First Clustering

 私は独りの祭りに在って猿への回帰そして四足の俊足を四足の動物性を四足の地面との親和を望むかの様に首を原人のそれより急な角度に折り曲げ、頭に血の沼底を見出す血流がはち切れんばかりの勢いで血管を太鼓革として奏する暴れ祭囃子に乗り気狂い様相で練り歩く獅子舞であった。この全く縁起を担がぬ呪われた単独演者による統制無き不穏の獅子舞は噛んで幸福を与えた次の瞬間に勢い余って噛み千切ってしまい更なる永遠の祝福を齎さんとする対象を汚れくすんだ瞳の奥深くで捜し求めていた。だが獅子舞は己が本分を見失いし流れ様怠慢なる血流を横目に時が滑らかに流るるにつれ穏やかに内なる祝意に突き動かされし殺意自体を噛み殺していく、何故なら周りに居る浴衣姿に眩いかと思われた祭りの華少女達はその実死に装束で光反射する所豊かである悲しき虚像の連鎖であり獅子舞が暴れ踊りて吹き付ける福の運び風は虚像など生の不在など微塵も揺らす事は出来ない。獅子舞は已む無く死した子の為に舞う神獣死子舞を拝命し彼女らの冷たき死を少しでも和らげるべくして火炎息を準備した、その火炎息は氷に閉じこもる彼女らの嘆きを溶かし氷を多量の水に変え彼女らに与えられる筈であった人生分の涙を流す事を許すのだ。その思いの丈篭る瞳ならぬ瞳よりの滝に境遇同じくする死子舞が共感覚えぬ筈も無く、心にストレスをこれ以上覚えれば致死量になり兼ねないとしてストレスと言う感覚自体の消滅を選択したらしいこの体から奪われたストレスを垂れ流すものとしての涙、それを彼女らの物に準え胸の閊えを取るのがこの死子祭りにおける一番の善き事だ、丁度供養として人形を燃やしそばに居てくれた時間に感謝を込め祈りを捧げるその行事はこれに重なる部分多々であると言えようか、ただ人形に当たる物が人の形をしていないが人そのものとほぼ同質であるのにそれを平気で燃やしてしまっているかの様な構図は多少ならず薄気味が悪い、実際私は死の瞬間の表情を克明に遺した人々の氷漬けがここで地から生え揃っていたらそれを見た瞬間もう人としての理性や知性なんて金繰り捨てて四つ足を始めここから逃げ出し、花の預けられ人たる資格無しとして花との生命線を断ち切られ何処かで人としてはあまりに表情目的の見えない顔で動物としてはあまりに顔の変形理由が分からない風で野垂れ死んで居たのではないだろうか。彼らの死に様が花の形で柔らかく誤魔化されているのは、残酷な優しさが私を護ってくれているからなのだろう、今のこの世界にとっては彼らの死の尊厳維持より生きて花の世話を出来る私のなけ無しの人権保護の方が大きな利益手段として見えているのだ。

 私に与えられた能力、火炎息、実際火炎を吐くなんて理不尽な事ではないのだがそれでもこれをそう呼称したくなるのにはしっかり訳が有る。これら水仙は青白き光を放つ上透明でまるで氷の花とでも思いたくなる姿をしているのだが私がこれこそ収穫に相応しいと判断して息を吹きかけた花はちゃんとした固形である属性を失う、恐らく私の息はこれら花がもうちゃんとした生命体ではなく生命の光を宿して擬似生命体をやっているだけに過ぎない事を知らせる一番の証拠材料になるのだと思う。私に預けられた花も例外ではない筈だが花はその繋がった人の吐く二酸化炭素を糧の一部として生きていたのだろう、そしてその息とは必ず繋がった人の物でなくてはならない、だから赤の他人である私に気体乳を吹き掛けられると自分の存在の確かさを見失ってしまうのだ、今もこの体には世話役の人間の鼓動が息衝いているのに、何故自分に息吹き掛けるのは全く知らない他人なのだろうと。それでも私が死への目覚めの吐息を止めないと遂には自らに封じ込めた光を解き放ち、そして生命光が体を繋ぎ止めていたその力を失った花はぐしゃりと崩れて水の粘土の様な存在になってしまう。私に預けられた花も実際成長を知らないのだがそれでも水を成長素材を吸収しようというのは生命維持において不可欠で有るのは間違いなくとも相当不毛な行為で何一つ本来吸収すべき物はないので己自体が水の塊、言い換えれば氷に見紛う固体に変質してしまったのだろう。そんな氷を真似た水をただの水に変える運動量を持った息、それで火炎息と言う訳だ。

 花は水を取り入れて終いには水の塊と成ってしまう、その考えで行くと彼らの放つ光は太陽光の未消化分ではないかと言う疑問が生じるがそれだと彼らが光を失っただけで崩れてしまう理由が何処にあるか分からなくなる上そもそも光の色合いが太陽光のそれとは異なるし、それにただの太陽光で在れば花の体に長々と留まって発光するなど出来ないだろう。これら花に人の魂の様な物が宿っていて欲しいと言う私の感傷もこう言った論の支持を強くしていると言うのは否定できないが。では彼らは光合成をしてはいないのか、多分そうではない、厳密には光合成ではないのだろうが太陽の沈まぬこの世界に在って常時似た様な事はしているのだ、そしてそれが生むエネルギーが私の命を繋ぐ最もさり気無く最も大きな支えとなっている。私の先人達の命を形作る物自体が光であったからそれが生きた証として花の中に刻まれる段になっても光の形式を護っていると言うのも有り得ない話ではない。ただ、こうして常時太陽が天に居てくれる事で命を繋いでいけるので在ればそれはありがたい話だがそうである事は愛の巣にて待つ花が蓄えられる水の消耗速度の加速にも繋がって来るので生き難さも増大してしまっている、一度でいいから爽やかな月夜の下、水仙の園を闊歩してみたい物だ。

 私は水で充満した花の千による群生、水仙を名付けた由来であるそれらを前に大きく息を吸い込んだ。全てに息を吹きかけ全てを溶かしてしまったならどうなるのだろう、そんな思いがふと脳裏を掠めた、普段ならその圧倒的な光景に圧されて考えもしない事だったがその時の首折れの私には水仙の園の極一部しか見えていなかったせいだろうか。いや、と思ってその考えを振り払う、私は死んでもきっとこの水仙の園の端に立っているのがせいぜいのちっぽけな存在なのだ、そんな事をしてみた所でここを崩せる程の影響を与える事なんて出来ないだろう、十の花を崩す前に何らかの形で私の動向を監視している筈の愛しの花に操り糸を切られこの場で短い一生に終止符を打つ羽目になるだけに違いない。ならば、今までやって来た通りに小さな事からこつこつと、だ。私はその全ての水仙が根こそぎ無くなった光景を心の奥に大事にしまって少女らの艶かしい死に装束一枚の姿に目を潤す祭りの続きを楽しむ事にした。

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