泡沫の魔法使い 〜無駄を愛する、私の生きる道〜
天白あおい
第0章 旅に出る前のお話
第1話 親友の泡沫魔法
辺りはすっかり深い藍色に染まり、午後九時を回った頃。民家や店から漏れる淡い光の海を一望できる丘の上に、二人の少女、フィーナとフェリシアはいた。
「急についてきてって、家を飛び出すから追いかけてきたけど、こんな場所あったのね」
息を少し切らせながら、フェリシアはフィーナの少し後ろから街を見下ろした。眼下には、まるで小さな宝石をばら撒いたような夜景が広がっている。
「そう、私が見つけたんだ。光がそれほど強いわけじゃないからそこまで綺麗なわけじゃないんだけど、普段近くで見てる街並みの夜の姿をこうやって上から俯瞰的に見るのってなんかいいよね」
「そうね」
フェリシアは静かに頷いた。この街並みを見慣れているはずなのに、この角度から見ると、すべてが少しだけ違って見えた。
「それに……」
フィーナはふと空を見上げた。つられてフェリシアも空を仰ぐ。そこに広がるのは、ところどころ雲に隠れてはいるけれど、街で見るより遥かに綺麗な星空だった。
「ここだと星も綺麗に見える。街中じゃ見れない小さな星だってここだったら見えるんだよ。もっと暗いところに行ったらもっともっと綺麗な星が見れるのかな。ここじゃ見れない星も」
空を見上げたまま、フィーナはぽつりと呟いた。その瞳は、空の星々と同じくらい輝いているように見えた。
「見られるんじゃない? 北の雪国じゃ星がとても綺麗な上に、オーロラっていう虹色のカーテンのようなものが浮かんでいるらしいわよ」
フェリシアは上を見たままのフィーナを見て微笑む。フィーナの興味深そうな顔が目に浮かんだ。
「本当!? いつか見てみたいなー、その星空。ここの比じゃないほど綺麗なんだろうね。あ、そうそうフェリシアに見せたいものがあるんだった」
フィーナは急に思い出したように振り返る。
「見せたいもの? 夜景や星は見たけど」
フェリシアは再び街に視線を送った。
「それも見せたかったけど、私が本当に見せたかったのはこれ」
そう言って小さなポシェットからワンドを取り出す。それは彼女がいつも大切にしている、古びたワンドだった。そして絵を描くようにワンドを動かし、魔法を唱え始める。流れるような、しかし確かな詠唱が夜の空気に溶けていく。
「今ここに束の間の宇宙の模倣を、コズミック・ヴェール。星の輝く音を聴かせて、ティンクル・チューン」
すると、二人の周囲に光の粒がきらきらと、まるで微かな音色を奏でながら降り注いだ。それはまるで、本物の星屑がこの丘に舞い降りたかのようだ。
「まだまだ行くよ。輝いて、小さな蝶々の幻影、ピュア・ファンタズム」
宇宙を模した空間を数匹の蝶々が優雅に舞う。初めは数匹の儚い輝きだった蝶たちも、詠唱を唱えるにつれて数を増し、辺り一面は幻想的な世界へと変貌していった。
やがて一匹がフェリシアの指先にふわりと舞い降り、その小さな羽を愛おしむように開閉させた。フィーナの頭上にも一匹そっと羽を休めていたが、彼女はそれに気づいていないようだった。
「どう? 綺麗でしょ」
フィーナは詠唱をやめ、フェリシアに尋ねる。その顔には自信と期待が入り混じっていた。
「ええ、とっても。改めて泡沫魔法の良さを思い知ったわ。あと、フィーナがすごいってことも」
「えへへ、今日のために練習したんだから」
フィーナは嬉しそうに、そして少し得意げに胸を張る。その笑顔は、彼女の作り出したどの魔法よりも輝いて見えた。
やがて徐々に蝶々の数は減ってゆき、幻想的な空間も終わりを告げる。静けさが戻った丘の上で、フィーナは少し真剣な面持ちでフェリシアの方へ一歩踏み出し、その顔を見上げた。
「ねぇ、フェリシア。私が旅に出るのは心配?」
その言葉に、フェリシアの胸がちくりと痛んだ。フェリシアは、フィーナの旅へ対する気持ち知っている。そして同時に、それがどれほど危険なものかも。
「もちろん心配よ。でも……」
フェリシアはフィーナの頭に優しく手を乗せて、続けた。
「こんなの見せられたら、誰でも止められやしないわ。言いたいことは山ほどあるけど、今はこれだけ言わせて。フィーナ、頑張って。心から応援してる」
フェリシアの声は、心配を乗り越えた、確かな決意に満ちていた。
「ありがとう、フェリシア」
そう言うと、フィーナはたまらずフェリシアの胸へと飛び込んだ。フェリシアは何も言わなかったが、彼女の背中に回された腕の温もりと、その柔らかな微笑みが全てを物語っていた。
その瞳に映すのは、この場所で一番輝いているもの——それは夜景でも星でも魔法でもなく、ただ一人の親友、フィーナの姿であった。
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