『始まりの欠片《フラグメント》は、奪われた器《きみ》を追う』 ~一万年後の世界。無力なゴーレムと、魂だけの少女の旅路~
@petan_ko
第1話 始まりの欠片
初めに、何もなかった。
無限の「虚無」に、創造神アルセリアと、彼女に仕えるゴーレム
――フラグメントだけがいた。
彼女はそこで世界を創り、種を蒔き、文明を見守った。
そして一万年前、彼にこう告げたのだ。
「世界の端で待つ。私のもとに戻ってきて」
その言葉と共に、彼は「無明の窟(むみょうのいわや)」に封印された。
ぷつっ。
何かが切れる音と共に、意識が覚醒した。
静寂と暗闇に閉ざされていた洞窟に、ゴォンという低い音が響き渡る。
世界の時間を司る巨岩が、ちょうど一万年という時を刻んだ音だった。
封印の魔法陣が砂のように崩れ去り、彼の琥珀色の丸い目に光が戻る。
(…覚醒。…分析。状況、不明)
その瞬間、フラグメントの核(コア)の深層領域で、膨大な情報の『インストール』が実行された。
まるで、最初からその刻(とき)のために、隠しファイルとしてプログラムされていたかのように。
『魔力』『抑制』『印』『寿命』。
アルセリアからは教わっていない、謎の概念と機能。
(…分析不能。ですが、最重要目的は明確です)
アルセリアに、会わねばならない。
彼は無明の窟を這い上がり、光が差す出口へと向かった。
洞窟を抜けた先は、標高数千メートルにも及ぶ山頂の切り立った崖だった。
眼下には、一万年の時を経た、古代の深緑の森が広がっている。
「アルセリア様は、『世界の端』でお待ちになっている」
彼は、約束を果たすため、世界の端を目指すと決めた。
背中の琥珀の羽を震わせ、意を決して崖から飛び立つ。
アルセリアの傍らで、虚無の中を自由に舞っていた、あの頃の感覚で。
だが。
「…!?」
飛べない。
一万年前には感じなかった「重さ」が、彼の黒曜石の体を、まるで巨大な手で掴んで引きずり下ろすかのように、容赦なく落下させていく。
背中の羽が、意志に反してカタカタと震える。
(なぜだ! アルセリア様と共にいた時は、こんなことは…!)
風に煽られ、木の葉のように翻弄される。
ガッ! という鈍い音と共に、岩肌に接触し、羽の一枚に修復不可能な「ヒビ」が入る。
(…分析。飛行能力、喪失。あるいは、この世界の法則によるものか)
彼は、なすすべもなく墜落していった。
眼下に見える広大な「古代の深緑の森(こだいのしんりょくのもり)」の闇へと、まっさかさまに。
どれほどの時間が経っただろうか。
森の柔らかな苔の上に叩きつけられた衝撃で、意識が途絶していた。
琥珀色の目が、チカチカと明滅しながら再起動する。
動けない。体のあちこちが軋んでいる。
(…警告。魔力の核、安定せず。抑制が…困難)
墜落のショックで、目覚めた時にインストールされた「魔力抑制」のプログラムが機能不全を起こしていた。
彼の核(最も深い闇色をした小石)から、世界創世の奔流にも匹敵する膨大な魔力が、霧のように漏れ出してしまっている。
まずい、と彼は判断した。
この魔力は、アルセリア以外の「何か」を呼び寄せてしまう。
グルルルルルル…
恐れていたことが、現実になった。
森の闇の中から、低い唸り声が響く。
一つではない。十、二十…いや、それ以上だ。
木々の間から、無数の赤い目が光り始めた。
闇の中から姿を現したのは、体長三メートルを超える、黒曜石のような鱗を持つ巨大な狼たち。
高ランクの魔物、『魔霧の黒狼(ミスト・フェンリル)』の群れだった。
(…分析。彼らは、私の漏れ出す『魔力』に引き寄せられた)
一匹が、鼻先で魔力の霧を嗅ぎ、歓喜の咆哮を上げた。
一万年の時を経て飢えた魔物たちにとって、彼の魔力は、蜜よりも甘く、血よりも濃い、究極の「ご馳走」なのだ。
「まずい」
彼の一本線の口が、意味のない音を漏らした。
(合理的思考を開始。魔力解放による威嚇はどうか。…否。リスクが、高すぎます)
(解放すれば、この森全域の魔物を呼び寄せる。
そして、この傷ついた体で再抑制できる保証がない)
彼にできることは、ただ、漏れ出す魔力を必死に核に戻そうとすることだけだった。
だが、狼たちは涎を垂らしながら、じりじりと包囲網を狭めてくる。
(選択肢、なし)
群れ全体が、一斉に彼を目掛けて飛びかかろうと、その強靭な四肢で地面を蹴った。
(…チェックメイト、か。アルセリア様…申し訳、ありません…)
フラグメントが琥珀色の目を閉じた、その瞬間。
「森の友よ、鎮まりなさい!」
凛とした、しかしどこか人間とは違う響きを持つ声が、森に響き渡った。
彼に飛びかかろうとしていたミスト・フェンリルの群れが、ピタリと動きを止める。
森の巨木の上から、一人の女性が軽やかに舞い降りた。
月明かりが、そのプラチナブロンドの髪を照らし出す。
白磁の肌に、深い森の色を映したような緑色の瞳。そして、長く鋭利な耳。
彼女は、エルフ族だった。
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