第10話・一難去りきらず
全身の痛覚が動く事を拒否している。上がりきった
呼吸が肺を干からびさせる。目がかすみ、気を抜けば
すぐにでも卒倒しそうだ。細い糸のような意識を
つなぎ止めつつ、僕は地面にめり込んだダガーを
拾い上げた。
「ごめんなさい。作戦で一時とは言えあなたを敵の
手に渡してしまった」
『何を言っとるんじゃ、たわけ!謝るところが違う
わい!ワシは合図で重くなれとは聞いたが、お前
がそんな無茶をするとは聞いとらん!!この、
大莫迦者め!』
ダガーの声が頭にガンガン響く。今まで声の
範囲を絞ってくれていたが、ひと段落着いて
その箍が外れたようだ。セリカは大きく白目を剥き、
品なく開ききった口はまるで捕食時の蛇である。
「勝算があった訳じゃない。運が良かったんです。
咄嗟にセリカが手を離していれば、今そこに伏せて
いるのは僕だった」
『莫迦言え。地面よりはるかに寝心地のいいベッド
の上じゃわい。針の山で串刺しになって寝るのは
さぞ気分が良いじゃろうな!……とはいえ……』
ダガーが一度言葉を切った。やや言い淀みながら
続ける。
『よくやった。そしてすまん。今回完全にワシが
読み誤ってばかりじゃった』
そんなことは無い。ダガーの気づきが無ければ
考えが及ばなかった部分も多い。セリカは色々と
人間離れしている。あれは異常だ。あんなものを
読めというのは、複雑に絡まった毛糸を一瞬で
綺麗にほどけと言っている様なモノだ。無理に
決まっている。
『せめてワシが動ければのう。歯痒いものじゃ』
ダガーを鞘に納め、ホルダーに戻す。そうだ、
ジークさん、彼はどうなった?
『安心せい。ジークは無事だ。だいぶ魂が削れては
おるが、死んではおらん』
ダガーの声に安心した直後、遠くから父さんが
僕を呼ぶ声が聞こえた。姿が見えない僕を心配した
のだろう。これ以上なく必死だ。僕は父さんを安心
させようと振り向き、そして、背筋が凍りついた。
「ケヒヒヒ。ダメよ、ちゃんとトドメを刺さないと。
敵に背後を見せるのも減点」
「セリカ……さん……」
「なぁに?まださん付けで呼んでくれるの?ふふ、
本当に真面目ね、クソがつくほどに」
わかる。今余計な動きをすれば確実に刺される。
全身の細胞が警笛を鳴らしている。向き直っては
ダメだ。もとより動けない。体がその動きを拒んで
いる。蛇に睨まれた蛙、という言葉を思い出した。
「ホントはね、デニスくん。あなたは論外だったの。
別に大した能力がある訳でもなければ、依頼主の
好みに刺さる子でもないと思ったから。でもね、
お姉さん個人的に興味持っちゃった。あなたすごく
恵まれてるんだもの」
依頼主?好み?恵まれてる?把握していない部分
が多い。何を言っているんだ。こんなものは会話では
ない。一方的に向こうが言いたいことを口にしている
だけだ。
「私の事はジークから聞いていいわよ。生きてる
んでしょ、彼」
何故それを……?
「……ふふ、見た目にそぐわず可愛らしい声だこと」
……しまった。油断した。おそらくダガーとの会話
を聞かれた。戦っているうちはダガーも会話の範囲を
絞っていた。だが今は……
『……やはり、お主にも聞こえたか。セリカ』
「素敵じゃない。喋る剣なんて。痛覚はあるの?
刃が欠けた時は?錆びた時は?その宝石にヒビが
入ったら、あなたはどう感じるの?今度教えて」
先程まで全身に色濃く纏っていた狂気は薄らいだ
ものの、相変わらず嫌な空気は周辺にベッタリと
張り付いたままだ。
「セリカさん。改めて聞きます。あなたは、何故
うちに来たのですか。僕たち家族があなたに目を
つけられる理由が分かりません。この前言った通り、
僕とあなたはこの前の訪問時初めて顔を合わせた
はずです」
ケヒという既に耳にこびり付いた笑い声の後、
セリカは言った。
「理由は、視察。案の定、天秤は傾いた。そして私の
関心はもう君に移ってるわ。悪ガキ集団や依頼主への
興味が完全に失せたの。……また会いましょう?
そのうち、しっかり刺殺してあげる」
「とどめはしっかり刺せというあなたが、僕のことを
見逃すんですか?どう考えてもあなた優位なのに」
「私、好きな物は最後に食べたいタチなの」
その言葉を聞き終えたと同時に、セリカの気配は
煙のように消え失せた。跡をこれでもかと濁した
立つ鳥は、父さんが僕を見つける頃には羽の一本
すら残さず消え失せていた。辺りにはボロ布のような
僕と、そこから流れた血だけが残っていた。
「デニス!?お前何があったんだ!?」
それはそうだ。朝一緒に仕事に向かったはずの
息子が、夕方怪我だらけで河原にポツンと立って
いれば、誰だって状況は理解できない。常に怪我が
付き物の業種でないのなら尚更だ。
父さんの大きなシルエットが近づくと、僕は安堵
からか、まるで斧で切り倒された樹木のように
その場に倒れ始めた。薄れゆく意識の中、何故か
僕は荒唐無稽な事を口にした。
「ダガー……僕は、いつかあなたが自ら動ける身体を
得る為の方法を、探してみたいです……」
地面との衝突を待たず、そのまま意識を失った。
・
・
・
夢を見た。とうに色褪せたはずの前世の夢を。
「***は凄いなぁ。次は県大会か。自慢の娘の活躍、
父さんも母さんも楽しみにしてるからな」
「皆で応援に行かないとね」
「お前は勉強しなさい。呑気に観戦に行っている場合
じゃないだろ」
「……ごめんなさい」
……
「なんでお前はそうなんだ。妹を見習いなさい」
「でも、僕なりに頑張ったんだよ」
「頑張ったつもりでは意味が無い。褒められるのは
結果であって、努力そのものは評価されない」
「ごめんなさい……」
……
「なんで拾ってきたの!うちでは飼えないの
わかってるでしょ!?」
「でも、***はハムスター買ってもらって……」
「既に小動物が居るから言ってるんでしょ!元の場所
に戻すか、保健所に連絡しなさい!」
「……ごめんなさい。飼ってくれるお家探してみます」
……
「なー、お前の妹、俺ちょっと気になってるから、
紹介してくれね?」
「ごめん、僕、君の事あまり知らないから……」
「んだよ、同じ学年なんだから覚えとけよ。まったく
使えねぇな」
「ごめん……今度、妹に伝えとくよ」
……
「うーむ……君はスジは悪くないのだが、オリジナ
リティが出過ぎているというか、少々奇抜だな。
他の人みたくもう少し無難に描いてみたらどうだ」
「でも、自由に描けって……」
「限度というものがあるのだ。そうだ、今度、
色覚検査を受けてみないか。知り合いの先生を
紹介してあげよう」
「…………すみません。描き直します」
……
「父さん!僕、学年8位とったよ!」
「塾に通わせてるんだから当然だ。***を見てみろ。
常に学年3位以内だ。もっと真面目にやれ」
「…………はい」
……
「なぁお前、ちょっと頭いいからって調子のって
んじゃねぇか?なに人様の彼女に馴れ馴れしく
話してんだよ」
「え、別に、宿題見せてって言われたから……」
「ああ?」
「ごめん、なさい。次話しかけられたら、もっと
成績いい人に聞いてって、言っておきます……」
……
「ねぇ、あの人***のお兄さん?なんか冴えないね。
***と違って暗いし」
「うーん、別に暗くないよ。口数は少ないけど」
「さすが***、フォロー慣れてる~」
「別にそんなんじゃないよ~」
……
「***ちゃん可愛いし頭もいいし運動もできるよなぁ。
めっちゃモテそうだよなぁ」
「……うん。……自慢の妹だよ」
……
前世の実の妹の名前すら霞がかかっているのに、
事象だけは生々しくフラッシュバックする。
走っても走っても追いつけない。登っても登っても
到達できない。比べられ、追い抜かれ、ついには
妹を立てて、人を立てて、何とか人権を認められる。
今思えば、別にそこまで深刻な事ではなかったの
かもしれない。むしろ今まで言われてきたことは
きっと至極真っ当な正論だったんだと思う。よくある
兄妹の比較、下の子特有の可愛がり。結果のでない
長男に対する落胆。周りに溶け込む努力不足。
そんな、ちょっとしたことの蓄積に過ぎなかった
のかもしれない。でも、僕は知らず知らずのうちに
自ら一歩踏み出す事を恐れるようになっていた。
自発的な行動は頻繁に否定される。そんな見えない
壁に囲まれるうち、自分を見て、とは言い出せなく
なっていた。
幼い頃にかけられた言葉は、内容により発条にも
呪いにもなるのだと思う。
ここが既に別の場所で別の人生だとわかっている
はずなのに、その映像は嫌に鮮明で。己の内に
深く深く刻まれた、刺青のような未だ逃れられぬ
記憶なのだと自覚した。
「…………ス……」
何かが聞こえる。怒鳴るような、訴えるような。
「……ニス……!」
ああ、そういえば僕は、夢を見ていたんだった。
「デニス!!!」
耳を貫く"こちらの"父さんの声に、僕は目を
覚ました。
・
・
・
「デニス!!!ああ、良かった!お前また無茶を
したのか!?」
目を開けると、目の前に立派な髭と涙でぐしゃぐしゃになった目が見えた。少し葉巻の甘ったるい匂いが
鼻をくすぐった。ぼやけていた頭がはっきりして
くると、僕はザッカーさんの家のベッドに横に
なっている事に気づいた。父さんの後ろに、椅子に
座ったザッカーさんの姿が見えた。
「デニス君!いやぁ良かった。なんでまたあんな所
で傷だらけに?」
なんと説明しよう、と考え始め、それより大事な
ことを思い出す。
「ジークさんは!!!?」
並んだベッドのもう片方から、力なく上がる
腕が見えた。
「やぁ……デニス君。言いかけだったね。……
ごめんな、巻き込んで」
力ない笑顔。全身のあらゆるところを包帯で巻かれ
その端々に生々しい赤が滲んでいる。むしろ
包帯のない部分の方が少ない。
「あのあと、さ、鍛冶屋のフーじいさんが駆けつけて
くれてな……倒れてるオレを見つけて、親父を
呼んでくれたんだ。フーじいさんは、誰かの声が
聞こえた、つって工房で狼狽えてたらしい」
「おそらくダガーの声だと、俺が言った。俺には
聞こえんが、頭の中に声といえば他には無いだろう」
なるほど。鍛冶屋で手回しハンドルを回していた
フーじいさんの耳に、ダガーの人を呼ぶ声が届いた
のか。そしてそれがダガーの声だと気づいた父さん
と、フーじいさんが駆けつけた、と。ダガーの機転
が功を奏した。
『何とか聞こえてたみたいじゃな。あの時は焦って
おった。声が聞こえそうな奴を探す間も惜しんだ
からのう。……ちょっとした賭けじゃった』
部屋を見回す。フーじいさんは既に帰ったようで
部屋の中には見当たらなかった。
「あっはは、オレにも声が聞こえた時には驚いたよ
なんかいきなり頭に響くんだもん。デニス君が気絶
してる間に聞いたよ。初めての感覚でさ」
『お前には聞こえなかったはずなんじゃがな。まぁ、
よかろう。この場でデニスに代弁させるのは酷じゃ』
「ダガー、めちゃめちゃデニス君の事心配してたぜ。
デニスー!目を開けよー!ってな」
僕よりはるかに重傷と見えるジークさんが、
無理に元気そうにダガーを真似て振る舞う。
『お前、風穴が足りんようじゃな。おやおや。
風通しをよくしてやろう。遠慮は不要じゃ』
「悪かったって、勘弁してくれ、ダガー
ジークさんの隣で座っていたザッカーさんが
立ち上がり、僕とジークさんの顔を見回した後、
少しトーンを抑えて言った。
「……2人とも、何があったか、聞かせておくれ」
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