【カクヨムコン11短編小説部門】嗚呼、麗しのGTR!
夏目 漱一郎
第1話 さらばトラックドライバー
「えっ、社長。今…なんて言いました?」
「だから、良いお年を! 来年からもう出社しなくていいから」
まだ12月になったばかりのある日、武蔵運輸の事務所に呼ばれた
予想はしていたけど、こんなにあっさりクビになるんだ……と、彼は思った。
西暦2029年、乙産自動車が自動運転レベル5の完全自動運転車の実用化に成功したのを皮切りに、他のメーカーも次々とレベル5の実用化に成功。日本政府は世界の自動運転車技術の覇権を握るため、全国津々浦々の道路インフラを自動運転車対応の道路へと改修し、国内全ての道路が自動運転車で走行出来るようになった。
今から五年くらい前、2024年には『2024年問題』という言葉がトレンドになり、どのメディアでも運送業界のトラックドライバーは人材不足になるとの見立てが大半を占めていた。そのため、現役のトラックドライバーの多くは将来安泰、もしかしたら待遇も断然良くなって給料やボーナスも劇的に上がるものだと思っていた。
しかし、現実は違った。世の中にある車はほとんどが自動運転が標準となり、トラックドライバーは、待遇改善どころか解雇の憂き目に逢うようになった。AIが世の中に出回るようになってから、人間がやる職業は次々とAIに置き換えられて、事務職、弁護士、医者、映画監督、小説家、漫画家までもが仕事を追われ……むしろ肉体労働者の方が最後まで生き残れるという皮肉な状況に変わりつつあった。
* * *
「え―と、
ハローワークの小林は、桜井のプロフィールが書かれた用紙と彼の顔を見比べながら、ずり落ちた眼鏡のブリッジに指を当てて盛大にため息をついた。
「桜井さん。誠に申し上げにくいんですが、自動車運転免許という資格は今はなんのアドバンテージにもなりませんから。他に何か無いんですか? 例えば、重量上げで全国優勝したとか」
「そんなレアな特技あるわけないでしょっ! でも自動車免許ったって、普通自動車じゃなくて大型ですよ?」
「同じ事です。運送会社はみんな自動運転のトラック持ってますから、ドライバーはもう必要無いんです。自動運転のトラックを使えば給料も社会保険もかからないし、何時間でも休みなしで動かせますから」
昔は大型の免許持ってれば、食いっぱぐれは無いと言われたものだった。しかし、今はドライバーは必要無いと言われる。二十歳のころからドライバーをしていた桜井には、今更何の職業に就けばいいのかわからなかった。
「小林さん、特技や資格が無い人間はどうすりゃあいいのさ。そういう人間は俺だけじゃないでしょ?」
「桜井さんの場合、一年間は失業保険が降りますので、それを受け取りながら求職活動をしてください」
「じゃあ、一年で仕事が見つからなかった場合には?」
「その場合には、収入が無くなるわけですから生活保護に切り替える必要がありますね」
小林はさも当たり前のように言うが、この歳になるまでずっと働いてきた桜井からすれば、これは死刑宣告に近い。働かないで金がもらえればいいと思うかもしれないが、彼にだってプライドはある。それに、彼にはどうしても生活保護を受けたくない理由があった。
「小林さん、もしもだよ? もしも俺が生活保護を受けるようになったら、俺が持っている車は売らなけりゃダメなの?」
「そうですね。必要最低限の生活水準が必要要件ですから、自家用車は持てませんね」
「それはダメだっ! あの車だけは絶対に売らねえ!」
(あれは、俺が命の次に大切にしている車だ。あれだけは絶対に売る訳にはいかねえ!)
「小林さん! 生活保護はダメだ。なんとか仕事を見つけてくださいよ」
「そうですね。とりあえず、桜井さんのプロフィールをAIに読ませて桜井さんにマッチする職業を探してみましょう」
AIに職業を探してもらう……仕事を奪うのもAIなら、見つけるのもAIだった。桜井は心の中で悪態をついた。なんだか俺の人生は、AIに振り回されているみたいだ――と。
結局、その日は仕事が見つからなかった。小林が言うには、AIの進出で職業を置き換えられた失業者があふれ、条件のいい仕事はみんな20代、30代の人間に持っていかれるらしい。小林が「新着の情報が入ったら連絡してくれる」というので、桜井は小林にテレビスマホ(テレビ電話のスマホ)の番号を伝えて家に帰った。
現在、桜井が住んでいるのは家賃6万円のマンション『スカイライン2000』。このマンションにも駐車場はあるのだが、彼はここの駐車場を契約していない。なぜなら、屋根が無いから。彼の車は屋根とシャッターがある別のガレージの中に保管してある。乗るのは一週間に一度、晴れた日だけ。
* * *
ガレージのシャッターを開けると、外から差し込む太陽の光が桜井の愛車のシルバーメタリックのボディに反射して、キラキラと輝く。今日はエンジンをかけるだけの日だった。「エンジンをかける」と言っても、今の車みたいにただボタンを押せばいいという訳じゃない。特に今の季節のように寒くなると、エンジンをかけるだけでもちょっとしたコツがいる。彼はこれを儀式と呼んでいる。
愛車の運転席に座り、桜井は誰に聴かせるでもなく得意げな表情でうんちくを語り出した。
「冬にこの車のエンジンをかけるには、まずチョークを引く。えっ、チョークってなにかって? チョークとは、古いキャブレターの車に付いているもので……えっ、キャブレターも知らない? そんなの、あとでググってくれ。それかAIにでも訊けよ。とにかく、チョークを引く。それから、キーを二段階『ON』まで回す。
まだセルモーターは回さない。耳を澄ませて燃料ポンプが回る音を確認して、そのまま数秒待つ。まだエンジンはかけない。アクセルを一回ゆっくりと煽って、濃い混合気をキャブレターに送る。そこではじめてセルモーターを長めに回す。エンジンがかかって温まってきたら、アクセルで回転を調節しながらチョークを戻していく。これが、この車のエンジンをかける手順」
ただエンジンをかけるだけでも、これだけの労力を必要とする。だが、彼にとってはこれが楽しみでもある。こうやって暖機されてからのアクセルを吹かした時のエンジン音を聴くのが桜井の至福のひとときだった。
そんな時、彼のテレビスマホに着信があった。相手はハローワークの小林。新着の情報があったら連絡くれるという約束だった。
通話をフリックすると、画面には小林の顔が映った。
「小林さん、お疲れ様です。どうですか、なにかいい情報ありました?」
『いやあ、パートならある事はあるんですが……これだと以前の運送業ほどの収入は望めませんね。一応、求人票の方はそちらのスマホに転送しておきましたが』
「そうか……収入が落ちるのはちょっと厳しいな。この車も来年車検だし……」
そんな事を呟いていると、テレビスマホの向こう側にいる小林が、驚いたような表情をしながら桜井に尋ねてきた。
『あれ、桜井さん。その隣にある車、ひょっとしてハコスカじゃないですか!?』
「ん、ああ~そうそう。俺の愛車、ハコスカGTR」
『ええええ――――――っ!! 本当にホンモノのGTRですかっ!!』
「当たり前だろ! GTRじゃないハコスカを、わざわざ屋根付きガレージなんかに保管しないよ」
そう。彼が生活保護を受けられないのは、このGTRを手放したくないからだった。
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