第14話

 授業参観日での「デコピン事件」から数日が経った。

 あの日、現役のS級探索者である凛堂サキを、寝ながら一撃で沈めた俺、西園寺蓮(8歳)の生活は、平穏を取り戻すどころか、さらに奇妙な方向へと転がっていた。


 放課後。

 下校中の通学路にて。


(……いるな)


 俺はランドセルを背負いながら、背後にへばりつく強烈な視線を感じていた。

 殺気ではない。もっと粘着質で、探究心に満ちた視線だ。

 振り返らなくてもわかる。

 電柱の陰から、赤い髪のポニーテールが盛大にはみ出しているからだ。


 凛堂サキだ。

 剣聖と呼ばれる天才が、なぜ小学生のストーカーをしているのか。

 理由は明白だ。

 彼女は、自分が負けた理由が納得できていないのだ。


(面倒くさい……。絡まれたら長くなるぞ)


 俺は深い溜息をついた。

 俺の望みは、家に帰って速やかに自室のベッドにダイブし、夕食まで惰眠を貪ることだけだ。

 いちいち立ち止まって「なぜあんな動きができたの?」なんて質問攻めにされるのは御免だ。


 俺は、脳内のAIに指令を出した。


(頼む、オートプレイ。最短ルートで帰宅してくれ。追跡者は無視だ)


<オートプレイ機能>

タスク:帰宅

優先度:最短時間・障害物無視

モード:パルクール(都市型移動術)


 カチッ。

 俺の意識が切り替わり、身体の制御権がシステムに移った。


 ◇


 サキは、電柱の陰で爪を噛んでいた。


「……ありえない。あんな子供に、私が負けるなんて」


 彼女のプライドはズタズタだった。

 あの日以来、蓮の動きが脳裏に焼き付いて離れない。

 脱力しきった構え。目を閉じたままの回避。そして、あくび混じりの一撃。

 あれはまぐれだったのか?

 それとも、計算され尽くした達人の技なのか?


「見極めてやるわ。西園寺蓮、アンタの正体を!」


 サキは決意を新たに、蓮の後を追おうとした。

 その時だ。


 ヒュンッ!


 前を歩いていたはずの蓮が、突如として加速した。

 彼は目の前のガードレールを軽やかに飛び越えると、そのまま民家の塀を駆け上がった。


「はあ!?」


 サキが素っ頓狂な声を上げる。

 蓮は重力を無視したような足取りで塀の上を疾走し、隣の家の屋根へと飛び移った。

 通学路? 関係ない。

 AIが導き出した「最短ルート」は、道ではなく「直線」だったのだ。


「ちょ、待ちなさい!」


 サキも慌てて追いかける。

 彼女もS級探索者だ。身体能力は人並み外れている。

 屋根から屋根へ。電線の上を綱渡りのように滑り、路地裏を壁蹴りで三角飛びしていく。


 だが、追いつけない。

 蓮の動きには「迷い」が一切なかった。

 足場が崩れそうな場所も、猫のような身軽さで踏破し、洗濯物が干してあるベランダは、洗濯バサミ一つ揺らさずにすり抜けていく。


「な、なんなのよあいつ! 下校中にパルクールの修行!?」


 サキは戦慄した。

 普通、小学生の下校といえば、道草を食ったり、友達と喋ったりするものだ。

 だが、彼は違う。

 一分一秒を惜しむように、己の身体能力を極限まで使い、効率的に移動している。


「これが……『日常の全てが修行』ということ……?」


 サキの中で、蓮の評価が「生意気なガキ」から「ストイックな求道者」へと書き換わっていく。

 もちろん、蓮本人は「早く帰って寝たい」という一心で、意識の大半をスリープモードにしているだけなのだが。


 ◇


 10分後。

 西園寺家の広大な敷地が見えてきた。

 俺(オート中)は、正門ではなく、高い塀を助走なしで飛び越え、庭木に着地した。

 スタッ。

 音のない着地。

 そのまま自室の窓から侵入し、ベッドの上へ転がり込んだ。


<帰宅完了>

<所要時間:通常の30%>


 俺(意識)は目を覚ました。

 ふう、着いたか。

 これで安眠できる――と思った瞬間、窓の外から気配がした。


「……ハァ、ハァ、ハァ……!」


 窓枠に手をかけ、息も絶え絶えのサキが登ってきた。

 髪は乱れ、服は汚れ、S級探索者の威厳など見る影もない。


「……アンタ、速すぎよ……!」


 彼女は窓から部屋に入り込むと、カーペットの上に大の字に倒れ込んだ。


「……不法侵入だぞ」

「うるさいわね! ここまで追いついてきた私を褒めなさいよ!」


 理不尽だ。

 サキは呼吸を整えると、ベッドに腰掛けている俺を睨みつけた。


「……わかったわ」

「何がだ」

「アンタの強さの秘密よ。……常に『最適解』を選び続ける判断力。そして、無駄を削ぎ落とした効率主義。私の剣が通じなかったのは、私の動きに『無駄』があったからなのね?」


 深読みがすごい。

 俺はただ、面倒くさがりなだけだ。


「……好きに解釈しろ」

「ふふ、やっぱり生意気。でも……認めてあげるわ」


 サキは起き上がり、ニヤリと笑った。

 その表情からは、先日までの敵意は消え、どこか楽しげな色が浮かんでいた。


「私の完敗よ。悔しいけど、今のアンタには勝てないわ」

「そうか。なら帰ってくれ」

「でもね、一つだけ忠告してあげる」


 サキは俺の顔を覗き込んだ。


「ウチの妹……刹那のことよ」

「刹那がどうした」

「あの子、不器用だけど執念深いのよ。私が諦めたってことは、あの子にとって最大の障害が消えたってこと」


 サキは意地悪そうに目を細めた。


「私が負けた相手なんて、あの子からすれば『最強の獲物』にしか見えないわよ。……せいぜい、食べられないように気をつけることね」


 サキはそれだけ言うと、「じゃあね、怪物クン」と手を振り、窓から飛び降りて去っていった。

 嵐のような女だった。


 ◇


 翌日。

 学校にて。

 俺が教室に入ると、刹那が飛んできた。


「蓮君! おはよう!」


 彼女のテンションがおかしい。

 顔は真っ赤で、目がキラキラしている。

 そして、なぜか手には大きめのタッパーを持っていた。


「……なんだ、それ」

「お弁当よ。……お姉様から聞いたわ」


 刹那はモジモジしながら、少し上目遣いで俺を見た。


「お姉様が言ってたの。『あの男は本物よ。アンタには勿体ないくらいの優良物件だわ』って」


「は?」


「あと、『男の胃袋とスケジュールを管理すれば、逃げられなくなる』ってアドバイスも貰ったの」


 あの野郎、余計な入れ知恵を……!

 昨日の「食べられないように」というのは、比喩ではなく物理的な意味だったのか?


「だから今日から、お昼ご飯は私が管理します。栄養バランスも完璧よ」


 刹那がタッパーを開ける。

 中身は、彩り豊かで完璧な「愛妻弁当」だった。

 おかずの一品一品が、俺の好みに合わせて調整されているのがわかる。

 ……正直、美味そうだ。

 学食のパンを買いに行く手間も省ける。


(……まあ、便利だからいいか)


 俺の思考は、すぐに「楽な方」へと流れた。

 俺が箸を受け取ると、刹那はパァァッと花が咲いたように笑った。


「ふふっ。……もう逃さないんだから」


 その呟きだけは、少し背筋が凍るような響きを含んでいたが、俺は聞こえないフリをして卵焼きを口に運んだ。


 こうして、最強のストーカー(姉)を撃退した結果、最強の管理者(妹)による包囲網が完成してしまったのだった。


【現在のステータス】

氏名:西園寺蓮(8歳)

職業:姉妹キラー(無自覚)

スキル:【オートプレイ】【パルクール】【餌付けされ適性】

人間関係:凛堂姉妹(姉は実力を認定、妹は既成事実作りに着手)

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