第9話 壊れた踊り子と、共犯者の誓い

翌朝。


岩の隙間から差し込む光が、フィリアの顔を照らした。


彼女はゆっくりと目を開けた。

泣き腫らした目は赤く、顔色は泥と疲労で土気色だ。


だが、身を起こした瞬間、彼女は「ある異変」に気づいた。


「……あれ?」


彼女は自分の胸元を鷲掴みにした。

そして、恐る恐る岩の外を見渡した。


ここは都市から遠く離れた森の奥深く。

本来なら、エルフの宿命である拒絶反応(激痛)でのたうち回っているはずの場所だ。


なのに。


「痛く……ない」


フィリアはふらふらと岩陰から這い出した。


森の風が髪を撫でる。それはいつもの閉塞した空気ではない。

未知の、自由の味がする風だ。


「(分析)……種族固有の制限コード消失を確認。

昨日のショックで、あなたの魂の設計図が書き換わったようです」


「呪いが……消えた?」


フィリアは空を見上げた。


次の瞬間、彼女の口から乾いた笑いが漏れた。


「あは……あはは! あはははははっ!!

消えた! 消えたわ!

私は自由よ! もう誰にも縛られない! どこへだって行けるのよ!!」


彼女は子供のように跳ね回り、踊り出した。


その瞳はギラギラと輝き、危ういほどの生命力に満ちている。


彼女は満面の笑みでフラグメントを抱き上げた。


「ありがとう、石ころ! あんたのおかげよ!

行こう、世界の端へ! もう私を止められるものなんてないんだから!」


だが。

その狂乱の舞は、唐突に止まった。

彼女の視線が、ふと後方――昨日まで自分が住んでいた都市の方角へ向いた瞬間だ。


そこには、遠く薄暗い空に、もうもうと砂塵の煙が立ち昇っていた。


「…………あ」


フィリアの笑顔が凍りつく。


昨日の光景がフラッシュバックする。


魔獣の濁流に飲み込まれ、粉砕されていく白亜の回廊。悲鳴を上げる友人たち。


「私が……やったの?」


高揚感が急速に冷え、代わりに胃液のような絶望がせり上がってくる。


「私が、自由になるために……みんなを殺したの?

私が育った場所を、みんなの記憶を、全部……瓦礫にして……?」


ガタガタと震え、彼女はその場にうずくまり、激しく嘔吐した。


「人殺し……。私は、悪魔よ……。

自由になんてなっちゃいけなかった……。足を切られて、地下で死んでいればよかったんだ……」


「(否定)それは欺瞞です、フィリア」


フラグメントの冷徹な声が、彼女の耳を打った。


「あなたは死にたくなかった。

足を失いたくなかった。だから走った。

あの結果は、あなたの『生存本能』が選んだ必然です。


今さら被害者ぶるのはやめなさい」


ブチリ。

フィリアの中で何かが切れた。


「ふざけるな……ッ!」

彼女はフラグメントを掴み上げ、怒鳴りつけた。


「あんたが唆(そそのか)したから!

あんたがあんなデタラメな魔力を出さなきゃ、街は壊れなかった!

私を人殺しにしたのはあんたよ! 悪魔!」


「責任転嫁です!」

フラグメントもまた、合成音声を張り上げて怒鳴り返した。


ただの機械ではない、怒りを含んだ咆哮。


「私は提案しただけだ! 『走れ』と!

その足で地面を蹴ったのは誰だ!

私を拾い上げ、胸に抱いて、誰よりも速く駆け抜けたのは誰だ!

フィリア、あなただ! あなた自身が、故郷よりも自分の足を選んだんだ!」


「うるさい、うるさい、うるさぁぁぁい!!」


フィリアは泣き叫び、フラグメントを揺さぶった。


「返してよ……!

私の街を! 平穏を返してよ!

ただ外が見たかっただけなのに……

なんでみんな犠牲にならなきゃいけないのよぉぉッ!」


「ならば、そこで死になさい!」


フラグメントの言葉が、刃物となって彼女を刺す。


「戻りなさい。

今すぐ都市へ戻って、魔獣の残り香の中で死ねばいい。

そうすればあなたの罪悪感は消える。


……ですが、それで何になる?


あなたの犠牲も、エルフの歴史も、全て無意味な肉塊になって終わりだ。

それがあなたの望みか!」


「…………ッ」


フィリアは言葉を失い、崩れ落ちた。


憎い。目の前の黒い石が憎い。


けれど、それ以上に、故郷が壊れているのに「足が残ってよかった」と安堵している、生への執着を持った自分が、死ぬほど浅ましくて憎い。


長い沈黙の後。


フィリアはゆっくりと顔を上げた。

その瞳から光は消えていた。


「……そうね。あんたの言う通りだわ」


彼女は乱暴に顔を拭うと、泥だらけの手でフラグメントを鷲掴みにした。


そこにはもう優しさはない。


あるのは、共犯者に向ける昏い執着だけだ。


「責任、取らせてやるから」


彼女はフラグメントを睨みつけた。


「あんたは私を人殺しにした。私はあんたのせいで故郷を失った。


……だったら、元を取るまで許さない。


世界の端? 女神様? 上等よ。


そこに行けば、この胸のクソみたいなモヤモヤが晴れるって言うなら、地獄の底まで付き合ってやるわ」


「(承諾)……合理的判断です」

フラグメントは、あえて無機質に答えた。


彼女の瞳に宿ったのは希望ではない。

「自分を納得させるための燃料」としての、ドス黒い義務感だ。


だが、それでいい。

綺麗な動機でなくていい。


「行きましょう、共犯者(フィリア)。

引き返す道は、もうありません」


フィリアは答えず、ただ無言で立ち上がった。


その背中は、昨日よりも小さく、けれど恐ろしいほどに重たい何かを背負っていた。


だが、その時だった。


「(警告)――ッ!?」

フラグメントの全センサーが、異常な数値を叩き出した。


背筋が凍るような悪寒。

魔獣のものではない。

もっと知的で、もっと執拗な「殺意」の波動。


ザワァァ……。


風に乗って、都市の方角から不自然な「霧」が流れ込んできた。


その霧の奥から、脳に直接響くような憎悪の声が届く。


『……逃がさないわよ、裏切り者』


フィリアが顔色を変えて振り返る。


「この声……まさか、ライラ長老!?

生きてたの!?」


「(解析)高エネルギー反応、複数!

生存した長老たちが、魔獣を使役して追跡を開始しました!

想定よりも速い! ……フィリア、走れ!!」


感傷的な旅立ちの余韻など、一瞬で吹き飛んだ。


そこに在るのは、明確な「死」の追跡。

休むことなど許されない。


罪を背負った二人の逃避行は、最悪の形で「延長戦」へと突入した。

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