この物語には、大きな事件も劇的な告白もありません。
描かれているのは、珈琲の湯気、朝の光、同じ部屋で過ごす時間――それだけです。
けれど、その「何も起こらないはずの時間」が、こんなにも胸に残るのはなぜでしょうか。
『硝子のラビリンス』は、孤独を抱えた人が、誰かと並んで過ごすことで少しずつ形を変えていく、その過程を静かに見つめる物語です。
喫茶店での会話、詩を共有する瞬間、同じ朝食を食べる日常。どれも穏やかで、優しくて、だからこそ壊れやすい。読者は、彩加の視線を通して「人と近づくことの嬉しさ」と「失うことへの怖さ」を同時に味わうことになります。
登場人物たちは多くを語りません。けれど、語られない沈黙や、何気ない一言、ふとした仕草が、心の奥を鋭く突いてきます。
「寂しい」という言葉が出てくる前に、読者の胸のほうが先に締めつけられる――そんな読書体験が待っています。
人に依存すること、人に必要とされること、それを望んではいけないと自分に言い聞かせてきた人ほど、この物語は深く染み込むでしょう。
静かで、繊細で、だからこそ忘れがたい作品です。