第四話「それがやってきた日の事・Part-1」
――夢を見ていた。
それが何だったのかはわからない。
けれど、ゆらゆら揺れる視界の中で、ゆっくりと、音も立てずに世界が崩れていく。
ゆらゆらと――
やがて視界が黒に埋め尽くされても、それでもゆらゆらと……
ゆらゆら……
ゆさゆさ……
(ん……?)
そこではたと、自分の体が何者かによって揺さぶられている事に気付く。
ゆさゆさと体を揺り動かされて、ユウはゆっくりと目を開ける。
「ああ、リン……」
目を開けると目の前にリンの顔があった。
整った顔立ち、艶やかな黒髪、紅い瞳――その大きな瞳をさらに爛々とさせてしっかりと目が合っているにも関わらず、リンはユウを揺さぶり続けていた。
「なんだよぅ、リン。まだくらいじゃないかぁ」
昇りかけた朝の陽がかすかに部屋に入り込んでいるだけで、あたりはまだ薄暗く、その闇が、まだ起きる時間でないことをユウに告げていた。
けれど、珍しいことにリンがユウより先に目を覚まし、すっかり着替えも終えてユウを揺さぶっている。
「今日はカレーじゃないよ……」
「知ってるよ」
カレーを作った次の日はリンは早くおきる。
一晩置いたカレーをいち早く食べたくて早くおきるのだが、でも昨日はカレーの日ではなかった。
それなのに何故リンは自分を起こそうとしているのか。
今もゆさゆさと自分の体を揺さぶっている。
上半身をゆさゆさと揺さぶられ続けるユウは、ぼんやりしながら菓子の生地になった気分になる。
(このままこねられて型で押されて焼かれてしまうのかもしれない)
絶え間なくリンに揺らされながら、段々と頭が余計にぼんやりとしてくる。
(あ、あれかー)
ようやく理由に思い当たった頃には、リンの揺さぶりはさらに激しさを増していた。
「ユウ。 ユウ? ユーウー? 朝だよー? ユウー?」
「まだ暗いよ……」
まどろみとリンの揺さぶり攻撃の狭間で、まだなお、まどろみの心地良さが勝る。
リンはそれでもかまわずにユウを揺さぶり続けた。
「あーもう、わかったよぅ。このままだとほんとにお菓子にされちゃう」
「?」
ユウの言葉にリンは揺さぶっていた手を止めて首をかしげた。
「まだ今日は何も作ってないよ?」
「うん、わかってるよ」
寝ぼけ眼をこすりながら、もう片方の手でリンの頭を撫でた。
「よし。今日は私が朝御飯作る」
リンは頭を撫でられながらも、ユウがベッドから起き上がった事を認めて拳を胸元でグッと握り締めた。
「ふぁ……リン、気持ちはわからなくもないけど、あれが来るのはまだ先だよぅ」
小さくあくびをしながらユウが言うものの、既にリンは台所へと駆け出していた。
「あーもう……」
ユウは頭をかきながら、ようやくベッドから降りた。
*
朝食を終えて、開店のための仕込を始めたユウとリンだったが、リンはまだ、そわそわとしている。
手早くお菓子の仕込を終えると、のんびりとコーヒー豆を挽いているユウの目の前をいったりきたり。
朝の日課にしたがって、冷たい水で顔を洗ったものの、水面に映るユウの目は、まだ眠たそうに半開きだ。
対照的にリンは店や竈を行ったり来たりして、時々ドアが風に揺れると、ばっと振り向いて爛々と期待に満ちた目を向ける。
けれど誰も来ないとわかると、しょんぼりと肩を落とす。
「あのさぁ、リン……」
あくびをかみ殺しながら豆を挽いていたユウがそんなリンを見て、最初は放って置こうと思っていたのだが、こうもせわしなくされると流石に少し可哀想になってしまう。
「なに!?」
ユウの声に、リンが何度か風に揺れたドアに向けたような期待に満ちた目をユウに向けた。
「あー……」
そんなリンの目を見ていると、ちょっと言葉に詰まってしまった。
「なに?なに?ユウ?」
「まぁまぁ、あんまり慌てなくてもちゃんとくるから……」
「今日だよね!」
「……うん」
ぱあっと目を輝かせて、リンが満面の笑みを浮かべる。
やれやれといった風に、豆を挽き終わったユウが肩をすくめた。
「もう少し落ち着いて待ってないと、届く頃に眠くなっちゃうよ?」
「子供じゃないよ!」
いつもの台詞だが、リンは凄く嬉しそうだ。
何かを待ち望んでそわそわしている様子はまるで子供だし、どこからどうみても子供なのだが、ユウはそれは言わない事にした。
*
リンが待ちわびている“それ”は今日届く予定だった。
何日も前から「まだかな、まだかな」と繰り返していたほど、嬉しさが隠しきれない。
昨夜も興奮してなかなか寝なかった。
そして今朝の早起きである。
お菓子も焼き終え、ようやく開店準備が整った頃――リンはミルク片手に、ドアが見えるカウンターに座り込んだ。
「?」
しばらくそこに座っていたリンだったが、さっきまでの落ち着きのなさが嘘のように静かになっていた。
(あ……これ……)
もしやと思って回り込んでみれば、思ったとおりにリンがうとうとと舟をこぎ始めていた。
「んにゅ……ユウ、おこし……」
どうやら最後の力を振り絞ったらしい。
そのまま、カウンターにもたれかかるようにしてリンは夢の世界へと旅立ってしまった。
さっきまで世話しなく動いていたのが嘘のように、静かに寝ているリンに、ユウはそっと毛布をかけ、思わず笑みを零していた。
「お・こ・さ・ま」
小さく呟いてリンの鼻に指をちょんとあててやる。
「こどもにゃいよ…」
もはや刷り込まれた反応なのだろうか、それとも夢を見ているのか、まるでユウの言葉に反応したかのようにリンがむにゃむにゃしながら寝言をいう。
「ふふ……」
その様がまた可愛くて、ユウは優しい笑みを浮かべてリンを見つめていた――
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