第4話 王国と神殿による強制婚約発表、そして聖女による「国ごとの」断罪と俺のネタばらし

魔王討伐の旅を終え、王都への凱旋パレードが行われていた。

石畳の大通りは、勇者一行を一目見ようと詰めかけた市民たちで埋め尽くされている。

空からは色とりどりの花びらが舞い、ファンファーレが鳴り響き、「勇者カケル万歳!」「聖女イリシア様万歳!」という歓声が地鳴りのように轟いていた。


オープン馬車の特等席で、勇者カケルは満面の笑みを浮かべて手を振り続けている。


「ありがとう! みんなありがとう! この平和は、俺とイリシアちゃんの愛の勝利だ!」


カケルは隣に座るイリシアの肩を抱こうとするが、馬車が揺れた拍子に(という名目でイリシアが身体強化魔法で車体を僅かに弾ませて)不自然に避けられる。

それでもカケルはめげない。

今の彼は、世界の英雄としての絶頂期にいた。


一方、馬車の後部座席――従者が座る場所で、私とガインは小さくなっていた。


「へへっ、すげえ人気だなあ。俺たちも鼻が高いぜ」


ガインは単純に喜んでいるが、私は胃の痛みと戦っていた。

沿道の人々の笑顔が眩しい。

だが、これから王城で行われる謁見式こそが、この旅最大の「地獄の釜」であることを私は知っている。


隣の席のイリシアを見る。

彼女は聖女として完璧な微笑みを絶やしていない。

だが、私との念話ラインは、すでに限界を迎えていた。


『ねえアシェル。あの太った貴族、私を見て舌なめずりしたわ。目玉をくり抜いていい?』

『駄目だよ』

『あっちの兵士、アシェルを「地味な荷物持ちだな」って笑ったわ。あの一帯、更地にしていい?』

『絶対に駄目だ』

『早く帰りたい。早くアシェルと二人きりになりたい。このパレード、あと何分続くの? 一分一秒ごとに私の理性が削られていく音が聞こえるわ』

『あと少しの辛抱だ、イリシア。謁見が終われば、僕たちは自由になれる』


私は必死になだめる。

だが、その「自由」を手に入れるためには、これから待ち受ける王国と神殿の謀略を乗り越えなければならない。


馬車はゆっくりと王城の正門をくぐり、大理石で作られた壮麗な宮殿へと到着した。


***


謁見の間。

赤い絨毯の先にある高い玉座には、国王と、その横に神殿の最高権力者である教皇が並んで座っていた。

左右には高位貴族や神官たちがずらりと並び、物々しい雰囲気を醸し出している。


私たち四人は玉座の前に跪いた。


「よくぞやった、勇者カケルよ! そして聖女イリシアよ!」


国王の野太い声が響く。


「そなたたちの働きにより、魔王は滅び、世界に光が戻った。この功績は未来永劫、歴史に刻まれるであろう!」

「ありがたき幸せにございます、陛下!」


カケルが代表して答える。

一通りの形式的な賞賛と、報奨金(ガインと私には雀の涙程度だったが)の授与が終わった後、空気が変わった。


国王が意味ありげに教皇と視線を交わし、咳払いをしたのだ。


「さて、カケルよ。そなたには魔王討伐の功績として、予てよりの約束通り『特別な褒美』を与えねばなるまい」


カケルが顔を上げ、期待に胸を膨らませる。


「はい! 俺の望みは一つです!」


カケルは立ち上がり、隣にいるイリシアの方を向いて手を差し出した。


「聖女イリシア・ルナ・フィリアとの結婚を、お認めください!」


広間にどよめきと、祝福の拍手が湧き起こる。

まるで、最初から台本があったかのようなスムーズな流れだ。

教皇が厳かに頷き、口を開いた。


「神もそれを望んでおられる。勇者の『聖なる力』と、聖女の『癒しの力』。この二つが結ばれることによって生まれる血筋こそが、我が国を、ひいては人類を永遠に守護する礎となるのだ」


教皇は慈悲深い笑みを浮かべているが、その目は完全に「優秀な繁殖個体の確保」を計算している目だった。

イリシアの圧倒的な魔力と、異世界転生者であるカケルの特異な遺伝子を掛け合わせ、最強の兵器を生み出す。

それが彼らの真の狙いだ。


「さあ、イリシアよ。勇者の手を取るがよい。これより国を挙げての盛大な婚儀を行うぞ!」


国王が高らかに宣言した。

カケルは勝ち誇った顔で、イリシアに近づく。


「待たせたね、イリシアちゃん。これからは俺が君を一生守ってあげるよ。君はただ、俺の隣で笑っていてくれればいい」


カケルの手が、イリシアの手に触れようとした。


その瞬間だった。


「――お断りします」


冷え切った声が、広間の熱気を瞬時に凍らせた。


カケルの動きが止まる。

国王も教皇も、耳を疑ったような顔をした。


「……は? 今、なんと申した?」


イリシアはゆっくりと立ち上がった。

その表情からは、聖女としての仮面が完全に剥がれ落ちていた。

そこにあるのは、絶対的な強者が見下す冷酷な瞳と、隠しきれない嫌悪感。


「お断りします、と言いました。私はカケル様と結婚など致しません。指一本触れられるのも御免です」


静寂。

完全なる静寂が場を支配する。

カケルは引きつった笑みを浮かべた。


「は、はは……イリシアちゃん? 冗談がきついよ。照れ隠しだろ? こんな大勢の前だし、恥ずかしいのは分かるけどさ」

「恥ずかしい? ええ、恥ずかしいですわ。こんな勘違い男に求婚されるなんて、人生の汚点ですもの」


イリシアはカケルを一瞥もしないまま、真っ直ぐに国王を見据えた。


「それに、私はすでに心に決めた方がおります。幼い頃から誓いを交わし、心も体も魂も、全てを捧げると決めた唯一無二の方が」


ざわ……と貴族たちが騒ぎ出す。

国王の顔が赤く染まり、怒りに震え始めた。


「な、何を馬鹿なことを! 相手は誰だ! どこの馬の骨とも知れぬ男など認めんぞ! これは王命であり、神託なのだ!」

「神託? 滑稽ですね。神がいつそんなことを言いました? 私が聞く限り、神は『お前の好きに生きろ』と言っていましたが?」

「き、貴様! 教皇猊下の言葉を疑うのか!」


教皇も立ち上がり、杖を振り上げた。


「異端だ! 魔王討伐で精神を病んだか、あるいは悪魔に惑わされたか! 衛兵! 聖女を取り押さえろ! 地下牢で頭を冷やさせれば、勇者との結婚がいかに幸福か理解するであろう!」


ガシャガシャと音を立てて、武装した近衛兵数十人がなだれ込んでくる。

さらに宮廷魔導師団も杖を構え、イリシアに照準を合わせた。


「やれやれ……暴力で従わせようというのですか」


イリシアは深く溜息をついた。

そして、ゆらりと顔を上げる。


その瞬間、世界が歪んだ。


「――誰に向かって武器を向けているのか、分かっているのですか?」


ドッッッ!!!!


イリシアを中心に、不可視の衝撃波が炸裂した。

近づこうとした衛兵たちが、まるで木の葉のように吹き飛び、壁に激突する。

宮廷魔導師たちの杖が、圧力に耐えきれず一斉に破裂した。


「な、なんだ!?」

「ひいいッ!?」


貴族たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。

イリシアの体から、黄金の、しかし禍々しいほどの魔力が噴出した。

城そのものがキシキシと悲鳴を上げ、天井に亀裂が走る。

それは魔王城で見せた力の比ではなかった。

彼女は今、本気で「キレて」いる。


「私の愛しいアシェルとの未来を、あなたたち如きが邪魔をする? 王命? 神託? ふざけないで」


イリシアの金色の瞳が輝き、宙に浮き上がった。


「アシェルがいない世界なんて、私には価値がない。私とアシェルを引き裂こうとする国なら……いりません。消えてください」


彼女が右手を掲げる。

天井が吹き飛び、青空が見えた。

その上空に、王都全体を覆うほどの巨大な魔法陣が展開される。

古代禁呪天墜(フォール・ダウン)

隕石を召喚し、指定地域を地図から消滅させる戦略級魔法だ。


「ま、待て! やめろ!」


カケルが叫び、聖剣を抜いた。


「目を覚ませイリシアちゃん! 君は操られているんだ! 俺が助けてやる!」


カケルはイリシアに向かって跳躍した。

だが、イリシアは冷ややかな目で彼を見ただけだった。


「邪魔」


ただ一言。

イリシアが指を弾くと、カケルの体が目に見えない巨大なハンマーで殴られたように地面に叩きつけられた。


「ぐああっ!?」

「勇者? 最後まで勘違いばかり。あなたが魔王を倒せたのは、誰のおかげだと思っているの? アシェルがあなたの攻撃を誘導し、私が敵の動きを封じていたからでしょう? あなたはただ、剣を振るだけの飾りだったのよ」

「な……に……?」


カケルは激痛に呻きながら、信じられない言葉を聞いた。


「私が愛しているのは、世界で一番優しくて、世界で一番強い、アシェル・ヴォイドただ一人。それ以外は全部、ゴミよ」


イリシアの宣告。

それはカケルにとって、物理的な痛み以上に心を抉る、残酷な真実だった。

彼が夢見ていた「勇者と聖女のロマンス」は、最初から存在しなかったのだ。

彼女はずっと、彼の後ろにいる地味な男だけを見ていたのだから。


上空の魔法陣が輝きを増す。

王都の空気が灼熱し始めた。

国王も教皇も腰を抜かし、死を覚悟して震えている。


「さようなら。来世では、私とアシェルの邪魔をしないでね」


イリシアが手を振り下ろそうとした、その時。


「――そこまでだ、イリシア」


静かな、しかし透き通るような声が響いた。


私は一歩前に出た。

《空間転移》

瞬時にして、空中に浮くイリシアの目の前に移動する。


「アシェル……?」


イリシアの動きが止まる。


「駄目だよ。この国を消したら、僕たちが暮らす場所の物価が上がっちゃうだろう?」


私は冗談めかして言いながら、彼女が展開した巨大な魔法陣に手を触れた。


《術式解体・全プロセス強制終了》


パリン、という軽やかな音と共に、王都を灰にするはずだった禁呪が、ガラス細工のように砕け散った。

呆気ない幕切れ。

宮廷魔導師たちが「ありえない!」と絶叫するほどの、神の御業に近いアンチ・マジック。


私はそのまま空中でイリシアの腰を抱き寄せ、ゆっくりと地上――玉座の前に着地した。


広間は静まり返っていた。

誰もが言葉を失っている。

Cランクの、地味な荷物持ちだと思っていた男が、聖女の暴走を指先一つで止めたのだから。


「ア、アシェル……き、貴様、何をした……?」


カケルが震える声で問う。

私は眼鏡の位置を直し、ため息をつきながら答えた。


「何って、彼女のブレーキ役だよ。ずっとこうやって旅をしてきたんだ。君たちが気づかなかっただけでね」


私は国王と教皇に向き直る。

彼らは恐怖で顔面蒼白になっていた。


「陛下、そして教皇猊下。単刀直入に申し上げます」


私は普段の目立たない声ではなく、少しだけ魔力を乗せた「通る声」で告げた。


「僕はイリシアと結婚します。これは決定事項です。王命だろうが神託だろうが、覆りません」

「き、貴様……王に逆らってただで済むと……」


国王が虚勢を張ろうとするが、私は少しだけ殺気を放った。

ほんの少し。イリシアの百分の一程度だ。

それでも、国王の言葉は喉に詰まった。


「誤解しないでください。僕はお願いしているのではなく、提案しているんです。もし僕たちを認めず、追手などを差し向けるなら……」


私はチラリとイリシアを見た。

彼女は私の腕の中で、うっとりとした顔をしているが、その目は「いつでも殺れます」と語っている。


「次は止めませんよ? 彼女は本気です。この国を更地にしてから、二人で新しい国を作るのも悪くないと考えているくらいには」


国王と教皇は、ガタガタと震えながらイリシアを見た。

彼女の背後には、幻影の魔神が見えるようだった。

そして、それを手綱一つで制御している、目の前の平凡な青年。


彼らは悟った。

この二人こそが、魔王をも超える「規格外」なのだと。

逆らえば、国が終わる。


「……わ、分かった……」


国王が絞り出すように言った。


「認めよう……。二人の仲を……。その代わり、どうか、どうか国だけは……!」

「賢明なご判断、感謝します」


私はニコリと笑った。

そして、ボロボロになったカケルの方を向く。


カケルは膝をつき、涙目でこちらを見ていた。

悔しさ、情けなさ、そして失恋の痛み。

だが何より、自分が「主役」ではなかったという絶望が彼を打ちのめしていた。


「カケル。君は勇者だ。それは間違いないよ」


私は彼に声をかける。


「君が前で目立ってくれたおかげで、僕は影で自由に動けた。君は最高の『囮』であり、最高の『盾』だった。感謝してるよ」


それは最大の皮肉であり、同時に本心でもあった。

カケルは顔を真っ赤にして俯き、拳を地面に叩きつけた。


「ちくしょぉぉぉぉぉ!! 覚えてろよ! いつか絶対、お前を超えてやるからな!」

「うん、頑張って。応援してるよ」


私は軽く手を振り、イリシアの手を引いた。


「行こうか、イリシア。僕たちの家に」

「はい、あなた!」


イリシアは満面の笑みで、先ほどの殺意が嘘のように私に抱きついた。

彼女は広間の出口に向かいながら、最後に一度だけ振り返り、カケルたちに向かって舌を出した。


「ベーっだ! アシェルは私だけのものよ!」


私たちは呆然とする人々を残し、堂々と王城を後にした。


***


それから数年後。


王都から遠く離れた辺境の村に、一軒の小さな薬屋があった。

「万能薬」とも噂される高品質なポーションと、何より店主夫婦の仲の良さで評判の店だ。


「アシェルー! お昼ごはんできたわよー!」

「はいはい、今行くよ」


私は庭で薬草の手入れを終え、家の中に入った。

そこには、エプロン姿のイリシアが、シチューをよそって待っていた。

かつての聖女の面影はあるが、今の彼女は完全に「幸せな新妻」だ。

(まあ、夜になると相変わらず愛が重すぎて、結界を張らないと家が壊れそうになるが)


「ふふっ、アシェル。口元にソースついてる」


イリシアが私の顔を拭いてくれる。

平和だ。

魔王との戦いも、王都での騒動も、今では遠い昔の夢のようだ。


ちなみに、勇者カケルはどうなったかというと。

あの後、失恋のショックと事実上の敗北から立ち直れず、しばらく荒れていたらしい。

だが、「いつかあいつらを見返す」という負のエネルギーを原動力に修行し直し、今では「真の勇者」としてそこそこ真面目に魔獣退治をしているという噂を聞いた。

まあ、一生私たちには追いつけないだろうが。


「ねえ、アシェル」


イリシアが食事の手を止め、真剣な眼差しで見つめてくる。


「ん? なに?」

「私、今が一番幸せ。魔王を倒した時よりも、聖女と呼ばれた時よりも、今、あなたとこうしてご飯を食べている時が、世界で一番幸せよ」

「……僕もだよ、イリシア」


私が答えると、彼女は花が咲くように笑った。

そして、少し頬を染めて囁く。


「だからね……そろそろ、家族を増やしてもいいかなって思うの」

「えっ」

「ふふ、今夜は寝かせないからね? 覚悟しておいてね、ダーリン♡」


イリシアの瞳が、怪しく、そして愛おしく輝いた。

私は苦笑いしながら、窓の外の青空を見上げる。


世界最強の魔法使いと、最恐のヤンデレ聖女。

二人の「平凡な」暮らしは、これからも騒がしく、そして甘く続いていくのだろう。


勇者「魔王倒したら聖女と結婚するんだ(確約)」聖女「(彼氏の)邪魔、死んで」

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