第4話・黒い狼
「結構日が傾いてきちゃいましたね。急がないと
まっ暗くなっちゃうかもっす」
「すまんなぁ、待たせて」
あの後、当然、話は円滑には進まなかった。
父さんは例の剣に対する違和感や怪しさからやんわり
と別の物への誘導を図り、母さんは「デニスが普通に
扱える物なら良い」としつつも刃物を渡すのは少し
心配だと。エディは途中で飽きて街の片隅に積んで
ある藁束を燃やしてしまい、両親と僕が謝り倒し……
色々あってだいぶ時間が経ってしまった。
最終的には、普段消極的な僕が熱心に剣を求める
さまを見て、父さんが折れた。「刃物は何かを傷付け
るためでなく、何かを守るために使いなさい」と念を
押して、その短刀を買い与えてくれた。抜き身では
危なかろうと店主さんが気を利かせ、間に合わせの
鞘として刀身に藁紐を巻いてくれた。しっかりとした
鞘に関しては、後日父さんが作ってくれるそうだ。
ようやく諸々一段落して、行きと同じように変わらぬ
馬車の荷台に揺られている。
「デニス君、今度うち来ないか。そろそろ何か
仕事を探し始める感じだろ?」
ジークさんがそんな事を言ってきた。確かに、
いつまでも親のスネを齧っている訳にもいかない。
この村の子供は具体的には15歳~17歳頃から、
近所のお宅などで仕事を手伝い、日銭を受け取るのが
一般的だ。
「配達の仕事、ですよね?」
「そう。荷物運んだり、馬貸したり。この馬車も
普段から仕事で使ってるんだ。行商人ってわけ
じゃないから運ぶだけだな。デニス君の力、ピッタリ
だよなぁなんて思って。ほら荷物移動とか」
「おお。ザッカーさんとこならお父さんは安心だ。
今度お邪魔してみろ」
がっはっはと笑いながら、父さんは賛成して
くれている。確かに荷物を運ぶのはいつもやっている
ので、得意科目だとは思う。果たして僕に務まるのか
やや不安ではあるが、やってみなければ分からない。
「是非、今度お願いします」
「よっしゃ、親父に言っとくぜー」
ジークさんがにこやかに答えた時、馬のべティ
が耳をパタパタさせ、その耳を後ろに伏せたかと
思うと前足を上げ大きく嘶いた。
「ベティ、どうした」
明らかに何かを嫌がっている。動きが落ち着かず、
その場から歩かない。父さんは鋭い目つきになり、
腰の手斧を革のホルダーから外した。
「なにか来る。ジーク君。馬を走らせるな。見る限り
向こうの方が速いし荷車が重荷だ。無駄に疲れさせる
事になる」
「う、うっす」
日が落ちてきているのでやや見づらいが、黒い影
がいくつか遠くから迫ってきている。辺りは
見晴らしの良い草原で、人の往来でできた土の
道が伸びるだけ。身を隠すところはないし、
何より向こうは既にこちらを捕捉しているようだ。
猛然とこちらに向かって来る。
「あなた、こっちも!」
僕や父さんが見ていた方と逆側からも、同じような
影が近づいているのが見えた。四足の獣、多分
大型の狼のような魔物だと思う。体毛が黒く、
暗がりでは圧倒的に視認性が悪くなりそうだ。
……なんて言うのは後々冷静になってからの感想で、
この時は迫り来る恐怖に僕はガタガタと怯えていた。
「ナーシャはエディを。デニスも荷台から降りるな。
ジーク君はなるべく馬を落ち着かせるんだ」
父さんが1人荷台から飛び降りた。辺りが
じょじょに暗くなってきた。
「こりゃ、厄介な……頭数が多い」
父さんは改めて斧を握りしめ、目を凝らしている。
あっという間に馬車は数匹の狼に囲まれてしまった。
狼はジリジリと輪を狭め、機会を伺っているようだ。
「父ちゃん!」
エディが叫んだ。その瞬間、馬車を囲うように
十数箇所の草に火がついた。最初に見せて貰った
時よりはるかに大きな火が狼たちを牽制し
ピタリと閉じていた魔物の包囲網は一旦
散開して行った。
「でかしたエディ!でもちゃんと隠れてなさい!」
何も出来ずにいた僕の横で、弟が放つ最善の一手。
明るさの確保と敵の陣形崩し、さらには簡易的な
防護壁としての役割。狙い定めた効果なのか、偶然の
産物なのかは判断しかねるが、結果としては完全に
機能している。その功績を横目で見つつ僕は少し
冷や汗をかいた。
「これがエディ君の魔法か!?その歳で、こんな」
ジークさんも同じ感想のようだ。自分が情けない。
何か役に立てることは無いのか。凍結する思考を
無理やり叩き割り頭を回そうとする。僕の歯痒さ
を知ってか知らずか、父さんが叫んだ。
「安心しろ!このくらいの魔物なら前にも倒した!
1人で3体もだ!すぐに終わるから待ってなさい!」
近づいてきた狼の頬をリーチの長い足で蹴飛ばし、
その勢いを殺さぬよう体を捻って手斧を横に薙ぐ。
首に深手をおった狼は短い鳴き声を上げ倒れた。
2体、3体、4体と、勢いに乗って切り伏せていく。
火によって相手の攻め筋がやや限られたのが、
かなり大きく効いているらしい。しかしついに
1体の爪が父さんの左腕を捉えた。
「いってぇ!この野郎!」
狼は大きく飛び退き、斧の刃は空を切った。
「おいおい、そんなナリしてビビってんのか?
人間様1人によ。オラ来いよ!」
それが虚勢なのはわかっている。どう考えても
劣勢は父さんだ。でも何が出来る?戦いの心得の
無い僕に。庭で父さんと木の棒で打ち合う遊び
くらいしかしたことの無い僕に。前世でも
争いを積極的に避けてきた僕に。人を立てる
事でしか存在意義が確立出来なかった僕に、何が。
目を焼くような火の明るさ、エディの泣き声、
馬の嘶き、唸る狼、硬いもの同士の当たる音。
増える父さんの傷。未使用の武器。僕は……
(この家族を、失いたくない)
気づけば僕の足は、地面に降り立っていた。
手には先程買ってもらった短刀。僕が握り直し
いつものように念じると、刀身に巻かれた藁紐が
刃の根元からサラサラとひとりでに滑り落ちて行く。
「デニス!戻って……!」
母さんの声が微かに聞こえた気がする。
でも、もう、遅い。目の前にいる僕の背より
大きな狼は飛びかかるため姿勢を低くし、
歯茎を剥き出して唸っている。
改めて対峙した魔物の威嚇に、僅かな後悔と
巨大な恐怖を覚える。上から下まで鳥肌に包まれた
皮膚を風が撫ぜるだけで、電流が走るほど全身が
強ばっている。
僕だって家族を守りたい。父さんみたいに
強くなくても、エディのように優秀でなくても、
せめて少しは役に立ちたい。なんなら僕が囮や
生贄になれば、最悪家族は助かるはず。でも、
それならやれるだけ、やってからだ。
僕が手を翳したのと、狼が更に姿勢を低くしたのは
ほぼ同時だった。
《滑れっ!!》
地面を踏みしめ、跳躍するはずの獣足はまるで
接地面を失ったかのようにズルリと意図せぬほうに
滑り、バランスを失った狼はそのまま倒れた。
倒れた獣は何が起きたのか一瞬分からず困惑する
ものの、すぐに身体を捻って立ち上がり、そして、
……頭上に振り下ろされた父さんの斧によって
頭蓋を割られた。
「馬鹿野郎!デニス!戻れ!」
初めて聞く、父さんの怒鳴り声。こんな怒声は
この世界に転生してから久しく聞いていない。
頭に昇っていた血が、スっと降りてきた気がする。
しかし冷静になっても、僕の意志は変わらなかった。
「父さんは言った。刃物は守るために使えと。
こういう時に使わないで、いつ使うの」
父さんはやや納得いかない顔のまま軽く唇を噛み、
馬車に近寄った狼に向かって走っていった。
『*ウ******』
?何か小声が聞こえた気がする。上手く聞き取れ
なかったが、凛とした少女のような声。
少し離れたところからまた狼が走ってくる。
僕は狙いを定め、その足元に向け《滑れ》と
念じた。が、勢い変わらずに駆け抜けてくる。
(え!?なんで?)
狙いが定まりきっていない?そういえば僕は
この力を"既に移動している物"に使ったことがない。
正確に物体同士の接点を狙わないと発動しない?
こんな時に、なんて致命的なことに気づくんだ。
『**ラニ***ス**ナ』
また声がした。さっきより少し聞き取れる程度に。
鬱陶しい。今は気を散らしている時じゃない。
こちらに向かってくる狼に対し、意を決して短刀
を構える。
父さんとの枝遊びを思いだせ。相手の軌道に
合わせ得物を置いておけば、それだけでも当てる
ことはできる。魔物の駆除に優れた剣術は必要ない。
枝を打ち合せる時、父さんはそう言っていた。
最適解の連続選択なんて高度な事を考えるな。
必要なのは、如何に自分の利点を、相手が嫌だと
思うところに押し付けるかだ。
飛びかかる獣。辺りの暗さに馴染んで見づらい
体毛。怖さによる震え、怯えで半目になる視界。
手にはほんの僅かに、何かを切る感触が伝わった。
『アサ*マア**カン***』
なんなんださっきから。どこから聞こえるのか
分からないが、確実に声がする。集中力が削がれる。
どこの誰だか知らないが、今は黙っててくれ。
今僕が切ったのは、やつの片目のようだ。
着地と共に倒れ込んでもがくと、狼はまたすぐ
こちらに向き合った。痛みと見え方の変化で
ストレスを覚えたらしく、一瞬体をブルブル
震わせ大きく口を開いた。
僕の心臓が跳ねている。脈打つ血流の音が大きい。前世でここまで必死になった事などなかった。
当たり前だ。命懸けなんて言葉はあっても、
命を賭ける状況などそうあってたまるものか。
『カク*ヲキメ*』
黙れ。
今は狼は止まっている。足元に滑れと放ち、
同時に僕は相手に1歩駆け出した。2歩目が
着地する瞬間、自分の足に対しても滑れと念じた。
僅かに体勢を崩した狼に対し、草原をまるで
スケートのように滑走する僕の足。構えた刃は
ちょうど上下の後臼歯の間にくい込み、ゾリッと
大きく肉の斬れる感触を手に残した。
(やった!ひとりで!僕が!)
くるりと後ろを振り返ると……顎の外れかけた
狼が、こちらに向かって飛びついて来るのが見えた。
あ。…………終わった。そう感じた。
景色がスローモーションに見え、今世で家族から
言われた言葉が頭に浮かんでは消える。これが
前世の死の間際には見れなかった走馬灯と言うやつ
だろうか。ついでに前世の嫌な記憶も蘇る。いつも
やることなすこと、"余計な事"だと言われ疎まれ
続けていた事を思い出す。今の出しゃばりも、やはり
周りからすれば余計な事で、結局はただの迷惑だった
のかもしれない。視界が白と黒に染まる。
……でも、これでいい。
今は襲いやすい人間が2人いる。狼は父さん1人に
向かっていた時より多少は分散するはず。少しでも
僕に意識を向ける狼がいれば、そうすれば……
そうなれば……
『お前が喰われるだけじゃな』
あまりにも鮮明な声にぎくりとした。
今までの何を言ってるか分からない声ではない。
確実に言葉として脳が受け取った。
『正面に構えい!腰を落として踏ん張れ!』
反射的に声に従った。跳んでくる狼に対し
まっすぐ短刀を構え、腰を低く。向かってくる
牙の羅列に圧倒され、思わず目を閉じてしまった。
ガツンっと腕に衝撃が走る。凄まじく重い物が
僕の体を覆った。目を開けるとそこには、喉を深々
と貫かれた狼の死体が短刀からぶら下がっていた。
『全く、見てられんわ。頭ではごちゃごちゃ喧しい
癖にてんでなっとらん』
今、理解した。この声は、短刀から響いている。
頭に言葉が直接流れ込む感覚。耳で聞くのとは違う。
ずるりと刺さった狼を除けた。
(なんなんだこの剣は……)
『今は黙っててくれ、じゃったな。
あとはよしなに、小僧』
その言葉と共に短刀の宝石がほんの僅かに曇った
気がした。剣から声がするなんて珍事をすぐには
飲み込めなかったが、1拍置いて我に返り、
父さんの方を振り向いた。頭に火のついた最後の
1体の狼が、父さんの斧により首を落とされる
のが目に入った。
おそらく危機は去った。だが、謎がひとつ増えた。
抜き身の短刀を片手に、とぼとぼと馬車に戻る。
この時は、「両親に説教されるかも」なんて冷静な
不安は、湧いてはこなかった。自分の身体に
いくつも細かな怪我が刻まれていることに
気づいたのは、説教の不安に思い至ったさらに
後の事だった。
そこからの帰路の途中、なにか言いたそうな父
の表情が生み出す重苦しい空気に耐えつつ、僕は
(前世では犬に好かれるはずだったのにな)
なんて、素っ頓狂な事を考えていた。
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