琥珀の飴玉
桜庭
琥珀の飴玉
「私の嫌いなところを挙げてみて」
ある日の放課後、オレンジ色に染まった教室で僕にそう言ったのは、同じクラスの
そんな相手の『嫌いなところ』を挙げてみろ、というのはなかなかに難しい。
「何でそんなことを?」
「他人から見た、自分の印象を知りたくて。バイトや受験の面接で、自分の長所と短所を言ったりするじゃない? 長所は言えるんだけど、短所ってなかなか自分だと見つけにくくてさ」
普通、逆ではないだろうか。思わず半目になってしまった。
こんな子だったのか、とクラスメートの一面に内心苦笑しつつ、僕は「そんなことを急に言われても」と口籠る。繰り返すが、僕は本当に江永と親しいわけでは無い。それ故、嫌いなところも好きなところもない。教室では互いに目立つ方でも無いし、これといった印象もない。おまけに、初会話で相手の悪口を言えるほど、僕は礼儀知らずでもなければ英雄でもない。
しかし、江永もまた強情であった。顔の前で両手を合わせ「お願い! 何でも良いからさ」とわかりやすく懇願する。
「何でも良いって言われても……あんまり知らないし」
「見た目でも良いからさ。ほら、いま私を見て、感じたことを言って」
江永はパッと両手を開き、僕の前でくるりと一回転した。さらさらとした艶やかな黒髪が、動きに合わせてふわりと広がる。僕は言われるがまま、彼女を頭の天辺からつま先まで、まじまじと見つめる。
「ね。どう?」
「どう、て聞かれても……」
長い髪は日頃丁寧に梳かれているのか、一回転しても絡まったり乱れたりした様子はない。制服は着崩されておらず、第一ボタンまでしっかりと留められている。白いワイシャツはアイロンがかけられ、膝上数センチのプリーツスカートも、折り目正しく綺麗だ。靴下や上靴も学校指定の見慣れたもので、これと言った特徴はない。
「あ、化粧をしている」
パッチリとした大きな目は生来のものだろう。しかし、夕焼けの中で少しわかりにくいが、彼女の唇は不自然に色付いて見えた。江永は一瞬面くらい、すぐにはにかんだ。
「それ、感想じゃないじゃん。嫌いなところを訊いてるんだけど」
「えぇー……じゃあ、校則違反をしているところかな。僕、一応風紀委員だから」
「くそ真面目」
うるせえ、と思ったが、流石に口には出さなかった。そんな言葉は言われ慣れっこだ。
僕は鞄を肩に掛け「もう良い?」と訊いた。彼女の質問には答えたはずだったが、江永は「あと四か所」と言った。ご丁寧に、指を四本立ててくれている。
「五個も言うの!?」
「ちょうど指が五本あったからさ」
「そんな理由で僕あと四つも言わなきゃいけないわけ?」
江永は子どものようにけらけらと笑った。しばらく無言の抵抗をしてみるが、江永は急かすように四本指を前に突き出した。窓の向こうから運動部の掛け声が聞こえ、僕はため息と共に荷物を下ろす。彼女は「ありがとう」と嬉しそうに言った。
「江永自身は、自分の嫌いなところが無いわけ?」
「無いわけ。昔は色々あったけど、嫌いだったから直しちゃった」
「ああ、整形とか?」
「ううん。性格の方。昔は大人しくて引っ込み思案だったんだ、私」
「へえ、それは意外だ」
嘘をつけ、と思ってしまうのは、彼女が今こうして、僕をとっ捕まえているからだろう。おとなしい子が自分の欠点を訊くために、他人である僕を無理やり巻き込むものか。
「友達には訊いたの?」
「友達同士って言い難くない? 変にガチっぽくなって、ケンカになっても嫌だしさ」
「そういうの、言い合える方が真の友達って感じするけど」
江永はハハッと笑うと「なにそれ。友達に真も偽も無いでしょ」と言った。
「いや、そうだけど……江永、友達とうまくいってないの?」
「全然。仲良いよ」
「あ、そう」
余計なお世話だったようだ。どうやら僕と江永とでは、友達の定義が違うらしい。
僕は口元に手を当て、改めて江永をじっくりと見つめる。
「爪はちゃんと切ってるし、スカート丈も常識の範囲内。髪染めもしていない、と」
「チェック項目が服装検査だ」
「んー……やっぱりこれと言って無いよ。嫌いなところ」
「じゃあ、私は
は、と思わず間抜けな声が出た。
江永はニンマリと口角を引き上げ、嬉しそうに「だって、嫌いなところが無いんでしょう」と言った。しまった、嵌められた。
「そうとは言ってないけど」
「じゃあ、言ってみてよ。私のどこが嫌い?」
きっと僕は見るに耐えないくらい、顔が赤くなっているだろう。夕焼けでどうにか誤魔化せると思うほど、僕の頭はレトロじゃない。クラスメートの彼女に揶揄われていることを強く自覚しながら、僕はあたふたと鞄を肩に掛けた。
「君が、そういう子だとは思わなかった。……僕は色恋沙汰で揶揄われるのが、大っ嫌いだ」
「え、」
「君の嫌いなところを言えば良いんだろう? ああ、言うさ。言ってやる。僕は、江永の人を小馬鹿にしたところが大嫌いだ」
僕はそう言い捨てると、唖然とした江永を教室に残し、冷めやまぬ頬をそのままに、早足で昇降口へと急いだ。残された彼女の気持ちはこれっぽっちも考えないままで。
翌日、僕はある恐れを抱きながら登校した。それは、昨日のことを経て、江永の友人を含めた女子から白い目で見られてしまうのでは無いだろうか、という心配である。僕は嫌な緊張感を胸に、教室の扉を潜った。
しかし予想に反して、僕に対する周囲のリアクションは昨日とあまり大差なく、友人は友人然として、クラスメートはクラスメート然として、朝の挨拶を僕に向けてくる。内心戸惑いながらも、僕はいつも通りに「おはよう」と返し、自席に着いた。
一息吐いて、視線をついと彼女へ向ける。言うまでもなく、江永真白の席だ。彼女はいつもと変わらぬ様子で、友人と歓談しているようだった。昨日の会話を引きずっている様子は見られず、僕は内心ホッとした。
ホッとしてから、なぜ僕が彼女の機嫌を気にしなければならないんだと徐に腹が立った。揶揄われたのは僕なのだから、彼女の方こそ僕の機嫌を伺うべきだろう、と。
半日分の学業を終え、昼休みを知らせるチャイムが鳴る。多くの学生がそうであるように、僕も昼食の時間を心待ちにしていた。母親の手作り弁当なんて恥ずかしい、と言って購買に向かう友人もいるが、僕は食べ慣れた母のお弁当がそれほど嫌いではなかった。机をつなぎ合わせ、購買に行った友人を待つことなく、僕は「いただきます」と合掌。
途端「柳」と僕を呼ぶ声がした。
「……江永」
話しかけて来たのは江永だった。もじもじと気まずそうにしている。そんな態度を取られると、僕の方も気まずくなってしまうじゃないか。
江永は「ごめんね、お昼時に」とバツが悪そうに言った。昨日、突然怒ったものだから、少し萎縮させてしまっているのかもしれない。僕はできるだけ穏やかな声を出すよう努めた。
「別に構わないけど、どうかしたの?」
「いや、用があるのは私じゃなくて、そのぉ……そう、先生! 先生が、授業で使う地図を準備室から持って来といて欲しいんだって」
「……いや、どうして僕が? 日直がいるでしょ」
思わず呆れたような声が出てしまった。嘘が下手にも程がある。江永は引き攣った顔のままだんまりを決め込み、じわじわと頬を赤らめた。僕は聞かなかったことにして、食事を再開しようとした。
しかし、それは一連の流れを見ていたクラスメートにより、阻止されてしまう。
「おっ前、女子の呼び出しは一にも二にも応えろよ! 男が廃るぞ!」
なんでそんなことを部外者に言われなければならないんだ。そんな言葉が口から出かかり、僕はほうれん草の白和えと共に飲み込んだ。
「女子が相手だろうが男子が相手だろうが、嫌な呼び出しは拒否できる権利を主張したい」
しかし、そんな僕の主張が罷り通るようなクラスであれば、新学期の初めに僕は風紀委員に任命されなかっただろう。クラスから必ず一人、各委員会に所属する人間を出さないといけないなんて、なんて時代錯誤なんだ。個人の自由意志を尊重すべきだ。
そんなことを心の中で呟きながら、僕は大人しく江永の後を歩く。女子の『お願い』は、された当人以外の男子も巻き込んで効果が現れるらしい。不条理だ。
江永に連れられ、長い廊下を歩く。向かう先は、どうやら本当に社会科準備室のようだ。嘘が嘘じゃなかったのか、それとも真実味を持たせるための演出なのかはわからない。いずれにせよ、このままだと僕はお昼ご飯を食いっぱぐれそうだ。
僕は意を決して「ねえ」と先を行く江永に声を掛ける。
「もし江永が、昨日の僕の態度に傷ついて、怒っているんだとしたら謝るよ。人目を避けて言いたいことがあるなら、勿論付き合う。その代わり、お弁当を食べる時間くらいは残して欲しいんだけど」
江永はくるりと振り返る。昨日の一回転のようなわざとらしい動きではなく、思わず反応してしまったと言いたげな反応だった。黒目がちな大きな目がぱちくりと瞬き、それから取り繕うようにギュッと細められる。
「何が? ていうか、別に? 怒ってないし、言いたいこともないけど? 先生に頼まれたんだって言ったじゃん」
「ものすごーくムキになっているところ悪いんだけど、地図持ってくるだけなら僕はいらないんじゃない?」
「……逆だよ、逆。柳が頼まれて、私が付き添ってあげてるの」
あくまで先生に頼まれたと言い張るつもりのようだ。僕はわざとらしくため息を吐き、じゃあと切り口を変える。
「僕が一人で運ぶから、わざわざ付き添ってくれなくても良いよ」
「両手で地図を持ったら、扉が開けられないじゃない。私が手伝ってあげる」
地図くらい片手で持てるわ。どれだけ非力だと思われているんだ、と僕は呆れて物が言えなくなる。
それ程一緒に行動したいと言うのであれば、好きにすればいい。僕は諦めて「勝手にしてくれ」と肩を落とした。
そんな僕を江永は一瞥する。それから一歩、二歩と歩みを遅らせ、横並びになると顔を覗き込むように、ずいっと僕を見上げた。思わず仰け反る僕。江永は歯を見せるようにっかりと笑う。
「すぐに終わらせるよ」
そう言って、彼女はすぐにスカートを翻しながら、準備室までの最後の直線を駆けた。廊下は走らない、といつもの僕なら言っていたであろう小言を口にし損ねたのは、その笑顔が存外可愛かったからに他ならない。僕は再び大きなため息をついた。
準備室の扉を開けると、むっとした空気が飛び出した。貴重な資料があるとかで、この教室は劣化を防ぐために、年中カーテンを閉め切っている。僕は埃臭いその教室を縦断すると、カーテンはそのままに窓だけを開けた。さすがに空気の入れ替えくらいはしても怒られまい。
「それで、どの地図だって?」
僕が江永を振り返ると、彼女は棚に並んだ標本を眺めていた。歴史科の先生が集めている琥珀がずらりと並んでおり、どうやら彼女はそれに見入っているようだ。薄暗い教室の中で、カーテンの隙間から差し込む一筋の明かりに照らされた宝石を、子どものように眺めている。
「琥珀、好きなの?」
「うん。だって、宝石の中で一番美味しそうじゃない?」
「そんな理由で好きな人、初めて見たよ」
僕が「食べないでよ」と言うと、彼女は「食べないよ」と返す。そりゃそうだ。
十分に堪能したのか、江永は屈めていた体を伸ばし、さてと僕を振り返る。僕が改めて地図のことを尋ねると、彼女は「ああ」と頷いた。
「あれだよ。あの、黒板に貼る大きいやつ。ヨーロッパのあたりだけ大きく切り取ったのが、あったでしょ?」
「先週使ったやつかな?」
「そうそう、それ! さすが優等生! ちゃんと覚えてるんだね」
なんだか小馬鹿にされたようで、少しムッとする。残念ながら僕は優等生でもなんでもない。ただ、人から雑用を押し付けられやすいだけで、成績はどの教科も人並みだ。
僕は少し苛立ちながら、縦長の段ボール箱に幾本も差し込まれた丸まった地図を漁る。似たような筒状の地図を見比べ、目的の地図を探した。江永は入り口に寄りかかり、そんな僕をじっと眺めている。
「どうせ来たなら、一緒に探してよ」
痺れを切らせた僕がそう言うと、江永は「そうしたらすぐに見つかっちゃうじゃん」と言う。
「そのために一緒に探すんだよ」
「えー、せっかく二人きりなのに?」
茶化すような彼女の声色に、僕は眉根を寄せる。途端、江永は「ごめん」と声色を変えた。
「こういうのは嫌いなんだったよね。やめる」
ごめんね、と重ねる江永の表情は見たことがないほど真剣で、僕は思わず「いや、」と口ごもった。
「反省して、やめてくれるなら別に……そんな怒ってないし」
なんてことをモゴモゴと口にして、僕は再び筒の中を覗き込む。先程までしょげた様子を見せていた江永は、小さく笑うと「怒ってたくせに」と僕を野次った。
僕は言い訳をしようと口を開き、そして、そうだねと静かに認めることにした。江永の真意がわからない以上、変に意地を張るのはやめだ。
「正直、好きでもない相手に、気を持たせるような言動はやめた方が良い。勘違いした方も傷付くし、余計なトラブルを招くだけだよ」
「それ、柳の話? 体験談?」
「……一般論だよ」
嘘だ。けれど、そんな昔の話はどうでもいい。僕は頭を振って、再び地図を探す。ようやっと目当てのものを見つけられたようだ。
これでお役目ごめんだ。僕は肩の荷が下りたような気持ちで地図を抱える。途端、江永は「ねえ」と、どこか真剣な眼差しで僕を見た。
「それって、本気なら良いってことだよね?」
「は?」
「柳、昨日は小馬鹿にしたところが嫌いって言ったけど、それ以外は嫌いなところはないんでしょ? なら、私が揶揄ってるわけじゃないってことがわかれば、私の嫌いなところは無くなるよね? ね?」
「いや、それは、」
揚げ足取りだ、と僕が言葉を続ける前に、彼女は僕の手から地図を引ったくると、足音高らかに廊下へと飛び出した。
「それじゃあ、探すの付き合ってくれてありがとう! お礼に後で良いものあげるね」
「あ、ちょ、」
江永は僕の制止を聞くことなく、駆けていった。一人準備室に残された僕は、本日三度目の大きなため息を吐いて、開けっ放しだった窓を閉める。火照った頬をガラスにくっつけると、ひんやりとした感触が心地よかった。
「…………やっぱり江永が頼まれていたんじゃないか」
もしも、次に彼女が「私の嫌いなところは?」と聞いてきたら、『江永は嘘吐きで少し我が儘だ』と言ってやる。心の中でそんな悪態を吐いた。
カーテンを整え、忘れ物や落とし物がないかを確認する。立つ鳥跡を濁さず、だ。
部屋を出ようとした道すがら、ふと視界に琥珀色が飛び込んだ。先ほど江永が眺めていた標本だ。カーテンを直してしまったためか、陽光は失われ、すでに宝石のような輝きを放ってはいない。薄暗い準備室の中で、琥珀は小さくなってしまったように見える。
しかし、改めて見ると、確かにべっこう飴のようだ。
美味しそうと言った江永の気持ちもわからないでもないな、と思いながら、僕は社会科準備室を出た。
べっこう飴といえば、受験の時に祖母が大量にくれたことを思い出す。疲れた時は甘い物がいい、頭に糖分をやれ、と袋ごと僕に握らせてきたのだ。その優しさは嬉しかったが、いかんせん僕はそこまで甘い物が得意なわけではない。
そのため、少しずつ食べていたのだが、大袋に詰められた琥珀色の飴は全然減らず、僕は常にポケットに飴の入った子どもになってしまった。ズボンのポケットに飴を入れたまま洗濯に出して、お母さんに怒られたことは一度や二度ではない。
「あ」
そういえば、その飴が役に立ったことがあった。
それは、僕がいま通っている学校の入試日のことだった。校門前で、緊張のあまり足が動かなくなってしまった女の子がいた。今にも吐きそうなくらい真っ青な顔をした彼女に、通りすがりの僕は声をかけ、持て余していたべっこう飴をお守りに、と握らせたのだ。
それが彼女の緊張を解いたかどうかはわからない。だが、彼女は恥ずかしそうに「ありがとう」と小さな声でお礼を言いうと、無事校舎の中へ入っていった。
彼女がどうなったのか、どんな子だったのかは正直覚えていない。だが、もしあれが江永だったとしたなら、彼女が僕に執拗に絡んでくるのもわかる。
僕は自分の想像に恥ずかしさを覚え、誤魔化すように早足で教室へと戻った。
一日の授業が全て終わると、教室に閉じ込めらていた生徒たちは、蜘蛛の子を散らすように飛び出した。ある生徒は部活へ、ある生徒は委員会へ、放課後デートにカラオケえとせとら……僕のようにいつまでも教室に残っているのは少数だ。
だから、その日の復習と翌日の予習を終える頃には、すっかり人気が無くなっていた。同じように残っていた生徒が一人、また一人と帰宅していくのを見届けた僕は、ようやく帰るかと席を立つ。
掃除の時に開け放した窓がそのままになっているのに気づき、窓辺に近づいた————その時だった。
「あ、良かった。まだいた」
誰もいなくなった教室の扉ががらりと開き、江永が戻ってきた。僕は昼間のことを思い出し、どきりと心臓が高鳴った。
夕暮れの風が、江永の長い髪を揺らす。僕はできるだけ彼女をじろじろ見てしまわないように、わざと背を向けた。窓を閉め、鍵をかける。それからゆっくり振り返るが、江永とばっちり目が合ってしまった。
何と声をかければ良いのだろう。僕は言葉を探すように話し出す。
「江永、は……忘れ物?」
「えー? さっき言ったじゃん。後で良いものあげるって」
ツカツカと近づいてきた江永は、一人でおかしそうに笑う。それから僕の手を掴むと、はいっとその上に小さな何かを乗せた。クルクルと包装紙で包んだそれは、見覚えのあるお菓子だった。
宝石のような形のべっこう飴。
僕の心臓が再び大きく跳ね上がる。昨年度、毎日のように見ていた砂糖の塊が、一年半振りに手のひらに乗った。そんなことを知ってか知らずか、江永ははにかむように笑い「地図を探してくれたお礼ね」と言った。
僕はドキドキしながら「なんでべっこう飴なの?」と問う。江永はさらに目を細め、揶揄うような声で答えた。
「甘いものはね、元気が出るんだって。受け売りの、受け売りだけどね」
ああ、やっぱりそうだ……。
僕は飴玉を受け取った手で、強く額を抑えた。江永はあの時の女の子だ。じわじわと頬が熱くなるのを自覚する。江永はそれを見て、つられるようにもじもじとし始めた。
「…………とりあえず、ありがとう」
「いえいえ、その……こちらこそ」
なんだか変な空気になってしまった。僕はいそいそと荷物を肩にかけ、それじゃあと別れの挨拶を口にする。引き留められるかと思ったが、意外にも江永は「うん、じゃあね」と小さく手を振った。
僕は少し躊躇って、同じように肩の高さまで手を上げた。
「また明日ね」
そう言って、真っ赤な夕日を背負った彼女は嬉しそうに笑った。天邪鬼かと思った彼女は、思いの外素直な女の子だった。
昇降口で靴を履き替えながら、僕は江永のことばかりを考えていた。なんだか心がむず痒く、僕は校舎を飛び出すと、リュックを揺らして駆け帰る。
息が切れるほど走って走って、もう間も無く家に着くというところで、僕はようやく自分の気持ちを言葉にすることができた。
これは『愛おしい』という感情なのだろう。
あんな些細な出来事をいつまでも胸に残し、僕が邪険にした祖母の優しさを好物にした、江永のいじらしさに僕はすっかり参ってしまった。
ああ、明日からどんな顔をしていけば良いのだろう。
また明日、と言った江永の声が、僕はいつまでも忘れられなかった。
琥珀の飴玉 桜庭 @sakuranoniwa
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