夕焼けの女
えやま
夕焼けの女
それは、今まで見たことがないほど美しい夕焼けだった。
ただし、ただの夕焼けとは何かが違うような気がした。
突然視界が赤く染まったかと思えば、同じように赤い服を纏った女が目の前に現れたのだ。
共に夕焼けを眺めるような仲の女がいるわけでもないし、そもそもなぜ急に夕焼けを見ることになったのかも分からない。
私はその景色を、呆然と眺めていた。
「あなたはこれから先、この景色をもう一度だけ見ることができるでしょう」
女は言った。しかしその言葉の意味はわからない。
「同じ景色だと思ったら、私に会いに来てくださいね」
そう言って女は消えた。景色も元に戻る。
私はそもそもベッドの上にいた。時計を見ると、深夜の二時。夕焼けとは程遠い時間である。
もそもそとベッドから降り、タンスの上の写真を倒す。しっかりと眠れるように、服用している錠剤を水とともに喉に流し込んだ。
今のは自分の夢だろうか。もしかすると女と共に夕焼けを見たいという、私の胸の奥底に隠された欲望のあらわれなのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら、私は真っ暗な窓の外にあの景色を思い描きながら眠りに落ちた。
それから、日が暮れ始めると私は毎日のように外に出てそれを確かめた。
会社の建物の影でも、家のベランダでも、景色というのは当たり前についてくるものなので、私は欠かさずにじっと空を見つめた。
あの時の雲はどんな形だっただろうか。いくつあって、どれくらい赤く染まっていただろうか。太陽の方向はどこを向いていたか、どれくらい顔を出していたか。
あの女の顔と一緒に、あの夕焼けを頭の中で再現しながら眺めるのだ。時にただ日光を浴びる猫のように、時に間違い探しをする子どものように。
私はそのうち気付いていた。自分はあの女ともう一度会うことを目的としているのではなく、女を想っている時間こそが世界に彩りを与えてくれているのだということに。あの一瞬の間で、私はあの女の虜となってしまったのだ。
しかし同時に、私は不思議に思っていた。
毎日のように夕焼けを眺めるのは良いのだが、忘れもしないあの一瞬の真っ赤な夕焼け。あれと同じ赤色が見つけられないのだ。
女は「同じ景色を一度だけ見つけることができる」と言った。私はそれに従って夕焼けをずっと見てきたが、どうにもただの夕焼けにはあの赤色を再現できるだけの力がないらしい。
とはいえ、同じ夕焼けに変わりはないのだから、似たような景色は見ることができるだろうと私は思っていた。私はあの時の夕焼けをはっきりと記憶しているので、間違えることはないはずなのだ。なのになぜか、雲の形や位置という要素以前の問題が起こっている。
自分の目と記憶を疑ってしまうほど疑心暗鬼になっているのだろうか。あの女のことを想うとどうも感覚が狂わされるらしい。
その日、私はいつものように夕焼けを眺めながらタクシーに乗り込んだ。
今日もハズレだ。そう思いながらも、その雄大な空から目を離すことはない。タクシーはいつもの道を、いつものスピードで駆け抜けた。
今日こそは……などと考えている訳ではなかった。むしろこれまでの夕焼けをただ見つめるだけの日々から、車に乗り込んだあとの一瞬だけ解放された気分だった。
あの景色を忘れたとか、夕焼けに飽きたとか、そういうことではなかった。今日はたまたま、そういう日だったというだけのことだ。
なにしろ今日は疲れていた。勤務先での業務が重なっただけであったが、とにかく疲れていた。
タクシーが目的地に着くまでが異様に長く感じた。車から降りて地面に足をつけるも、根を張るようにたちまち動けなくなってしまいそうで、そそくさと帰路に着く。
今日は早く寝て、疲れを取ろう。どうせ今日の夕焼けも違うのだから、明日空を見上げるだけの体力を無くしてしまわないように、一刻も早く休息を取ろう。重い足取りで一歩一歩、ふらふらと進んでいく。
ふとした不安からかろうじて首を回して目線を上げる。それでもやはり、夕焼けは鮮やかなオレンジ色だった。
見上げた姿勢のまま息を吐く。肩で息をする形で、自分でも疲れが溜まっているのがよく分かる。
しばらく立ち止まる。私はこれからも、あの夕焼けとあの女を探し続けるのだろう。
不思議と嫌な気分はしなかった。私はそのことを再認識してから、再び前を向いて歩き出す。
「────────────、?」
何が起こったのか、分からなかった。
目の前に近付く眩い光。耳をつんざくようなクラクションの音。
それらを理解した時には、私は既に、道路の端に転がっていた。
「ぁ、ああ………………」
全身を強く打ち、おそらく頭は傷だらけで、血を含んだ浅い息を繰り返す。
私は仰向けの状態になっていた。手足に力が入らないので、周りの状況を理解することができない。視界もぼやけ、騒音も遠ざかっていく。
次に瞬きをした時、私の瞳には打ち付けた額からの血液が、どろりと流れ込んできた。
その瞬間、私の中で時が止まった。
今日もハズレだ。ハズレだったはずだ。私の頭の中に思い描いていたあの夕⬛︎けとは違ったのだ。確かにそうだった。
私の血は私の額を赤く染め、私の瞳を赤く染め、その瞳が見通す全てのものを⬛︎く染めた。
ぼやけた視界がクリアになる。今までと違うのは────空の景色が、燃えるような見事な⬛︎⬛︎けであることだった。
雲の位置、太陽の形、赤色の面積。そのどれもが、脳内をそのまま写したかのような景色。
私はついに巡り会えたのだ。
力を振り絞って握りしめた手が震えるのは、この感動のせいか、それとも⬛︎への恐怖なのか。
そんなことは意に介さずに、私はもうひとつの
私の⬛︎憶では、それが────そう、
「また、会えましたね」
止まった時が動き出すのが間もなくだというのを悟った。
その⬛︎はずっとそこに居たかのように微笑んだ。
私は心を埋め尽くすような⬛︎望を感じた。
彼女はここで、この⬛︎い夕⬛︎けの中で私をずっと待っていたのだ。
無気力で何気ない生活を送っていた私がこの景色に辿り着けなかったのも当たり前だったのだ。
⬛︎女はじっと⬛︎を見つめている。
その⬛︎⬛︎みには、なんと言えば良いのか、少しの⬛︎かしさを感じた。
「あぁ、おまえ、は、……………………」
張り詰めていた糸がぷつんと切れる。止まっていた時が動き出す。その一瞬の間、意識が途切れる寸前、私の中で答えが出た。
私は、私が見たのは、私を呼んだ彼女は
────────────⬛︎⬛︎だったんだ。
夕焼けの女 えやま @morimoto0903
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