、
……考えるまでもない。
「すみません、ジークさんはこの森まで行ったことは
ありますか?」
僕は地図上の森を指さす。
「あー、通過した事はねぇな。ただ、リサイドから
ザバンまでは頻繁に馬車キャラバンが行き来してた
はずだ。そいつに乗せてもらうのがいちばん確実
だと思うぜ」
「キャラバン……」
確か、多数の馬車で隊列を組んで移動する旅団、
だったかな。ちょっと馴染みが無くてあまり詳しく
は知らない。考えてみれば港街は陸の出入口。なら
流通や人の行き来を考えればそのような仕組みがある
のは自然だ。魔物や野盗の危険が付きまとう街道の
移動において、安全確保のためにも大人数が固まる
のは理にかなっている。……森で迷う可能性は格段に
下がりそうだ。ありがたい。
「その辺もグナエは詳しいし、なんなら上手く行けば
口利きしてくれるかもしれないな。頼んでみるか?」
グナエさんはジークさんが言うには元スコイルの
商人。エディ奪還の際はジークさんに付き従って
マルトの屋敷にスコイルが乱入するのを防いでくれた
1人だ。色々聞いておきたいが、流石に全て任せきり
なのは心苦しいし、情けない。
「ありがとうございます。色々伺おうと思います。
ただ、それ以上お手を煩わせるわけにはいきません」
「実直だねぇ」
ジークさんは僕の頭を軽くぽんぽんと叩いた。
「ここんところお前を見ててな、なんか不思議な気分
になる事があった。その歳で随分しっかりしてるな
ってな。オレがお前くらいの時どうだったかなって
考えると……まぁ、どうしようもねぇガキだったわ」
「そう……なんですか?」
彼は何かを思い出すかのように少し上を向いた。
ジークさんがそんな事を思っていてくれたとは。
僕の前世については特に話していないが、やはり記憶
を引き継いでいる分少し妙に感じるのかもしれない。
『けけけ、確かにジークはやんちゃしてそうじゃな。
手のつけられん悪ガキだったのかもしれん』
聞こえないのをいいことに、ダガーはジークさんを
茶化していた。
(主体的なんですって、きっと)
人のいい印象があったジークさんにも、色々な
時期があったのだろう。だが僕の目から見れば、
見習うべき兄貴分という他ない。……もっとも、前世
で18年生きていた事を考えると、僕の方が歳上に
なってしまうのだが……そんな事は関係ない。
街が見えてくると相変わらずの佇まい。にも
かかわらず、あんな事の後だと何となく少し違って
見える。今までは活気のある隣街というだけだった
リサイドが、油断を許さない"外"なのだと理解できる
ようになっていた。
門をくぐり狭い路地をジークさんに連れられ歩く。
マルトの屋敷とは別方向の迷路の先にある小さな
建物に到着すると、ジークさんは躊躇いなく扉を
開いた。中には3人の男性。
「おう、居るな……カザットは?」
「い、い今、子供達の世話、に行ってる……ジーク、
そ、そその子は、この前の……?」
やや吃音気味の言葉。口振りからしてハディマルの
孤児院が仕上がるまでの仮住まいが、こちらに設けて
あるのだろう。ジークさんは「こっちはヴェスパー」
と小太りな人を指し、続いて細身でやや小柄の人を
指して「こいつがグナエだ」と簡潔に紹介してくれた。
「覚えてるよな。デニスだ。これから旅に出るんで、
グナエからなんか色々教えてやってくれよ」
「……あのなぁジーク、うちも人の事言えねぇけど、
お前の適当さも大概だな」
グナエと呼ばれた男性が呆れてため息をつく。
褐色の肌にゆとりのある綺麗な緑の服装。適当な木箱
を僕の前に置くと、「座りな」と誘導した。彼は座り
直すと両手を組んで顎の下につける。左耳に金色の
ピアスが揺れた。ジークさんとヴェスパーさんも
近くにどかりと腰を下ろした。
「うちとは2度目まして、だったか。改めまして、
ジークのダチのグナエだ。……しかし突然だな。旅に
出るってのは、なんか思うところでもあったんか?
まぁアレだ。別に事情を話したくなけりゃ深入りは
しねぇけどよ」
全ての説明をするには長くなるな。でも事情を
隠すような後ろめたい理由でもない。僕は限界まで
要約し、
「大切な約束を果たす為に、視野を広げたいんです」
と答えた。グナエさんは少し目を剥き、その後
笑った。
「おいジーク!なんだこいつ!子供とは思えねぇ
勤勉さだな!うちらよりよっぽどヒトが出来てる
じゃねぇか!」
「おう、知ってる。気をつけろよ、鋭いぜこいつは」
ジークさんは軽い笑みを浮かべた。最初に感じた
グナエさんの値踏みをするような目は、笑い終わる
頃には真っ直ぐな視線となって僕の目を見ていた。
「……んで、何が聞きたいんだ?うちにわかる事なら
好きに聞いてくれ。君の親父殿には恩赦を受けた
恩義がある。遠慮しないでくれ」
商人であり街に慣れているという彼に聞きたい
こと。それはもう決めていた。これから確実に必要
になるもの、それは……
「お金関連の事を聞きたいです。多少は持って出て
来ましたが、旅には路銀が必要です。村の人達は
あまり遠出しないらしくて、ハディマル以外の事を
よく知らないらしいんです」
当然村で色々聞いた。だが大体の回答はみな同じ
だった。エイシスで宝石を見たというフーじいさんも
だいぶ昔のことでよく覚えてない、と。鍛冶以外には
結構疎いとのこと。グナエさんは「あー」と言うと、
おでこに人差し指をつけ、何かを考えているようだ。
「そうだな。……まず念の為聞いておきたいんだが、
君、文字は読めるか?」
指で空中に何かを書く仕草をしながら彼は言った。
それに関しては問題ない。ひとえに両親から受けた
教育の賜物だ。識字能力を聞くという事は、この世界
の識字率は前世と比べ低いのだろう。
「はい。あまりに専門的なもので無ければ」
「よしっ、なら話は早い。まずは旅の金の基本その1。
でかい街に着いたら必ず商人を訪ねろ。で、手数料
払って金を預けるんだ。コインは重いし、街中で
ジャラジャラ鳴らしてりゃ、当然おかしな連中の
カモになる。預けた時に小さな紙が貰えるはずだ。
それだけを持ち歩く。ここまでは良いか?」
商人に、預ける……?そんな銀行のような仕組みが
整っているのか、と、少し驚いた。確かに前世の紙幣
に比べ、銅貨や銀貨であるこの世界の貨幣は重い。
意外性を呑み込んで、僕は一旦「はい」と頷いた。
「うちら商人ギルドは商売だけでなく金その物も扱う。
もし次の目的地が決まっている時は、預けた商人に
目的地で通貨の取り扱いがあるかを聞いてみろ。
もしギルドに所属してる商人がその土地にいれば、
現地で金を受け取る事も出来る。あ、証明書は必ず
確認しろ。ナメられて適当な事書かれてると厄介
だからな。そんな事する商人はいねぇと信じてぇが、
世の中商人ギルドのフリをするふてぇ野郎もいる。
騙されんなよ」
これは、一種のキャッシュレス文化ではないか。
僕はこの世界の経済システムを根本的に誤解していた
事になる。文明の水準が低いと事務員さんに説明
されていたため偏見があったが、ちょっとした
カルチャーショックだ。15年も生きてきてそんな事
すら知らなかったなんて。僕は無意識に情けなく口を
半開きにしている事に気づき、慌てて大きく頷いた。
「そんで基本その2。路銀は常に現地で稼げ。もし
農村の様な村を訪れた場合は、困ってそうな人を
探して直談判しろ。色々自分の有用性を訴えて、
信用してもらえれば仕事が貰えて日銭が稼げる。
ここまでは良いんだが、問題は次だ」
グナエさんは1度言葉を切り、一息つく。仕事を
貰うための直接交渉……知らない土地での自分の
アピール……僕にはなかなか難易度が高いかも
しれない。口頭で仕事と金銭のやり取りが成立する
のは、先程聞いた信用経済システムと比べると、
だいぶおおらかな印象を受ける。
「もし街で宿や店、酒場なんかに依頼書が貼ってある
のを見かけたら、店主に声をかけてみろ。もし信用
してもらえれば、依頼主と繋いでくれる。字が読める
なら依頼の内容はわかるはずだ。自分にできそうだと
思ったら、挑戦してみろ」
なるほど。人の集まるところに依頼を掲載し、店主
が仲介するというのはとても合理的だ。依頼主が
直接請負人を探したり交渉するより遥かに効率が
良い。識字率が低い問題も、店主が文字を把握して
いるのであれば説明する事だってできる。
「そして、コレがその3。まず疑え。人間、性根が
真っ直ぐな奴ばかりじゃねぇ。人を信じる為には、
まずは疑え。さっきから君の反応見てると、うちの
言葉を鵜呑みに信じてるように見える。……もしうち
が性格ひん曲がった奴だったら、君は確実に喰われ
てる。……はは、気をつけろよ」
……以前、ダガーにも言われたっけ。疑いは苦痛を
伴い、盲信はぬるま湯。ハディマルの空気に慣れて
いると、どうしてもその感覚が鈍る。
「グナエさん、ありがとうございます」
「まぁ、ある程度は"なあなあ"にな。常に力んでたら
肩が凝っちまう」
今まで静かに聞いていたジークさん、ヴェスパー
さんは酷く雑な拍手を送り、グナエさんは「バカに
してんのかおめぇら」と立ち上がり抗議した。
・
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一通りグナエさんの話を聞き、最後にザバンへの
キャラバンについて質問した。多少前後するものの、
大体3、4日に1度程の頻度でキャラバン移動は行わ
れているらしく、ハディマルから来た時とは逆側の
広場に予定が掲示されているとの事。彼らの溜まり場
を出て、そこまで案内してくれるという事で、お言葉
に甘えることにした。
細い通路から出て大通りを歩く。元スコイルの3人
と並んで歩くのは、何となく緊張した。活気ある
露店の声を浴びながら、色とりどりの陳列品を横目に
入れつつ、僕はダガーとの出会いを思い出していた。
途中、ジークさんたちが1人の人物に対し声を
かけた。「で、デニス、こ、こいつがカザットだ」と
ヴェスパーさんが教えてくれた。猫背のせいであまり強調されていないが背が高い。やや筋肉質で色白な
身体。一目見た印象は"強そう"だった。彼は僕の
名を聞くと、
「……デニス、よろしく……」
と、長く伸びた髪の隙間から、僕の顔を覗き
込んできた。……少し、怖いかも。でも少ない言葉
の中で彼だけが"よろしく"と言った。印象と違い
丁寧な人なのかもしれない。子供達の世話を担当
しているのも、わかる気がする。
4人に囲まれながら改めて観察してみると、彼らは
軽く掌を見せる程度の挨拶を周りじゅうにしている
事に気づいた。ここにはここのコミュニティがある
のだと実感した。
SPに警護されながら歩く要人のような気分に浸り
ながら、僕らは広場を目指した。少し前からずっと
黙っているダガーを微かに気にしながら。
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