第17話・驀進
草原に蹄の音が響く。月を背負い、馬が駆ける。
足元を照らすは僕の掲げるランタン。脇下から伸びる
両腕と背に付いた胸からは彼の高鳴る鼓動が伝わって
くる。
「大丈夫か!?デニス君!」
乗り慣れない馬の背に悪戦苦闘する僕に、後ろから
ジークさんが声をかけた。
「なんとか……!」
朧気に照らされる土の道。村から少し離れた所から
急に蹄の跡が増えた気がする。
「ジークさん、これって……」
「ああ、多分連中はこの辺りに馬を繋いで待機、
タンブルだけを寄越して相対石の合図を待ってた
ってとこだな。逃げる時もここで馬拾ってリサイド
まで……っと、大当たりだ。見てみな」
ジークさんの視線の先に、木に繋がれた馬が何頭か
見えた。おそらく無事帰れなかった者たちと、転移で
去ったクローケが残した馬達だろう。
「ひでぇ事しやがる……多分後から来てる親父達が
見つけるだろう。解放は任せてオレ達は急ぐぞ!」
脚扶助に呼応して速度が上がる。道端の雑草が
滑り抜けるように視界を流れていく。巻き上げた
土は高々と砂煙となり、夜の闇に溶けていった。
これが馬を繰るのが苦手だと言っていた人の走りか?
まるで"初めからそういう生き物"であるかの如く、
ベティとジークさんは完全に一体と化している。
目の前で靡く鬣は、激しく波打つ湖面のように
美しく疎らに月光を映した。
「……この街道を通る度にあの夜を思い出すんだ。
思えばつい最近のことなのに、狼の夜が随分前の
事に感じるな!」
黒い狼に襲われたあの夜。僕にとってあの一件は
確実に今世で初の激動だった。いや、前世を含め
たってあんな経験ありはしない。そして、その日まで
は村の顔見知りだったジークさんが、今は僕の家族の
為に馬を走らせてくれている。物事が"滑り出した"の
は、確実にあの出来事からだ。
『かっかっか、確かにのう、ありゃ傑作じゃった。
デニスのへっぴり腰な魂が今でも目に浮かぶわい』
「や、やめてくださいよ!」
これはおそらく彼女なりの気配りだ。敵の本拠地
に向かう道中、慣れない馬、たった2人と1振での
特攻。後ろから応援が追ってきているとは言っても、
不安である事に変わりはない。まとまらない思考から
混乱に呑まれる僕を彼女なりに解してくれているの
だろう。
『じゃがな、デニス。ワシとてあの日は特別じゃ。
お前のおかげでワシの時間の流れが止まった』
時間が、止まる……?不思議な表現だ。そういう
時は「止まっていた時間が動き出す」とか言うもの
では無いだろうか。
『ただ無為に長い時間存在するとな、徐々に一時の
価値は下がっていく。密度の低い日々を過ごし続け
れば、いたずらに月日は加速する。お前がワシを
手に取ったあの日から、ひとつひとつの瞬間に
意味が宿り、自己の存在を再認識出来たのじゃ』
ダガーは『駄賃には十分じゃな』と続けて、笑った。
あまりにも長命な存在は、概念や感覚が普通の人間と
根本的に異なるという事だろうか。僕の小さな疑問符
は、ひとまず月にでも預けておく事にした。
・
・
・
「空が白む前にリサイドに着くはずだ。ベティを
繋いだらそのままマルトの屋敷に案内する!」
疾駆するベティの体表から湯気がたなびく。白い
汗が頭絡の接点から流れ落ち模様を描いていた。
やや冷える夜の空気の中ではあるが、ベティの体温と
自らの姿勢制御運動で身体はだいぶ火照っている。
僕は依頼主マルトの事を何も知らない。だが、
十中八九エディはそこに居る。僕は到着の時に向けて
頭の中で情報を整理し始めた。
去り際の様子からして、クローケにとっての理想は
僕ら家族とスコイルの残党が屍人で全滅する事。
だが、何故戦いの決着を見届けずに自分だけさっさと
転移で逃げ帰ったのか。身の安全を優先したとも取れ
るが、あの時は屍人の方が数としては有利だった。
であれば落ち着いて屍人を操り場を制圧する選択も
できたはずだ。合理的と言うにはやや後始末が乱雑
に思える。それを放棄してでも何か急ぎたいこと
があったのか。あれだけ周到に準備をしてきたのだ、
何も理由が無いということは無いだろう。
そして目的が分からない。以前ジークさんの説明で
子供を攫う依頼主はあくまでマルトだと言っていた。
その目的はジークさん曰く"趣味"……セリカは
姿をくらませる前に"依頼主の好み"とも発言して
いる。……今更、なにか薄ら寒いものを感じた。
魔術師と地主で、最悪の利害一致が成されている
可能性に思い至り、口の中に苦虫が飛び込んだ感覚
を覚えた。憶測で嚙み潰すのは危険だ。
頼りない燈光が街の厩舎を浮かび上がらせる。
ジークさんは柱に手綱を括りベティの首を掌で軽く
たたく。ひと仕事終えたベティは、備え付けの水桶
に口をつけた。それを確認して、僕らは正門に
向かって駆け出した。
『デニス!!』
ダガーの鋭い声が飛ぶ。咄嗟に僕は鞘から刃を
抜いた。
『……かかか、お出迎えには、ちと不向きな奴が
おるのう。目立って仕方ないじゃろ』
ランタンの灯りに刃を翳し、高く掲げ人影に
向けた。門に背を預け腕を組んでいる。
『……のう、セリカ』
橙色の光の中に、小さな黒い三日月が浮かび
上がった。
腕は組んだまま、ザリザリと音を立て歩を進める
セリカ。僕らは完全に臨戦態勢に入った。
「やーね。ヤル気なら既に刺してるわよ」
両手を広げヒラヒラとさせながら、セリカは
気の抜けた声を発した。言われて気づく。確かに
暗くて見通しが効かないとはいえ、ランタンに
照らされた僕らはいいマトだ。
「あら。ジーク、あなたちょっと見ない内に随分
男前になったじゃない。初体験喰らって大人の階段
登ったかしら?」
「……お陰さまで……とでも言ったら良いか?」
「別に感謝は求めてないわ。それに私はデニス君の
顔を見る為に待ってたのよ。そろそろこの街飽きた
から余所に行こうかと思って、ご挨拶に」
先程本人が言った通り、もしその気があるなら
とっくに僕らは磔刑に処されている。それを躊躇う
人間でない事は百も承知だ。だが、油断はできない。
"即始末する気が無い"のと"攻撃するつもりが無い"
のはイコールとは限らない。
一刻も早く救出に向かいたいが、ここでの一手
指し違えは目的地到着以前に身の無事すら危うい。
「……何の用ですか?僕らは今急いでます」
「少しは付き合いなさいよ。どうせエディ坊やが
すぐどうこうなることは無いんだから。デニス君の
目的が坊や救出かクローケ抹殺かは知らないけど、
どちらを望んでたとしても、同時に叶うはずよ」
こいつは、誘拐の目的を知っているのか。今まで
そこが不明瞭で、こちらは振り回されている。
「ホントはねぇ、初めてあんた達を見た時、あの場に
いた全員を穿いて帰ろうと思ったのよ。感謝なさい。
今生きてることを」
初めて会った日……ジークさんとセリカが家を訪問
したあの日の事か。……ん?おかしい。あの日確かに
僕の足元には攻撃の兆しが残ってた。それは僕や
母さんを負傷させエディを攫うための強行手段だと
ばかり思っていたが、そうではなかったのか?
「ちょっと待ってください。全員って……エディも
ですか……?」
「そうよー。なんか気に食わなかったし。でもまぁ、
それはジークに阻止されたけど。
帰りに"肘鉄痛かったわよ"って言ったら、カタカタ
怯えて可愛かったわ。……ねぇ、"同業者"のジーク?」
不思議な感覚だ。僕は河原の一件で、セリカとは
まともな会話が成立するとは思っていなかった。
確かに考え方や感性は共感しかねる。でも、今対話
しているそれは、紛れもなく"しっかり人間をしている"。
「マルトの屋敷の地下に、クローケの研究所がある
わ。助けたいならそこに向かいなさい。私は
デニス君の活躍を見物させてもらおうかしら」
「……敵であるあなたが"協力"してくれるんですか?」
「"見物"、よ。都合よく自分の解釈で捉えない事ね。
……覚えておきなさい、世間知らずのデニス君。
世の中ね、"敵の敵は
背筋が凍る。いつ棘が飛び出しても不思議でない
ほどの冷たい殺気に淀んだ目。背中越しに会話した
あの時の、夕焼けが落とす影を思い出した。
「最初は、別にマルトやクローケが何しようがどう
でもいいと思ってたのよ。明日死ぬかもしれない
餓鬼を拾って餌と寝床与えてるなら、その見返りを
要求したって関係としては成立する。片皿に命を
乗せてるのよ。対皿に乗せるのは性欲だろうが
研究欲だろうが、天秤はつり合うわ」
今、聞いてはいけない言葉を聞いた気がする。
狼狽えるな。最悪の利害一致として既に1度可能性を
考慮したことだ。
「でもね……"恵まれてる子供"にそれをしちゃ、駄目
でしょ?それはつり合わない。片皿に何も乗って
無いのだから、成り立たないのよ」
こいつにはこいつなりの考えがある。それが少し
掴めてきた。かなり歪んではいるが、ウィンウィンを
基盤に物事を判断しているようだ。かなり曲がった
理屈で"天秤"を見ているようだが、今まで何も理解
できなかった事に比べれば遥かに良い。
「それに、クローケが気持ち悪い玩具連れてデニス君
の家に遊びに行った日、私も後から行くって言って
おいたのよ?あのヒョロ魔導師の肋でもぶっ刺して
やろうと思って。でも着いたらもう全部終わってて。
つまんないからそのまま帰ってきたわ」
そうか……クローケの必要以上の焦りは"それ"
だったんだ。セリカの気に食わないミッションを
強行するという事は、自分もセリカの攻撃対象になる
という自覚があったんだ。セリカの棘の高速移動で
リサイドから向かってきても、時間的に間に合わ
なかったという事か。だが、だとするとセリカは
彼女なりの正義を持っており、結果としてエディを
守るポジションに立つ可能性すらあったという事……
それを聞いたからこそ確認せずにはいられ
なかった。僕に降りかかった不条理はどう説明する
つもりなのだ。
「……あなたの言う"恵まれた子供"を殺そうとする
のは、あなたの中でどう解釈してるのですか?僕
だってその恵まれた家族の一員ですよね」
「……何言ってるのよ」
セリカは短くケヒっと笑った。ベルの音に涎を
垂らす犬のように、笑い声に無条件に頭の中が
棘に支配されてしまった。
「"
……僕はあまりこのような言葉で他人を括るのは
好きではないし、そんな事は滅多にしない。だが、
この人間に対してはそれを禁じ得ない。"イカれて
いるのかこいつは"。先程ほんの僅かでも理解に
近づいたと思った自分を殴りたい。魚心あれば水心
なんて言うが、この魚は水を汚濁させる気満々だ。
「そういう理由でね、私的にエディ坊やを攫う依頼は、
どうでも良くなったのよ。だから再度襲撃するつもり
は無かったんだけど、今度はジーク坊ちゃんが
精神的に追い詰められてる感じが見えてきてね。少し
したら心折れて決行の合図出すんじゃないかなぁ、
なんて思ってたわけよ」
セリカ来訪の後すぐには動きがなかった理由が
わかった。そして、あの仕事初日、僕とセリカが
遭遇してしまった理由も。
『セリカ、お主、あの日ジークの家に居たのは……』
「楽しかったわよ、デニス君、刃物ちゃん。当初の
目的より、"夕焼けの舞踏会"の方が遥かに興奮した
わ。是非、また踊りましょう?それと刃物ちゃん。
せめてお名前教えて?呼びにくいもの」
「セリカ……お前そんな理由でオレを……?」
ダガーは『お断りじゃ』と拒絶し、ジークさんは
セリカの言葉に青ざめている。つまり、ジークさんが
エディ誘拐の合図を出してしまう前に潰しておこう
と考えた、と、セリカの主張からは読み取れる。
本当によく分からない倫理観で動いている。しかも
いちいち選択する行動が僕の思考の外にある。
「私はこの場であんた達を止める理由がないって事、
わかったかしら?私はお喋りしたかった。それだけ
なのよ」
話はわかった。でも、もうひとつ言っておかな
ければならない事がある。ある意味、大惨事が
起きるとしたらこの後なのだ。
「……このあと、村人が到着するはずです。彼らの
身の安全を約束してください」
セリカは少し拍子抜けした顔をすると、例の笑い声
を撒き散らしながら言った。
「ケッヒャヒャヒャ、……あのね、デニス君。あなた
が今"お願い"した相手は、なんだったかしら?……
そう。敵よね?聞いてもらえると思うの?あなたは
片皿に村人達を乗せ、空いた片皿に何を乗せるの
かしら?」
自分の甘さに嫌気がさす。そうだ。僕は何故性善説
で話をした?自らを敵と称する相手に何を期待した?
当然の反応だ。断頭台の刃を落とすロープは、相手の
手に握られている。薮蛇だったかもしれない。
かと言って何も言及せずに村人とセリカが遭遇
した時のことを考えると寒気がする。彼女は僕らを
見物すると宣言している。そこに現れた村人をどう
思うかは、何となく察しがつく。ザッカーさんを
始めとした皆の顔を思い出すと、放置は論外だ。
周りから散々咎められている事を自覚しつつも、
僕はこれしか提示することができなかった。彼女は
再戦を望んでいる。それが僕の出せる対価の全てだ。
「対の皿には、僕の首を乗せます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます