第2話・生まれ変わりはつつがなく

「デニス、ちょっとエディのこと見てて

くれる?」


「はーい」


 ここは自然に囲まれた……というと聞こえの

いい、のどかなド田舎。広い敷地にポツポツと

平屋の民家が並ぶハディマルという村。

だだっ広い草原、流れる小川、木製の簡素な橋。

レンガや石で組まれた家、その庭には大抵いくつ

もの高い木が植わっている。


 僕、デニスが産まれてから15年近く経った。

その間に10歳下の弟エディも産まれた。未だに

僕の頭の中には、前世での生活と不思議な事務員

の記憶が残っている。漠然と人は死んだら天国や

地獄に行くものと思っていたが、案外魂には安息

の時間は少ないらしい。前世の電子機器や家電、

通信に囲まれた生活から一転、やや原始的で理の

違うこの世界を、僕は少しずつ現実のものとして

受け入れていった。慣れとは恐ろしいもので、

前世での実感し難い"死自体"は、転生後の

"当たり前"に流れる日常によって徐々に塗り

つぶされていった。


 当然の事ながら、前世の記憶があるからと

言っても特別大きな恩恵を感じたことは無い。

言語なんて当然通じないため赤ん坊と同じように

ゼロから学び、手足の力やバランス感覚が無い

から体の成長に従うしかない。文化や生活が違う

から、それも両親から基礎を教わって経験を

通して覚えていくことしか出来ない。


 一時期、年齢に見合わない事を言い出したり

幼児らしからぬ発想を何度か繰り返してしまい、

近所のおばさん達から"神童"なんて持て囃された

事もあったものの、そんな時期はすぐに去って

いった。身の振り方を覚えた僕は、すぐに

目立たない地味ないち少年に落ち着いたのだ。


「エディ、ちょっとむこうで遊ぼうか」


「うん!ねぇねぇ兄ちゃん、みてみて!

ぼくね、新しい遊びできるようになったの!」


「へぇ、すごいね。どれどれ?」


 洗濯物を干す母の足元からエディを誘導し、

少し離れた井戸付近で弟の言う"新しい遊び"を

披露してもらう事にした。


「えっとね……あの枝でいいや。見ててね。

うーーん、……えいっ!」


 エディの掛け声とともに、庭の片隅に落ちて

いた小さな枝が突然発火した。……?え?発火?


「ちょ、エディ?」


「すごいでしょ!燃えるの!」


 15年もこの世界で生きていれば、魔法の

ようなものには慣れてきてはくる。この世界では

普通の生活の端々にそれらの不思議な力を使う事

が根付いている。前世でのイメージから、魔法に

は何か難しい呪文や特別な道具が必要だと勝手に

思い込んでいたので少し意外だったのだが、その

ような小難しいモノは必ずしも必要ないらしい。

そもそも転生前の世界とは魔法や術と呼ばれる

モノの捉え方が違う。本当に極自然に……だが

呼吸する様に、と形容するのも少し違う気が

する。例えるなら……文字。


 前世では文字を書ける人が大半だったが、

これを人から一目置かれる程上手く書く人は

少ない。何気なく文字を書く分には鉛筆や指で

十分だが、書道家など高品質な"作品"にまで文字

を昇華させる必要のある人は、精神統一や高価な

筆が必要。それと同じで、呪文や杖はあくまで

能力を最大限に活かすための補助機能であり、

必須では無いのだ。


 しかし、5歳でいきなり火をつけたとなれば、

流石に驚いてしまう。少し早すぎないだろうか。

初めての魔法を発現するのは10歳前後が普通と

言われている。


「すごいなエディ、お前は天才だね!」


「ふふーん!」


 僕は枝についた火を砂で鎮火しながら、弟に

笑顔で賛辞を送った。本人が得意げなので

なるべく平静を装ったが、火の危険性を知らない

で子供が使うには少々危ない気がする。


「エディ、その遊びは確かにすごい。お兄ちゃん

びっくりした。後でお父さんとお母さんにも

見せてあげようね。……あ、それまでは内緒ね。

2人を驚かせる為にも、やっちゃダメだよ?」


「うん!」


 上機嫌なエディを視界に入れつつ、大きな

シーツを干し終わった母さんに小声で報告して

おく。


「母さん、エディ、もう魔法使えるみたい」


「まぁ!デニスも早熟だったけど、エディも

なのね!2人が優秀で母さん鼻が高いわぁ」


「はは、……エディは僕の比じゃないよ」


 そう。僕は事務員さんの言葉があったから

積極的に"才能"を探せた。前世の記憶があった

から少しだけ有利だった。だがそれだけだ。

エディは何者の力も借りず僅か5歳で魔法が

使えた。比べるまでもない。


「デニス。あなたにはあなたのいい所があるの。

自分を卑下しちゃダメよ。それはあなたが

誇らしいと思う母さんや父さんをも貶める事に

なるの」


「うん、……ごめんなさい」


「さぁ、父さんが帰ってくるまでに、お夕飯の

用意をするわよ。2人とも手伝って」


「はーーい」


 長い棒を振り回していたエディはそれを放り

投げ、てけてけとこちらに向かってきた。この

庭は僕ら兄弟が父さんから剣術を学ぶ場でも

ある。と言っても、最低限の護身を目的とし、

枝で打ち合う程度のものではあるが。この世界

では自分の身は自分で守るのが基本。前世の平和

な世界のように犯罪を取り締まる警察などいない

のだから。


 僕は井戸から水をくみ、地面に置いた大きな

桶に移した。集中し、心の中で念じる。


《滑れ》


 その後僕は重い桶をコツンと軽く蹴飛ばす。

桶はスルスルと地面を滑り、家の玄関まで移動

した。……これが、僕が見つけた"才能"、なのだ

と思う。物体を滑らせて移動させる。なかなか

便利だが、かなり地味な能力かもしれない。


「デニスのおかげでお母さん助かってるのよ。

それまでは運べなかった物も、いっぺんに

いっぱい移動できるからね」


「……うん、ありがとう」


 気づいたのは8歳くらいの時だったと思う。

棚の上にある物を取ろうとして手を伸ばしたら、

それが棚の傾きにより滑り落ちてきて取る事が

出来た。食事の時に木製のコップを取ろうと

して、それが指に触れただけでテーブルをするり

と滑ってしまった。物を浮かせたり飛ばしたり

はできないが、とにかく重かろうがなんだろう

が、摩擦を無視して滑らせる事が出来るようだ。


(入試にも滑って、死ぬ時も滑って、これは

なにかの皮肉なんですかね、事務員さん)


 少し自嘲的な気分になって、ハハハ、という

変な笑いが出た。……当然の事ながら、重い桶を

家の中に運び上げるのは、しんどかった。


 田舎暮らしはとにかく日常生活を送るだけで

時間が過ぎていく。まだ明るいうちから夕飯の

支度をし、日がくれれば寝床に入る。前世の生活

リズムとは全く違う、陽の光と共に生きる環境。

とても健康的だ。


 のんびりと夕食の用意を終えた頃、仕事を

終えた父さんが帰ってきた。


「帰ったぞー。お、いい匂いだな」


 父さんは少し離れた鍛冶屋の工房を手伝って

いる。がっちりとした大きな身体は肉体労働に

よって育まれたらしく、必要な箇所に過不足なく

筋肉がついている。


「おかえりなさい。あなた、今日はね。エディが

見せたいものがあるんですって」


「お、なんだなんだ?飯の前に見せてもらおう

かな」


 既に母さんにはエディの魔法が火である事を

伝えてある。一旦家族揃って表に出た。夕日が

隠れかける庭で、滑らせる力を使って手頃な枝を

何本か集めた。


「エディ、いいぞ」


 えいやっ、というエディの掛け声とともに

積み重なった枝が一気に燃え上がった。両親共に

「おおっ」という驚きの声を上げる。


「凄いじゃないかエディ!父ちゃんなんて魔法

使えたのは大人になってからだぞ!なんて才能

だ!俺はお前が誇らしいぞ!ガッハッハ!」


「ほんとねぇ。しかもこんなにちゃんと火が

つくなら色々とお手伝いして貰えそうねぇ。私が

上手く火の魔法使えなかった時は、料理の時

エディにつけてもらおうかしら」


「いいよ!」


 ワイワイと喜ぶ3人を、1歩引いた位置から

眺めていた。……凄いな、本当に。我が弟ながら

素直に尊敬した。


「そうだ。せっかくなら今日は庭で食べようか。

木箱をいくつか出してこよう。デニス。手伝って

くれるか?」


「うん。いいよ」


「ナーシャとエディは料理を運んでくれ」


 母さんとエディが家に引っ込み、僕と父さんは

家の裏に積んである木箱を運んだ。父さんはその

肉体だけで大小の箱を一度に4つも持っている。

僕はといえば、椅子に使う小さめの箱を1つ

滑らせ、1つを両手で抱えている。


「箱を置いたら火を見ててくれ。俺は薪を取って

くるからな」


「うん。わかった」


 簡易的なテーブルと椅子が揃い、父さんが薪を

取りに行く間、僕はぼーっと火を眺めていた。

弟が誇らしい。その反面、ほんの少しだけ、嫉妬

している自分がいることに気づいた。両親は僕の

力を褒めてくれるが、僕自身がエディに対して、

ほんのりとした劣等感を覚えたのかもしれない。


 エディはなんでも覚えるのが早い。幼少期特有

の吸収の良さなのかもしれないが、どうも自分

と比べてはるかに成長が早い気がする。今まで

あまり意識しないようにしていたが、今日のこと

で、それが少し難しくなった。


 転生前、僕には妹がいた。何をしても優秀で、

どんな事も僕以上にできた。僕が先に始めた事

でも一緒にやるうち、すぐに追い抜かれて

しまう。ひとつひとつは小さなことながら、それ

が積み重なると、なんとも言い難い劣等感と

なって意識の底に沈殿していく。僕はまた、同じ

思いをしていくのだろうか。


 この両親は温かい。村の人たちも素敵だ。変な

競走も争いもほとんど無く、僕はなにかを我慢

する必要が無かった。前世のような個人を個々に

箱詰めしたような利便性の代わりに、不便を

着込んで笑顔の挨拶を交わす。人の不幸を願って

嗤うのでは無く、人の幸福を共に笑うような

人々。文明の水準は低いと聞いていたが、人と

しての営みの豊かさは遥かに今世の方が優って

いるように思う。


 でも、そんな世界だろうと恐らく比較は

生まれる。何が優れて、何が劣って。そんな

普遍的な価値観は人が人である限り付きまとう。

他者と比較され、劣っていると分類され続けた者

の行き着く先は、自己否定と、己の存在に対する

罪の意識だ。


「また、同じなのか?僕は……」


 前世で耳にしたいくつもの否定が頭をよぎる。

疑いながらも今度は違うはずと鵜呑みにしようと

していた。だが、些細な小骨が喉に刺さるだけで

僕の不安は簡単に腫れてしまった。


「何が同じなんだ?」


 大量の薪をどかどかと地面に置きながら、

父さんが言った。


「え、いや、えと……」


 聞かれていたのか、と狼狽える僕をじっと

見つめ、父さんは不思議そうに顔を覗き込んで

くる。モサモサの髭からは、微かに葉巻の匂い

がした。


「んーーー……?」


 言葉につまり挙動不審な僕を見て、彼は何かを

納得するように頷いた。


「ひょっとしてお前、自分が特別になりたいとか

思ってるんじゃないか?みんなと同じじゃ嫌だ、

みたいな」


 ほんのり的はずれな父さんの推測に、少し肩の

力が抜けた。


「え、いや、そんな大それたこと思ってないよ。

別に僕は普通だし、それでいいと思ってるし」


 いきなり父さんの手が、僕の頭をぐしゃぐしゃ

と雑に撫でた。ガサツで力強い、大きな手。


「俺もなぁ、お前くらいの時、1番を目指した。

なんの1番かって?そんなもん知りゃしねぇ。

何かしらでてっぺんとって、特別で最高な漢に

なりてぇ、って思ってたんだ。いつかボリスの

名を世界に轟かせてやるんだーってな。

……要するに、馬鹿だったんだよ。がははは」


 僕の話を聞いてたんだろうか。まぁ、いいか。

この豪快なノリは嫌いじゃない。僕には無い勢い

と推進力を感じるから。


「そんな俺も今じゃ単なる鍛冶屋手伝いのボリス

だ。何処にでも居るいち労働力だ。だがな、

母さんやお前たちからすれば、唯一無二の

"父ちゃん"になれたんだ。同じように俺から

すりゃ、お前も、エディも、じゅうぶん特別な

子供達だ。胸を張れ!がははははは」


 何故か、少し目頭が熱くなった。何故ズレた

入口からスタートして、僕がもらって嬉しい言葉

のゴールに繋がるのだろうか。


 前世では常に妹と比べられ、劣っている部分を

突き付けられた上「お兄ちゃんなのだから我慢

しなさい」と言われ続けた。そのうち僕は何を

しても無意識に1歩下がる癖がついていた。他人

を優先、自分は最後尾、貧乏くじは自分が引けば

周りが幸せ、他人を立てる事で、劣っている自分

にもかろうじて存在意義がある。そんな思考に

陥っていた事に転生して初めて気づいた。


 この"父さん"は僕を僕として見てくれる。時々

こうやって過剰に思える程に僕を肯定して

くれる。その度に照れくさいような嬉しいよう

な、心が少しずつ修復されていく気分だった。


「……ありがとう。素直に嬉しい」


「何言ってんだ。当たり前の事言っただけだ」


 母さんとエディが料理を運んできた。湯気が

立ち上るお盆いっぱいに、シンプルで素朴な料理

が乗っている。それを丁寧に木箱へ置きながら

母さんが言った。


「なんの話をしてたの?だいぶあなただけ盛り

上がってたみたいだけど」


「なんてこたぁねぇよ。漢同士の話しさ。なぁ?

デニス」


 うん、と答えた僕の目からは、小さな涙が1粒

零れかけていた。みんなに見られないよう、それ

を素早く袖で拭き隠した。ちょうど日が暮れて

きて、幸いにも袖のシミに気づく者はいな

かった。その日の夕飯はいつにも増して、とても

美味しく感じた。

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