勇者「魔王倒したら聖女と結婚するんだ(確約)」聖女「(彼氏の)邪魔、死んで」 ~地味な裏方魔法使いの俺、実は世界最強。隠していたヤンデレ婚約者が勇者ごときでは制御不能な件~

@flameflame

第1話 凡庸な魔法使いは影で神話級魔法を連発し、聖女は笑顔の裏で勇者の暗殺を画策する

魔王城が聳え立つ「絶望の荒野」に足を踏み入れてから、およそ三日が経過しようとしていた。

空は常にどす黒い紫色の雲に覆われ、大地は瘴気によって腐り落ち、草木の一本も生えていない。

本来であれば、一歩踏み出すごとに致死量の毒気が肺を焼き、徘徊するSランクモンスターの群れによって、熟練の騎士団でさえ数分で全滅するような死の世界だ。


しかし、そんな地獄の只中を、まるで王都のメインストリートでも散歩するかのように軽快に歩く男がいた。


「いやー、それにしても魔王軍ってのも大したことねえな! もっとこう、俺を熱くさせてくれるような奴はいねえのかよ」


とんでもない大声を張り上げながら先頭を行くのは、金糸の装飾が施された白銀の鎧に身を包んだ青年、勇者カケルだ。

手入れされた茶髪に、自信に満ち溢れた碧眼。

異世界からの転生者であり、神託によって選ばれたこの世界の希望。

彼は腰に差した聖剣の柄を無意味にポンポンと叩きながら、背後に続く我々を振り返った。


「な? そう思うだろ、イリシアちゃん」


カケルが爽やかな笑顔(と本人は思っている)を向けた先には、一人の少女がいる。

聖女、イリシア・ルナ・フィリア。

月光を織り込んだような長い銀髪に、宝石のトパーズよりも鮮烈な金の瞳。

神殿が定める最高位の法衣を纏っているが、その清廉な衣装でさえ隠しきれない圧倒的な美貌は、まさに女神の再来と謳われている。


イリシアはカケルの問いかけに対し、聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべて首を傾げた。


「ええ、そうですわね。カケル様の聖なる御力が、この場の邪気を払っているのですわ。私のような非力な女は、カケル様の後ろをついていくのがやっとですもの」


鈴が転がるような可憐な声。

それを聞いたカケルは、鼻の下を盛大に伸ばしながら「ははっ、任せとけって! 俺がイリシアちゃんに指一本触れさせないからさ」と、さらに歩調を早めた。


そのすぐ後ろで、巨大な戦斧を担いだ大男、戦士のガインが追従する。


「さすがカケルだぜ! この辺りの瘴気が薄いのも、全部お前の『勇者オーラ』のおかげだな!」

「よせよガイン、照れるだろ」

「へへっ、違いねえ! おいアシェル、お前もボサッとしてないでカケルに感謝しろよな。お前みたいなCランクの魔法使い、普通ならここに来た瞬間に即死してるんだぞ?」


ガインが嘲笑を含んだ視線を、最後尾を歩く私――魔法使いのアシェルに向けてくる。

私は彼らの荷物を一手に引き受けた巨大なリュックサックを背負い直し、愛想笑いを浮かべた。


「ああ、本当にその通りだね。カケルのおかげで助かってるよ。僕の魔力じゃ、自分の身を守る結界を張るのすら精一杯だから」

「はんっ、情けねえなぁ。まあいい、荷物持ちとしての役目さえ果たしてくれりゃ文句はねえよ」


ガインは興味を失ったように前を向く。

勇者カケル、聖女イリシア、戦士ガイン、そして魔法使いのアシェル。

これが世界を救うと期待される勇者パーティの陣容だ。


私は小さく溜息をつき、誰にも気づかれないように指先を僅かに動かした。


《多重並列思考プロセス・展開》

《広域探知ソナー・更新》

《前方三キロメートル地点に潜伏する「デス・スパイダー」の群れ二十体を視認》

《空間切断魔法「次元断」・出力〇・〇〇一パーセントで発動》

《対象の存在を構成する原子結合を解除――消滅を確認》


音もなく、光もなく、魔力の波動すら漏らさず。

私は勇者たちが進む先にある脅威を、散歩道の小石をどける感覚で処理した。

カケルが「瘴気が薄い」と言っていたが、それは彼が何もしなくてもいいように、私が半径五キロメートル圏内の空気を常時浄化魔法で洗浄しているからだ。

ガインが言った「即死レベルの環境」も、私がパーティ全体に物理・魔法耐性の多重結界を二十四時間張り続けているから無効化されているに過ぎない。


だが、そんな事実は彼らには一生伝わらないだろうし、伝える気もない。

私は目立ちたくないのだ。

魔法使いとして最強であることよりも、平穏な一般市民として生きたい。

だからこうして、実力を隠して「荷物持ちの魔法使い」に甘んじている。


そう、私にとってはこれでいい。

問題は、私のすぐ前を歩く、銀髪の聖女様の方だった。


『……ねえ、アシェル』


脳内に直接、冷ややかな、しかし粘度のある甘い響きを持った声が響いてくる。

念話だ。

それも、私の固有魔法によって構築された、世界中のどんな大魔導師も傍受不可能な、二人だけのホットライン。


『なんだい、イリシア』


私は表情を変えずに、心の中でだけで返事をする。


『あの茶髪の猿、また私に気安く話しかけてきたわ。しかも「イリシアちゃん」だなんて……吐き気がする。ねえ、あの口、縫い合わせてもいい? それとも舌を引き抜いて、二度と喋れないようにしてあげましょうか?』


先ほどまでカケルに向けていた慈愛の微笑みとは真逆の、絶対零度の呪詛。

イリシアは前を歩く勇者の背中を見つめながら、脳内では凄惨な拷問計画を立案していた。


『駄目だよ。カケルは一応、この世界の希望なんだから』

『希望? あれが? ただの道化じゃない。魔王軍の四天王とかいう雑魚たちを倒せたのも、全部アシェルが裏で弱体化魔法をかけてあげて、その上で攻撃が当たるように空間座標をずらしてあげたからでしょう? それなのに自分の実力だと勘違いして……ああ、滑稽すぎて哀れだわ』

『まあまあ。彼が目立ってくれれば、僕たちは平和に暮らせるんだから』

『そうね……。アシェルがそう言うなら我慢する。アシェルの「平和に暮らしたい」という夢を守るのが、私の至上の喜びだもの』


イリシアの声色が、瞬時にしてとろけるような甘さに変わる。


『でもね、アシェル。さっきあの猿、私の腰に手を回そうとしたの。気づいてた?』

『ああ、気づいてたよ』

『私、反射的に聖炎魔法で腕を炭化させそうになったのを必死で堪えたのよ? 偉い? 褒めてくれる?』

『偉い偉い。よく我慢したね、イリシア』

『んふふ……嬉しい。アシェルに褒められると、魂が震えるわ。……でも、次は無いから。今度あの汚らわしい手が私に触れようとしたら、勇者という概念ごとこの世界から消去するわね』

『……お手柔らかに頼むよ』


これが、聖女イリシアの本性だ。

彼女は世界で唯一、私の本当の実力を知っている人物であり、私の幼馴染であり、そして私の最愛の婚約者である。

表向きは「同郷の幼馴染」として振舞っているが、彼女の私に対する執着と愛情は、もはや信仰の域に達していた。


彼女自身のスペックも異常だ。

「神の愛し子」という二つ名は伊達ではなく、本気を出せば私でさえ止めるのに苦労するほどの魔力量を誇る。

放っておけば単独で魔王城を更地にし、ついでに勇者も国も滅ぼしかねない危険人物なのだが、幸いなことに彼女の興味は「アシェルといかにイチャイチャするか」という一点のみに向けられているため、世界はなんとか均衡を保っていた。


「おい、そろそろ休憩にしようぜ!」


カケルが立ち止まり、大きな岩場を指さした。


「賛成だ。腹も減ったしな」


ガインが荷物を下ろす。

私は彼らの従者であるかのように、手早く水と食料を準備し始めた。

カケルは岩に腰掛け、水筒を受け取ると、またしてもイリシアに視線を送る。


「なあイリシアちゃん。この旅が終わったらさ、俺、国王陛下にお願いがあるんだよね」

「まあ、何ですの?」


イリシアは水を配りながら、完璧な営業スマイルで応じる。


「魔王を倒した褒美としてさ、俺とイリシアちゃんの結婚を認めてもらおうと思って」


ブフォッ、とガインが水を吹き出し、ニヤニヤと笑った。


「おーおー、言ったねえ色男! まあ、お前らならお似合いだぜ。最強の勇者と最高の聖女、国の奴らも大賛成だろ」


カケルは髪をかき上げながら、自信満々に続ける。


「実はさ、出発前に神殿長からこっそり言われてるんだよ。『魔王討伐の暁には、聖女イリシアとの婚姻を祝福しよう』ってね。だからこれはもう、決定事項みたいなもんなんだ」


私は配っていた干し肉を落としそうになった。

チラリとイリシアを見る。

彼女は表情一つ変えず、ニコニコと笑っている。

だが、私の脳内には警報音が鳴り響いていた。


『……アシェル』

『待ってイリシア、落ち着いて』

『あの男、今なんて言った? 私と、結婚? 決定事項? 神殿長が許可?』


声が低すぎて、脳が震える。


『殺す。今すぐ殺す。あの男も、ガインも、神殿長も、王も、国も、全部』

『ストップ! ステイ! まだ早い!』

『何が早いの? 私の心も体も未来も、魂の一片に至るまで全てアシェルのものなのに。それを、あんな薄汚い欲望の塊が、勝手に? 許せない。許せない許せない許せない許せない許せない』


イリシアの周囲の空間が、物理的に歪み始めている。

彼女の殺気が漏れ出し、大気が悲鳴を上げているのだ。

カケルとガインは「なんだ? 急に寒気が……」と震え出したが、それがイリシアから発せられているとは夢にも思っていない。


私は慌てて念話を送る。


『イリシア、僕を見て!』


彼女がゆっくりと、私の方を向く。

その瞳は、ハイライトが消え失せ、深淵のような暗さを宿していた。


『僕は君以外の誰とも結婚する気はないし、君が誰かのものになるなんて絶対にさせない。それは約束する。だから、今は抑えてくれ。あんな奴らの言葉で、僕たちの旅を台無しにするのは勿体ないだろう?』


私は精一杯の想いを込めて伝えた。

すると、イリシアの瞳に光が戻り、歪んでいた空間が元に戻っていく。


『……アシェルが、そう言うなら』


彼女の頬がほんのりと赤く染まる。


『そうね。アシェルの言う通りだわ。あんな虫けらの戯言に本気になって、アシェルとの大切な時間をドブに捨てるなんて馬鹿らしいもの』

『そうそう、その通り』

『でも、神殿長と王様については、帰ったら「教育」が必要ね。私の所有権が誰にあるのか、骨の髄まで分からせてあげないと』

『……まあ、それくらいなら』


私が冷や汗を拭っていると、突然、地面が激しく揺れ動いた。

休憩していた岩場がひび割れ、地底から轟音が響き渡る。


「な、なんだ!?」


カケルが聖剣を抜き放つ。

次の瞬間、地面が爆発し、巨大な影が天を覆った。


現れたのは、五つの首を持つ漆黒の竜。

伝説の魔獣、「アビス・ハイドラ」だ。

本来なら魔王城の最深部を守護しているはずの番人が、なぜかここに出現したのだ。

その全長は百メートルを超え、それぞれの口からは全てを腐食させる酸のブレスが漏れ出している。


「で、でけえ……! なんだこいつは!」


ガインが腰を抜かさんばかりに後ずさる。

Sランクどころではない。これは災害指定の「天災級」モンスターだ。

まともに戦えば、一国が滅ぶ。


だが、カケルは震える足を無理やり踏ん張り、剣を構えた。


「び、ビビるなガイン! 俺は勇者だ……この程度のトカゲ、俺の聖剣で一撃だ!」


カケルは恐怖を誤魔化すように叫ぶと、無謀にもハイドラに向かって突っ込んでいった。

ハイドラの五つの首が一斉にカケルを捕捉する。

その喉奥で、ドス黒い魔力が膨れ上がるのが見えた。


極大ブレスだ。

あれを食らえば、カケルどころか、この一帯の地形が変わる。

カケルの防御力では、直撃すれば蒸発して骨も残らない。


「うおおお! 喰らええええ!」


カケルは全く気づかずに剣を振り上げている。


『はあ……世話が焼けるな』


私は小さく息を吐き、認識できない速度で魔法を構築した。


《術式展開・因果律干渉》

《対象:アビス・ハイドラのブレス放射機構》

《事象改変:魔力供給ラインを「逆流」に設定》

《追加術式:カケルの聖剣への一時的付与「物理透過」および「絶対切断」》


カケルが剣を振り下ろすと同時、ハイドラがブレスを吐こうとした。

だが――


ドォォォォォォン!!


ハイドラの体内で謎の爆発が起き、五つの首が苦悶にのたうち回った。

ブレスが逆流し、自らの喉を焼き尽くしたのだ。

そこへ、カケルの剣が届く。

本来ならハイドラの鋼鉄の鱗に弾かれるはずの刃が、まるで豆腐を切るようにスッと通り抜け、胴体を深々と切り裂いた。


「ギャオオオオオオオ!!」


断末魔の叫びと共に、巨大なハイドラが崩れ落ちる。

土煙が舞い上がり、静寂が訪れた。


カケルは呆然と自分の剣を見つめ、それからゆっくりと我々を振り返った。


「……見たか? 今の」


カケルが震える声で言う。


「俺の気合に、竜がビビって自爆したんだ……! それにこの切れ味、俺の潜在能力がついに覚醒したのか!?」

「す、すげええええ! マジかよカケル! あの化け物を一撃かよ!」


ガインが駆け寄り、カケルの肩を叩く。

カケルは満更でもなさそうに鼻を鳴らし、髪をかき上げた。


「まあな。愛するイリシアちゃんの前で、無様な真似はできないからさ」


キザなポーズを決める勇者。

その後ろで、イリシアが私にすり寄ってきた。

カケルたちからは見えない角度で、彼女は私の袖をギュッと掴み、上目遣いで見つめてくる。


『アシェル、今の「因果律干渉」、凄かったわ。あんな高度な術式を一瞬で組むなんて……やっぱり私のアシェルは世界一ね』

『ありがとう。でもイリシアが手を出そうとしたから焦ったよ』

『だって、あいつがブレスを吐こうとした瞬間、アシェルにも粉塵がかかりそうだったから。この大陸ごと消し飛ばしてやろうかと思ったの』

『……抑えてくれて助かったよ』


イリシアは「んふふ」と嬉しそうに笑い、誰にも聞こえない小声で囁く。


「守ってくれてありがとう、愛してるわ、アシェル」


表向きは、勇者の勝利に安堵する聖女。

しかしその実態は、真の実力者である婚約者にデレデレの恋する乙女。


カケルはハイドラの死骸の上に立ち、夕日に向かって剣を掲げた。


「待っていろ魔王! この最強の勇者カケル様が、すぐに引導を渡してやる!」


その背中を見ながら、私は深く深く溜息をついた。

この勘違い道中が、あと少しで終わることを願いながら。

そして、魔王を倒した後に待ち受けるであろう、イリシアと国との「戦争」をどう回避するか、頭を悩ませながら。

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