深夜の消しゴム
悠月穂波
深夜の消しゴム
「よっと」
足下に積まれた雑誌の山から1冊ずつ取り上げ棚に並べる。客の居ない深夜のコンビニで、並べたばかりの漫画誌を手に取り退屈な時間を紛らすためにパラパラとページを繰る。週3日、欠かさず繰り返してきた私の日常だ。ふと目に付いたタイトルで手を止め、過去に思いを馳せる。
大学を卒業して初めての夏、社会人1年目の私は営業の仕事になじめず既に限界だった。そんな折、タイミングよく……いや最悪のタイミングで、長年の夢が叶った。叶ってしまった。学生時代から投稿してきたWeb小説が出版社の誰かの目にとまったらしく、書籍化の話がトントン拍子に進んだ。そして、そこそこの部数を売り上げた当時の私は、何を血迷ったのか、せっかく入ったばかりの会社に辞表を提出していたのだ。
それから3年。専業にしたはずの小説家としては処女作以降は鳴かず飛ばずで、田舎にある実家へ戻ってきた。それでも諦めが付かず、コンビニで深夜のバイトをしながら、日々パソコンに向かい小説を書き続けている。
「しっかし、こんな田舎で24時間開けておく必要あるか?」
一人つぶやいた言葉はただむなしく無人の店内に溶けゆくように消えていった。
まあ、田舎とはいえ、夜中でもまったく客が来ないわけではない。タクシーやトラックも目の前の国道を行き交うし、近所の学生が夜食を買いに来ることもある。とは言え、夜が更けると都会の店とはやはり違う。歩道にも人気の無い暗い夜の時間は長く、無人の店内で毎度ぽつんと暇を持て余している。
「そうか、もう1年か……」
雑誌を棚に戻し、文房具売り場を横切ってレジに戻りながら、1年前の奇妙な客との出会いを思い出す。
あれは、冷たい風が吹き始め色あせた木々の葉が舞い落ちる、ちょうど今頃の季節だった。
深夜2時過ぎ、くたびれたスーツを着たサラリーマン風の客が消しゴムを1つ手に取りレジへ来る。
「いらっしゃいませ」「70円になります」「ありがとうございました」
店内に響くのは私の声のみ。疲れた顔の客は無言で去って行く。
それ自体はコンビニでは見慣れた風景かもしれない。挨拶や会話のない客の方が多いぐらいだ。しかし、深夜に買うのが消しゴム1個だけ。しかも週に3日ペースとなれば話が別だ。
その客の来店の度に、暇にまかせて推理という名の妄想を繰り返していた。
スーツ姿なのだから、会社帰りだろうか。消しゴムを子供へのお土産に買って帰る父親か?いやいや、週に何度も消しゴムを土産にもらう子供が不憫すぎる。キャラクター物というわけでもなく、実用一辺倒の消しゴムなのでなおさらだ。
毎日深夜まで不正経理を繰り返し帳簿の書き換えを続けている?いや、帳簿を鉛筆で付けたり消しゴムで消したりするはずがないか。
そもそも、終電もとうに過ぎたこの時間に徒歩でふらっと現れるのは怪しすぎる。今までどこに居たのだ?市街地から何キロもてくてくと歩いてきた?なんのために?
そうか。実はサラリーマンを装っているだけで、実際には敵国のスパイかもしれない。深夜にコンビニで働く私を監視するために客を装って接触しているのか……あるいは、この消しゴムの中にマイクロチップが埋め込まれていて……。
その程度の発想しか沸いてこない時点で、小説家を名乗るのもはばかられるという話ではあるのだが、残念ながら既に<自称>の付く小説家であった私では、この客の正体への妄想はすぐにネタ切れで打ち止めになってしまった。
そんな深夜の奇妙な来店が数ヶ月続いたある夜、私の妄想生活は唐突に終わりを迎えることになった。
その日は、日本列島が強い寒波にすっぽり覆われ朝からどんよりと薄暗い日だったと思う。夜半から降り始めた雨が音を立てて降りしきる中、いつにも増して疲れ切った顔でずぶ濡れになったいつもの客が自動ドアから駆け込んできた。
この土砂降りの中は来ないだろうと油断していた私が呆気にとられる中、客がいつもの消しゴムをいつものように手に取り、レジへ歩いてくる。
レジを挟んで見つめ合うこと数秒。私はハッと我に返り、消しゴムを受け取り店員としての仕事に取りかかる。
しかし、客の方は冷え切った雨に指先を凍えさせたのか、水滴で指を滑らせたのか、あろうことか小銭を床一面にまき散らしてしまった。
「あ……」
言葉も継げず、より一層青白くなる客の様子に釣られて固まりかけるが、かろうじて意識を引き戻し店員として話しかける。
「拾うのお手伝いします」「こう寒いと手も凍えちゃいますよね」「こんな時間までお仕事大変ですね」
まくし立てるように言葉を発しながら、散らばった硬貨を拾い集めようとすると
「すみません!ありがとうございます」
と、我に返った客から初めての言葉が返ってきた。
「お仕事大変ですね。こんな夜中に雨の中でも消しゴムを買いに来るなんて」
本来そんな踏み込んだことを告げるべきでは無かったのかもしれない。しかし私の中では一方的に顔なじみのような感覚でおり、いつものレジ越しより近い距離で接していたこともあって、思ったままのことがとっさに口から漏れてしまった。
すると予想外なことに、いつも無言だった客からの返答があったのだ。
「はは。仕事なんかではないのですよ」
男は恥ずかしそうに小銭を拾い上げ、ハンカチで濡れた指を拭った。
「……漫画です」
「え?」
「漫画を描いているんです。この年で、馬鹿みたいでしょう?」
男の告白に、私は言葉を失った。
「生活もあるので家族にも言えなくて、週に何日か『残業で遅くなる』と嘘をついて、そこのファミレスで描いてるんです」
「へたくそなので、描いては消すの繰り返しで消しゴムばかり減っていくのですが。気分転換がてらこちらへ来ると、行き詰まっていたストーリーの案が浮かんだりするのでよくお世話になってます」
しかし、私にとってあまりにも耳に痛い言葉が続いた。
「でも、家族に嘘をついてまで続けるのはもうそろそろ止めようと思ってるんです」
「最後の作品かもしれないので、描き直す前の下書きですけどよければ読んで意見を聞かせてください」
私は、震える青白い手で差し出された大学ノートを受け取った。
雨に濡れないように、ビニール袋に入っていた。
「……読ませていただきます」
それが、彼との最初で最後の会話になった。
なるほど、そんな経緯だったのか。と、妄想が全くかすりもしなかったことを残念に思いながら、消しゴムを手に嵐の中に帰って行く客を見送った日からしばらくして、その客はパタリと来店しなくなった。
そんな過去を思い出しながらレジを離れ、変わらず吊されているその消しゴムを手に取って眺めていると、「ピロリロリ」と来客を告げるの電子音が無人の店内に響きわたる。
消しゴムから視線を上げると、入り口脇の雑誌売り場へ進んだ懐かしい客が、自身の作品の載った先ほど私が並べたばかりの漫画誌を手にとり、こちらへ向かってくる姿が見える。
その照れたようにはにかんだ笑顔を見つめ、ふと思う。夢とは必ず叶えるためにこそ存在するのだと。そうだ、私も決して諦めない。この二度と消えることのない強い決意を胸に、さあ顔を上げ前を向き笑顔でいつものように声をかけよう。
「いらっしゃいませ」
深夜の消しゴム 悠月穂波 @hyuzuki
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